「優しさ」の話
人から優しいと言われながら理不尽な扱いを受け、「優しいはずなのに傷つけられる」という体験をしたことがないですか?
私はあります。
「優しいから許してくれると思った」「優しいから大丈夫だと思った」と何度も言われました。
何度も「優しいから」と言われて何度も傷つけられた結果行き着いたのは
「私の優しさを特別だと感じない人が私を傷つける」ということです。
「この人が優しいのは当たり前」になると人は調子に乗ります。
感謝も敬意もなくなります。
逆に「どうして怒らないの?」「優しすぎる」と言って私の優しさを「特別なこと」扱いしてきた人が私を傷つけることはありませんでした。
ですがここで付け足しておきたいのは「私は優しいわけではない」ということです。
怒らないだけです。自分に害がないから認めていただけです。許容範囲だっただけです。私もそうしてほしいから先にそうしていただけです。
自分のために先回りしていただけなんです。
結果相手にとって都合がよかった時もあるでしょう。その時「優しさ」として受け取ってもらえますが、利害が一致したに過ぎません。
「こうするのがこの人のためだ」と思って行動するときももちろんあります。ですがよくよく考えると「こうあってほしい」という願望だったり「こうする自分が好き」という自己中心的な考えが根本にあることに気づきます。
「優しくしたのに裏切られた」「優しくしたのをいいことに適当なあつかいを受けた」と憤ることがありますがそんな自分の根本に気づいてからはなんとなく私を「都合のいい存在」としてあつかっていた人たちのことを受けいれることができるようになりました。
私もその人たちのことをある種「都合のいい存在」にしていたから。
正直すごく自分自身の黒い部分のお話ではありますが、「私だけじゃないんじゃない?」と思っています。
私も気を付けていますが、このエッセイの内容に心当たりのある方が今後「優しさは特別なもの」として大事に受け取ることができるといいなと思います。