#35. 言葉にすること
言葉にするって、難しい。
胸に抱えた気持ちがそのまま形になって、パズルのピースみたいに、相手の心にすっとはまってくれたらどんなにいいだろう。
それなのに、実際はどうにもいかないことばかりだ。
思いを言葉に変えた途端、なぜかその温度が冷めてしまうような、輪郭がぼやけていくような感覚になる。
言葉にした後で、本当はもっと柔らかい気持ちなんだよなぁ、と思うことが多い。自分が感じているこの想いの柔らかさは、キヌドウフみたいなものかもしれない。ふんわりとしているけど、簡単には崩れない。
そんな豆腐のような感覚を言葉にできたらと思うのだが、それを伝えるのがどうにも難しいのだ。
たとえば、「ありがとう」と伝えたいときに、
その一言だけでは足りない気がする。その前後に何かを添えて、言葉の隙間から自分の気持ちを少しでも感じ取ってもらえたらと思うが、そんな文才があるわけでもなくて。結局、「ありがとう」とだけ伝えて終わってしまう。でも、もしももっと簡単でありながらも、たくさんの気持ちを含んだ言葉が選べたら、どれだけ表現が豊かになるだろう。
柔らかく、真っ直ぐな言葉。
小学生が習うようなシンプルで親しみやすさがありながら、心にじんわりと染み込んでいくような言葉たち。それをいつまでも持ち続けていたいと思う。それでいて、伝わる強さを持っている言葉で、自分の気持ちを預けられたらどんなにいいだろう。
「難しい」と言ってしまえばそれでおしまい。そう言った瞬間から、少し怠けているような、どことなく諦めてしまった気がして、何だか悔しい。
「難しい」以外の言葉がないのだろうか。たとえば「挑戦しがいがある」とか、そういう前向きな言葉で表現できたら、もう少し気が楽になるかもしれない。だけど、そんな言葉すら思い浮かばない時、自分の言葉のレパートリーの少なさに、途方もない無力さを感じるのだ。
つい口から出るのは「〜な感じ」という曖昧な表現。心の中では「なんかちょっと違うんだけど」とか「こんな表現じゃ物足りない」と軽く否定している自分がいる。それでも他に言葉が見つからなくて、仕方なくその表現に頼ってしまう。ほんの少しだけ伝えたい気持ちを含んでいるのに、すべてを表しきれないもどかしさが募るばかりで。
いつか、言葉に頼らずに空気感や雰囲気だけで通じ合えるならどんなに楽だろう、と思うことがある。だけど、それもまた諦めの一つかもしれない。表情や仕草で分かり合える瞬間は確かに心が温まるけれど、言葉のないコミュニケーションは、どこか心の奥底にあるものを見逃してしまうのかもしれない。
だからこそ、曖昧さを恐れず、心の奥の方にある気持ちにもう少し素直になりたいと思う。言葉にするということの難しさも、その奥深さも、どこかで甘く、そして少しの苦さも感じている。それでもなお、言葉にする価値があると思うし、だからこそもっと言葉に誠実でありたい。
言葉にすることで、何かが変わるわけではないかもしれない。それでも、相手に届くと信じて伝えることが、少しでも自分の中の不安や迷いを消してくれる気がする。