#19. note100日チャレンジをし始めた絶対的な理由
19日目の投稿というなんとも中途半端な今日、ふと思ったことがある。
それは、note100日チャレンジ真っ最中の私が、なぜnoteの100日チャレンジをしようと思ったのか?
目的について自分自身も忘れてしまわないように、このタイミングで書いておこうと思う。
自分を知られるのが怖い、これまでの私
実を言うと、私は昔から人に自分の気持ちを伝えることが苦手だった。友達数人と話している時も、言いたいことを口に出すタイミングを伺っている間に、話題がどんどん進んで、結局自分の思いを伝えられなくなることがよくあった。
「今これを言ったら空気が悪くなるかな?」とか、ほんの少しの会話でも自分の発言に対して考えすぎてしまう。カフェでは、つい一番隅の人気のない席を探してしまうし、学校時代の委員会も、早いもの勝ちという名の戦いも、何かにつけて一番余りそうなものを自分から選んでいくタイプだった。周りに迷惑をかけたくないという思いが、いつの間にか染み付いてしまっていたのだ。
気づけば、友達と一緒に歩いていても「どこ行った?」と目の前にいるのに探されてしまうほど、自分の存在感は薄くなっていった。
1人を楽しむためには?
歳を重ね、生活のリズムや環境が変わるにつれ、親しかった友達とも疎遠になり、会話の頻度も激減した。一年に数回、連絡を取るだけの関係に変わってしまったのだ。必然的に一人の時間が増えた私は、一人で過ごすことにも慣れていき、自分なりに楽しむ工夫をするようになった。
だけど、そんな一人の時間が増えれば増えるほど、ふとした瞬間に人と話したいという気持ちが芽生え始めた。それまで、周りに友達がいたからこそ「影の薄い自分」でも何とかやってこられた。でも、もし今後、もっと一人になる日が来たら……自分が変わらない限り、完全に独りぼっちになってしまうんじゃないか、と不安が押し寄せた。
私の中にあるセルフイメージとやら
私の中には「こうあるべき自分像」がずっとあった。俗に言うセルフイメージというやつだ。目立ってはいけない、我慢強く、優しい“いい子”でいなければならない。そんな思い込みが強く、私自身を縛りつけていた。
でも、その自分像を覆さない限り、私はこのまま「自分の軸がない存在」、もしかしたら“いないこと”と等しくなってしまうかもしれない、と考えた時、どうしても耐えられなかった。
本当は思っていることがあっても、それを発信したり発言したりしなければ、元からそんな思いなどなかったことと同じだ。
自分の思いを発信し続ける、これからの私
だから、私は苦手だと感じていた「自分の思いを発信すること」を続けていこうと決意した。人の気持ちを考えすぎて怖くなる日もあるし、劣等感に押しつぶされそうになる時もある。思いを言葉に変えることが難しい日もある。でも、続けることで、いつかそれが楽しいものに変わる瞬間が来るかもしれない。自分が生きている足跡のようなもので、きれいじゃなくても、歪でも今はどうだっていいと思えた
そして何よりも、自分の思いを発信した時にそれを誰かが読んでくれて、自分のことを知ってくれたり、少しでも共感できる、と思ってくれる人がいるのなら、本当に嬉しいし、ありがたい話なわけで。
だから、私は恐れずに自分の言葉で、自分の思いを伝えていきたい。
まずは100日間、自分の考えを言葉にして。形にしてみようと思う。
インプットよりもアウトプットの方がずっと難しい。だからこそ、インプットに逃げたくなる時は、そんな自分の弱さと向き合って、これからも少しずつ前に進んでいく。
自分を信じて、自分の声を他者に届ける。
それが、私の100日チャレンジの理由だ。
ちょうどこの100日チャレンジが達成するとき、2025年を迎える。
また新しい1年が始まる瞬間に、
人との繋がりを感じ、喜びで満たされた気持ちを大切な人と共有できますように。
No.19
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