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#34. 甥っ子が生まれてきてくれた日

今日は、愛おしい甥っ子の9歳の誕生日だ。
思えば、姉のお腹で小さな命が育まれ、初めて顔を見た日からもう9年が経つ。私が高校1年生だったあの頃に生まれた彼は、当時からどこか特別な存在だった。その頃すでに2歳の兄がいて、2人は幼いながらも互いを大切にし合いながら、一緒に成長している。


生まれた時から甥っ子は、柔らかなほっぺたとくりっとした丸い瞳、ちょっと垂れた愛らしい目元が特徴的で、いつも誰かにくっつきたがる甘えん坊だった。一日中遊んだ後、眠る前には、モフモフのブランケットを手にしないと安心できない様子が微笑ましかった。あの小さな手でブランケットをぎゅっと抱きしめ、穏やかな寝息を立てる彼の姿が、いまでも頭の中に鮮やかに浮かぶ。



そんな彼も、いつの間にかすっかり成長して、少し前に会ったときには、驚くほど背が伸びていた。私を見上げていたあの小さな甥っ子が、いつの間にか私に近づくほど大きくなっている。さらに、好きな女の子ができたらしいし、告白も何人かから受けているとか。ちょっと誇らしげに話す彼の顔を見ていると、可笑しくもあり、誇らしくもあり、そして少しだけ心配にもなる。どうやら、優しさゆえに断るのが苦手らしい。みんなにチヤホヤされる彼が、そのまま大人になったら少しやんちゃな「チャラ男」になりそうだなんて、冗談交じりに思わず想像してしまう。


でも、今が幸せならそれでいい、とも思う。そのままの彼でいてほしい、無理せず素直に成長してくれれば、それで十分だ。9歳の彼に「自分らしさ」とか「生き方」を問うのは、少し早すぎる気もする。もしかしたら、大人だって「自分らしさ」を考えすぎずに、ありのままの自分を受け入れる方が楽なのかもしれない。何かを追い求めることで、時に他者と比べ、根拠のない劣等感や焦りに駆られる。それなら、彼が今のままでいてくれることが、最も健やかで幸福な姿なのではないかと思う。


甥っ子は時々、私に目を輝かせてこう話してくれる。
「ねぇ、僕、〇〇ができるようになったんだ!」と。
その瞬間の、嬉しそうな顔が何とも愛おしくて、思わず抱きしめたくなる。彼は、自分の成長をまっすぐ受け止め、素直に自分を誇れるところがある。頑張った自分を誇りに思い、それを他人に伝えることができる。自分を肯定できるその強さが、私にはとても眩しい。



彼はまた、人一倍周りの頑張りにも気づき、褒め上手なところがある。以前、夜勤で疲れて帰った私に「遅くまでたくさん頑張って偉いね、すごい」と、真剣に言葉をかけてくれたことがあった。幼い彼からのこの言葉に、どれだけ心が癒されたか分からない。「頑張っている自分」を受け入れてくれたその一言が、まるで重たい荷物をそっと下ろすように、私の心を温かく包んでくれた。


そんな彼を見ていると、私も誰かの頑張りにいち早く気づき、それを素直に認め、温かく褒めてあげたいと思う。彼のように、人の良いところを見つけるのが上手で、心から肯定的に生きていきたいと心から願う。彼が無邪気に笑顔でいてくれることが、どれだけ周りに幸せを届けているか。もしかしたら、私が甥っ子の姿から学ぶことは、すでに自分の中にある「自分らしさ」を、そのまま素直に受け入れる勇気なのかもしれない。



これからも、彼の成長をそばで見守りながら、彼が心から笑顔でいられる日々が続くことを、この先もずっと、心から祈っている。

生まれてきてくれて、ありがとう。
そして、おめでとう。

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