「セントアイヴスに行ったこと」の薄れ
大学ではヴァージニア・ウルフ研究のゼミに入った。ゼミの先生はウルフ専門ってわけではなく、年よって取り扱う作家やテーマが少しずつ違った。蠅の王とか、ロレンスとか、現代の作家とか、いろいろ。私が所属した年のゼミでは、『ダロウェイ夫人』『灯台へ』『波』を読んだ。ゼミの2年間を通して、なんかこう、妙に固執して考えたのは「(カーテンの)襞」とか「波の揺れ」のことだった。結論としてそれがなんだ、って気分に至ったかどうかは忘れた。とにかく布の襞とか波に囚われていた。そのことを唐突に思い出した。
英文科だけどそんなに英語はできなかった。英文科に入ったのは、ただたんに数学とかより英語のほうが圧倒的にラクに点取れたからだった気がする。それで英文科に入った。「英」があるから入った。「文」は気にしてなかった。でも「文」があって本当によかった。「英」だけだったら大学やめてたかもしれない。
3年の夏休みに、1ヶ月だけロンドンに短期留学した。英文科に入って、短期留学する。なんて平凡なんだろう。学生支援機構の奨学金を貯金して、それを留学費用にあてた。周りのみんなもどこかしらに短期や長期の留学をしていた。私は大学を通さず民間の(安めの)留学斡旋会社で申し込んだので、あまりサポートがなく、結構大変だったけど何とかなった。帰国後、おそらく短期の留学なんて「結構大変だったけど何とかなった」という微妙な成功体験を経験するためにパッケージされているのだろう、というような感想を抱いた。私は「結構大変だったけど何とかなった」体験に課金したのだろう(しかも借金で)、と思いつつも、でも行って良かったな~特別な時間って最高だったな~とも思えたので、まぁいいやという感じ。
1ヶ月の滞在中、できればやってみたいことがあった。セントアイヴスに行ってみること。『灯台へ』のモデルとなった場所。ウルフが休暇を過ごした場所。ただ、留学中週末をどんな感じで過ごせるのかわからなかったので、行くかどうかは、現地に行ってから決めようと思っていた。ウルフがセントアイヴスでの時間をポジティブに捉えていたかというと、そうでもないような記述があった気がするけど、でもとにかく私が気になった。行ってみたかった。
最初の週末は、語学学校のエクスカーションに参加した。コッツウォルズに行った。そのことは省く。最初の週末が終わったとき、2週目の週末にセントアイヴスに行こうと決めた。セントアイヴスは、ロンドンから列車で5時間以上かかる。日帰りは難しい。なのでまず、地球の歩き方で良さそうと思ったB&Bに予約を入れることにした。ホームステイ先の固定電話を借りるのは気兼ねするので、公衆電話から予約した。どこの公衆電話かは忘れた。平日の授業が終わってフラフラ観光してた途中、公衆電話のボックスに入った。ロンドンの、わりと繁華街だったと思う。クレジットカードOK、と書いてあったので、私は迷いなくクレジットカードを電話機のカード差込口に押し込んだ。途中で引っかかった。そして出てこなくなった。どんなに引っ張っても出てこない。電話ボックスの中から、少し離れたところに交番が見えた。助けを呼ぶしかない。でも、クレジットカードを残してここを離れて大丈夫だろうか?どうしていいのか全然わからなかった。しばらくボーっとした。すると、電話ボックスの外に順番を待つ人がきた。私はしばらくボックスの中で「カードが出てこなくて困ってる人」を動きで演じてみたが、外の人は怪訝な顔をするだけだった。勇気をだして外の人に事情を説明した。その人はカードを引っ張ろうとしてくれたが、びくともしなかった。その人は大声で周囲の人に助けを求めてくれた。何人かの人が集まってくれた。死ぬほど恥ずかしくて夢みたいだった。その中の一人が、「向かいのレストランでナイフかなんか借りてくる!」と言って走っていった。他の誰かが交番に警察を呼びに行ってくれた。レストランから絵に描いたようなコックさんが出てきた。コックさんは差込口にフォークを突っ込み、ボタンを押したり揺らしたり試行錯誤してくれた。カードが出てきた。人々の歓声。ありがとうございます、ありがとうございます、すみませんでした。警察の人もきた。事情を話した。「出てきて良かったね」と言われた。クレジットカードだめなんですかね?ってきいたら「確かにOKって書いてあるけど、公衆電話にカード入れたことはないなぁ、僕は」と言われた。結局そこで予約の電話はできなかった。少し離れた公衆電話で、今度は硬貨を入れて、予約の電話した。
片道5時間なんて長いなあと思ってたけど、結構寝てたので長くなかった。途中、車窓から海が見えた。私は寝てたけど、隣に乗っていたご婦人が起こしてくれた。「起きて!海よ!」と。わぁーっと思って、起こしてくれて嬉しかったので、サンキューみたいな話をしたけど、たぶん私は嬉しそうな表情ができてなかったんだと思う。ご婦人は気まずそうな感じで、その後はほとんど会話しなかった。こういう後悔は一生続く。
セントアイヴスについたら、日本人がいな過ぎてびっくりした。日本人どころか、見ただけでアジア人や黒人とわかる人がいなかった。たまたまかもしれないけど、見わたす限り白人しかいなかった。ロンドンには色んな人種の人がいたし、こんな環境に身を置いたことがなかった。人々に見られてるような気がしてバリバリに緊張した。「あら?せっかくとっておきのバカンスなのにアジア人?いやだわ~こんなところまで来て」と思われてる気がして、憂鬱な気分で歩いた。でも、とあるお土産物屋に入って憂鬱な気分が吹き飛んだ。めっちゃかわいい、魚モチーフのガラス細工があったからだ。ガラス細工は、とんでもなくかわいかった。楽しくなってきた。
セントアイヴスはガチで美しかった。白い壁、海からのゆるい風、光、観光客向けな感じの工芸品、カモメ。お土産街を歩いた先で、見晴らしの良い丘に出た。海を見た。遠くに灯台が見えた。たくさんのバカンス客を見た。セントアイヴスを見てる、と思った。
日本人の方に、声をかけられた。アジア人は一人もいないと思ってたけど、いた。こんなところで日本人なんて珍しいから声をかけてみた、とのことだった。やはり珍しいそうだ。その方はウルフの研究者で、ここコーンウォール地方の研究もしているという、ある大学の先生だった。私もゼミでウルフを読んでいて、ロンドンに短期留学中なんだけどどうしても来てみたくて来た、という話をした。やっぱりウルフかバーナード・リーチ関係じゃないと来ないよね、こんなとこ、と言って先生は笑った。私はうれしかった。なぜなら、セントアイヴスがめっちゃ美しかったから。誰でもいいから、「すっごいきれいですね、ここ」という話をしたかった。それを言える人がいてうれしかったし、わざわざ来たここでウルフ関係の方と会えたのもうれしかった。
今となっては、セントアイヴスに行けてよかった、というごろっとした塊だけが残ってる。細部は忘れつつある。「セントアイヴスに行ったこと」は順調に薄まりながら、私は平凡に生きてる。実際のところ、あの場所でウルフに思いを馳せるなんてことはほとんどできなかった。セントアイヴスがあまりにも美しくて感動してしまい、ウルフどころじゃなかった。持って行ったペンギンマークの本は、ほとんど開かなかった。
『めぐりあう時間たち』は何度も観た。何度観ても、説明できない気分に締め付けられる思いがした。『ダロウェイ夫人』も『灯台へ』も『波』も、細部は忘れた。真剣に読んだ、という強烈な塊だけが残っている。あの当時、カーテンの襞や波の揺れに何を思っていたのか、自分でも何一つ思い出せない。ただたんに、ごろっとした塊だけが残ってる。
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