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育児とか生活とかを詩的にアレできても、できなくても

ふだんから雑めの生活者なので、10連休中の家族の食事とか家事とかが面倒くさくてぶっ倒れそうで、今日ひじょうに些細なことでふてくされて何もやる気なくなってしまった。夫と子どもが公園に行ってるあいだに窓を開けてお昼寝キメてみた。本当は、今日は、昨日の夜に料理の下準備をしてお弁当作って公園で食べるつもりだった。石神井公園のお気に入りのテーブルで食べるつもりだった。お気に入りのテーブルを確保するために早朝から出発したいくらいだった。でも昨日の夜なんでか私が子どもの寝かしつけ担当になってしまい、寝かしつけ絶対寝ちゃうから、夫に絶対起こしてと頼んだけど起こしてもらえず夜中の2時半に起きた。2時半に起きて、歯磨きをして、半乾きのまま乾いた髪を濡らしてまた乾かした。3時になってた。食器を洗ってなかった。甘辛焼きにしようと解凍してた鶏肉はブヨブヨだった。リビングの床はザラザラしていた。ベランダに布団カバーを干したままだった。洗濯機に洗剤だけ入れて、まわしてなかった。炊き込みご飯をしようと思ってたけど具材はもちろん切られてなかった。ベビーモニターから、子どものくしゃみがきこえた。3時過ぎ、たぶん今日はもうピクニックには行かず、行きたかったという気持ちに強く支配されるだろうとわかった。行こうと思えば行けるのに、シンプルに気持ちが折れたのです。3時に気持ちが折れたまま、ふつうに寝室に戻ってまた寝た。朝起きて、想定どおり何もやる気なくなってしまい、ダラダラした。ダラダラすることが許されるくらいには子どもが成長したんだなぁ、とか、他人事みたいに思った。とは言え、かかー!お腹空いたよ〜と言ってくる3歳。ホットケーキを一緒に焼いて、作り置きしていた小松菜のおひたしと茹でお肉とサツマイモをお盆にのせて、子どもに朝食を与えるというミッションをクリアした。でも本当は何もしたくない。寝てたい。
夫と子どもが公園に行ってるあいだに窓を開けてベッドに横になった。以前、吉祥寺の百年で買ったきくちゆみこさんのZINE『アンインテンデッド・ライアーズ7』を手に取ってから横になった。

救われるような気分を見いだせることを期待して、手に取った。再読した。きくちさんは、お会いしたことはないけどとても憧れている女性。文学を、自分の生活や人生に滲ませたり照らし合わせたりすることを、やってのけることができる、という嬉しさを表現されている女性、というイメージで、とても憧れている。『アンインテンデッド・ライアーズ7』のテーマは「生きることの嬉しさを何げなく生きる」。『手紙、栞を添えて』という本の中での辻邦生さんの言葉だそう。7号は、きくちさんご自身の妊娠中の読書体験を皮切りに出産という出来事、目の前の生やご自身の生、その他いろいろ、現実・非現実・引用などが織り混ざったテキストが並んでいる。きくちさんのZINEに出会うまで、私は他人の読書体験を読んだことってなかったかもしれない、と気づいた。他人の読書感想文や書評はたくさん読んだことあったけど。なんだか、救われる。きくちさんのZINEに出会って、私の今までの人生・読んできたテキスト・目に入ったイメージ、それらが全部肯定されたような気がした。ただ、できれば私も読書体験を詩的に昇華したいような願望があるし、それが満足にできなくて日々イライラしている節もある。あと完全に被害妄想だけど、妊娠出産育児における日常のワンシーンを尊いもの奇跡的なものとして詩的に切り取ったり想いを馳せたりしている人を見ると、それに比べて自分は大切な瞬間を取りこぼしまくって生きてる気がしてつらくなる。新緑で超気持ちいい晴れた休日、公園に行くチャンスすらむだに放棄する自分が情けなくて死にたい。
でも、やっぱり今日これを再読して良かった。

じぶんがここでやることなすことすべて、わたしとあなたとわたしたちの喜びのためじゃなかったら、いったいなんなんだろう。なんのために生きるのかっていうより、わたしがここで生きているとここはどんな場所になるのかなというヴィジョン、たとえばレジのやり取りや街なかですれ違う瞬間の微笑み、それだけでさ。

自分が、生活を詩的に変換できないことや作文できないことにイラついてるのだとしたら、とんだばか者だということはとっくにわかってるんだけど、とにかくばかさを認めて捉え方を変えたり行動するしかないな、みたいな、謎の前向き感が得られた。基本、ケチなんだろうな自分は、と思う。読んだテキストや目に入ったイメージをとおして自分や周囲に起きたことを、流れっぱなしにせず〈とっておきたい〉的なケチさ。もったいない思ってしまう浅ましさ。なんだかなー、と思う。何にふてくされてたのか訳わかんなくなる。夫と息子は公園から帰ってきて、手を洗ってぱりんこ食べてる。やっぱり今きくちさんのZINE読んで良かったなぁ、となった。今日、ふてくされてないで家事後回しにしてお弁当でも買って公園行くという人生もあったのに、違ったというだけ。ぱりんこは私も食べる。

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