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#6. 心配をやめたくなった日
私は先週、人生初のzoomランチ会を経験した。
これまではオンラインで飲み会やランチ会というものをやったことがなく、リアルで会って会話を交わしたり食事を共にしたり、という事が普通になっていたからこそ、どんな感じになるのだろうか、、本当に盛り上がるのだろうか?気まずくならないだろうか、など頭の中にハテナが沢山湧き出て答えの無い未知なものへの疑問を長い時間投げかけていた。
私はいつも何かに初めて取り掛かる時、これって本当に大丈夫かな??やっぱりやめた方がいいよね?みたいにずっと頭の中で不安を予測して、心配事を回避するためにやるかやらないかの決断で迷ってしまう。
ありもしない妄想を掻き立てて、もしこうなった場合はこうする、などのパターンを10も20も考えて、無駄に体力を使う。やめたいけど、これがなかなかやめられない。
そんな時、彼から一言。
「その心配事、実際に起こる確率ってどのくらいだと思う?」
私:「え、知らない。何パー?」
彼:「80%は起こらないんだって。で、残りの20%のうち16%は、事前に準備しておけばなんとかなるらしいよ。つまり、対応できない心配事が実際に起こる確率って4%くらいなんだよ。」
「……で、その4%のために、キミは何時間使ってるの?」(キミとは言われてない)
その瞬間、私の中で何かがパチンと弾けた。
私はこれまで、考え事の大半が心配事で埋め尽くされていて、考え込む時間の割合も1日に換算すると3時間ほど。(⇐これでも小さく見積ってる)
てことは、
3時間(1日)×1年(365日)=1095時間
1095時間×20年(6歳以降からの換算)=21900時間
21900時間÷24(1日/時間)=912.5日=2年半
これ、1年だと1095時間。それが20年続いてると…なんと、約2年半も心配事に時間を使ってきたことになる
う~~~~ん、?
………もったいなすぎない?
そう。計算してみたらあまりにも悔しくて、私の人生の一部を無駄にしてきたって実感がすごかった。
しかも、実際に私が心配してたことって、ほとんど現実には起こってないし、もし起こったとしてもなんとか対処できてた。だから今、こうして生きてるわけで。
そんなことを考えたら、1日のうち本当に大切に使えてる時間ってどれくらいなんだろうって気になってきた。
寝る時間、食べる時間、彼との会話、仕事や勉強、メイクに料理……ふと考えてみると、私の1日は常に時間に追われてる感じがするけど、実際はどうだろう?
例えば、買い物に1時間、料理に2時間(これ多すぎかも)、勉強4時間、仕事3時間、メイク1時間、作業3時間、彼と過ごす1時間、本読む1時間、お風呂1時間、寝る時間7時間…え、ちょっと待って。合計したら24時間超えてるじゃん。(???)
ということで、最終的に?な感じになってしまったから、ひとまず考えるのをよそう。
時間の使い方、見つめ直そう。
そしてそれ以上に、ありもしない妄想や心配事で頭の中いっぱいにして3時間という時間を費やすのはもうやめよう。ね。やめてね、私。
結果的に、人生初のzoomランチ会は私の心配事が4%の確率で当たることはなくて、ほうれい線にくっきり線が残るほど笑い、みんなのプライベートが知れた、濃くて楽しい最高な時間になった。
何事も最初って緊張したり、考えすぎたりしてしまうけど、きっとその緊張や心配の先には幸せがあるんだろうなぁ。
私の大好きな植松努さんの言葉、
「不安の向こうに喜びがある」。
ようやく、その意味が少しわかってきた気がする。
No.6