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#3 新社会人、4か月とちょっと。

久々にnoteを書きたくなった。
前回最後にnoteを使っていた時は卒論関連で病み散らかしていたので、、、
開くのに若干の抵抗を覚えつつ、ではありますが。
お盆休みも折り返し。

先日、地元でお世話になっていたカウンセラーさんのところに顔を出しました。
そこで感じたことを主題に置きながら、、、ちょっと書いてみます。
具体的に何についてなのか、、、というとちょっとうまくまとまりません。会社という箱の中に身を置いてみて、感じてきたこと。考えていること。
これからどうしていきたいのか。
ちっぽけで。何か特別なことを書けるわけではないけれど。
自分自身の自己満足。のためでしかないのかもしれない。けど。
目に留まった誰かの気づきになればいいな。
綺麗に書こうとしすぎるとストレスを感じるので、多少雑なくらい、を意識して書きます。

「先天的」なところからのアプローチ

「勉強がつらい」は甘えなのか までは経緯的な内容です。

入社の経緯

税理士事務所に入社して4か月とちょっと。
大学の専攻は農学なので、簿記や税法のことなど全くさっぱりの状態で入社をしました。
会社を選んだのはオフィスが新しくて綺麗だから。立地が比較的いいから。
…って入社早々会社辞めていく人の典型みたいな理由だけで選んだわけでは一応なくて。
インターンで簿記会計をちょっとだけ教えてもらった時に
「なんとなく」できそうだな、と感じたから。
大学のように、学問に夢中になる学生の横で味わう疎外感がなさそうだと思った(簿記や税法を面白いと思って突き詰める人は相当レアだろう、と考えた)から。
「ゆくゆくは親を助けられるかもしれない」というそれっぽい理由が見つけやすかったから。
勉強やデスクワークと、人と関わるバランスが良さそうだなと思ったから。
(「それなりに真面目に勉強をしてきたわけだし、頭を使う仕事をしなきゃ自分の価値が上がらなくて不安」という固定概念みたいなものはありました。)
あとは、担当してくれた当時入社2年目の先輩がかっこいいな、と思ったから。人間関係がなんとなく良さそうな気がしたから。
仲介してくれた就活支援会社が『ここの会社は働きやすいと思うよ』と太鼓判を押してくれたから。
などなど、それっぽい理由はそれなりにあったと思います。
でも。
就活全般を通して、いやずっとその前から薄々感じていたけれど。
「本当に自分自身がそう感じていたのかはわからない」というもやもや感はずっとあって。
何となく、外から与えられた価値観に自分を当てはめにいっていたような

『好きなことじゃないなら、病むかもしれない』

これは大学生の時に通っていたカウンセリングルームのカウンセラーさんが言っていたことで(冒頭のカウンセラーさんとは別の人)。
カウンセラーさん自身、「潰しが効くから」という理由で金融機関に入社し、鬱を患った経験のある方でした。
紆余曲折の挙句入学した農学部の学問にもなかなか興味が持てずにいた僕が、進路について相談した時にこのような話になった記憶があります。
(その時に『頭を使う仕事』よりも『体を動かす仕事』の方がきつくならないかも、とは言っていただいていた、、、のにな。)

お金が好き。だったりとか。
数字に抵抗がない、だとか。
経営に興味があったりとか。
きっと税理士・会計事務所というやや特殊な業界でいえばこんなところでしょうか。
自分自身、元々理系科目が凄く苦手で、高校の文理選択では文系を選択しようと思ったこともありました。
ただ、家が医業をやっていたので、文系の道に進むことは許されないだろうという固定観念と。
「理系科目から逃げてはいけない」という半分刷り込みのようなものの影響で理系を選択した過去があり。
数学は浪人生の時に辛うじて面白さを見出すことができましたが、物理なんかはアレルギーレベルでさっぱり。
実際、入社までに簿記の勉強を能動的にしておく、なんて行動もしなかった。
「ああ、これはきっと病むだろうな」
という確信めいたものがありました。なのに、どこか他人事だったのはどうしてだろう。

会社は資本主義の縮図

この業界はどうしても業務に専門的な知識が必要。
ということもあり、僕が入社した事務所では約半年みっちり研修が行われることになっています。
他の税理士事務所なんかだと、入社早々「ハイ行ってらっしゃい」なんてことが割と普通だったりするみたいなので、そう考えるとかなり恵まれた環境なのかもしれません。
なので、実はまだ担当を持っていないし、正確に言えば事務所に収益を生み出していないフリーライダーです。

そんな中で、やっぱり会社内には
デキる社員 と デキない社員 がいて。
世の会社はどこもそうなのかもしれないけれど、どうしても後者はキツく当たられることが増えてしまう。
注意したり叱責する側も何も個人的にいじめたくてそうしているわけではないのはわかっているし、叱責される側に原因があるケースが殆ど。仕事を円滑に進めるうえで障害になることがあれば指導はしなくてはならない。学生時代と違って責任もつきまとうから。
でも、その様子を見ているだけで、とても苦しくなる。
本人にも自覚はあるけど、どうしても直せないケースもあるだろうし。

かく言う自分も、デキない側だという自覚があります。
実際に研修では1つ理解するのに同期の3倍時間がかかっています(誇張なしで)。
近い将来の自分を見ているようで苦しくなってしまうのかもしれません。
評価基準はかなり緻密に作りこまれているようで、公平さは担保でされている。その一方で、仕事の特性上、全社員に与えられる業務が殆ど同じであるが故に単純比較がなされやすいのかな、なんて思ったり。
元々人を負かすことに興味がなくて、寧ろ居心地が悪くなってしまう性格ということもあり。
平等の残酷さで日に日に心が闇に埋め尽くされるような、そんな感覚がありました。その影響か最近は世の中の暗いニュースを見ることも結構つらい。

組織の価値観

就活をしていると幾度となく「会社のビジョン」
バリュー?ミッション?(・・?)
…みたいなのを目にしませんでしたか。
組織が1つの方向を向くことってやっぱり大事なんだろうな、とは思いつつ。自分の心のどこかに何かが引っかかる感覚があるのも事実。
企業文化の1つ1つは筋が通っていて、ビジネスをするうえで大切なことなんだろうな、と頷かされるものが殆ど、、なんですが。
凄く息が苦しくなる、というか。
「期待に応えなきゃいけない」というプレッシャーを感じたり。
一方本心では
「会社のために尽くすなんてそんな生き方したくない」
と思っていたりもする。
『尽くすのが好きなタイプ』という性格診断や他己分析を鵜呑みにしすぎたのかな。違和感が心にへばりついて取れない。

「勉強がつらい」は甘えなのか

長々と順を追って書いて書いてきましたが、見出しの
「先天的」なところからのアプローチ
と関連するのはここの部分です。
皆さんは、勉強が好きですか?
僕は、嫌いです。多分。たいていの場合において。本当は。

AC(アダルトチルドレン)に関することもいつか書くんだろうな~とは思いますが。それはまたの機会に。
基本的に「今の自分じゃだめだ」と思って常に心が走り続けているような状態で。なので、
「勉強して、今の自分から変わらなきゃ」
と思って生きてきました。だから
「勉強が嫌い、はいけない在り方。勉強は好きであるべきもの」
なんて考えに毒されているような。
だから、勉強のやる気が出ない自分を常に攻め続けてきたし、なんとかやる気を出す方向でしか考えてこなかった。
心は常にガソリン切れを起こしていて、周囲からは「やる気がない」を思われてしまう状況も経験しました。
無理やりなんとかしようとした結果、ストレス反応で被害妄想のような考えや強迫観念に囚われるようになったり、見たことや聞いたことから不安がどんどん膨らんで眠れなくなったり。そんな風になっていく。
苦しみの根源は心をないがしろにしていることだけど、いつの間にかこれらの精神的症状の苦痛がメインになって、これが本当に本当にしんどかったりする。孤独感も相まって。
あまり人には相談できない部分だから。

それでも。
ACを始めとした、生い立ちに起因する原因が複雑に絡み合ってこれらが起きているならば、その考え方を変えれば真っすぐに進めるんじゃないか。
つまり後天的な人格形成に関するものにアプローチをかけていけば、今の「やりたくないこと」に対するアレルギー反応もなくなるんじゃないか。
「自分は社会に適合しにくい性格だから」と身動きが取れなくなる理由を作り出すのをやめられるんじゃないか。そうも思っていました。
現在進行形でAC克服のプログラムに取り組んでみたりしながら、
「やりたくなくても、とにかくやれば後からやる気は出てくるもの」
「習慣化してしまえば、何とかなる」
「他の人はやりたくなくても、やっているのだから」
「この程度で音をあげるのは甘えだ」
と無意識に思い込んでいた面もありました。

でも、先日、冒頭のカウンセラーさんにこう言われたんです。
『人よりも、”本当に興味を持てるもの”以外のことに対する拒否反応が大きいのかもしれない。それは生まれ持った気質的な部分が影響してるから、周囲の人と比べてその基準で自分を追い詰めることはしなくていいんですよ』
と。
周りの人は『まあ、とりあえずやるか』でできてしまうことが、どうしてもできない。
それはいけないことだとずっと自分を追い立ててきた自分の中の何かが、ガタガタと音を立てて崩れ落ちた、そんな感覚でした。

だから、もし、似たような苦しみを感じている人がいたら、
『これは自分の生まれ持った素敵な特性かもしれない』
と考えてみることで、少し楽になるかもしれない。
高校生くらいまでの、一律で同じ勉強をする立場の人は特に。
「先天的に生まれ持った人格は変えられないもの。後天的に形成された人格は変えられるもの。」
そのようなものとしか考えてこなかった自分からしてみると、かなり大きなきっかけになるかもしれないな、なんて思ったりしました。

「いろいろなものに好奇心を持とう」「興味の幅を広げよう」
それが是とされがちな風潮があるけれど。
まずは今、自然に夢中になれることがあれば、それをとことんやってみる。
それだけで、十分素敵です。きっと。
そこに大きなパワーが秘められているかもしれないから。
巷でよく言われる
答えは自分の中にある
ってのも、関係しているかもしれないですね。

「人に頼る」の人間らしさ

何でも一人でこなせてしまう人って、いますよね。
器用貧乏、じゃないですけど。
それができる人は、それが大きな強みになるんだと思います。
けど、自分はもしかしたらそうじゃなかったのかもしれない。
それならば、自分に嘘をつくのをやめて、
とことんできること、得意なこと
を極めてみるのも一つの生き方なのかもしれない。
自分が苦手なこと、
「なんでこんな面白くないことに興味を持てるんだ」
と思うことに関しては、それらを得意とする人に思い切って頼ってみる。
そうしたら、きっと向こうも自分の凸になっている部分を頼ってくれる。
理想論かもしれないけれど、そんな生き方をしてみたい。
なんとなく、それが人間らしいような、そんな気もするのです。

「誰かがかけても、誰かがカバーできる組織」
今の会社の風土には、もしかしたら自分は適合できないのかもしれないな。
そんなところに、思い至ったりした。
この業界にこの先もいることが想像できなくなってしまった。
自分で選んだのに。
幸せになるのが怖くて。
苦しみたくて、自分で選んだんだから。
希望通りじゃん。
…苦しいな。

感情を出せる場所の大切さ

そんなこんなで、4か月とちょっと。
毎朝、
「うわあ、会社行きたくない。つらい。見るものすべてしんどい。」
そんな気持ちを引きずりながら無理やり体を動かしてきた。
やっぱり心にはダメージが溜まっていたようで、カウンセラーさんの前で話し出すと感情がだばーっと出てきて4か月分泣いた。(-.-)
カウンセリング後、信号待ちで立ち止まっている時に。ふと。
「こんな風に、感情を出せる場所があるのってすごく幸せなことだな」
と思った。
「恵まれているから、頑張らなきゃ」
じゃなくて。「ただ、幸せ」。

喜怒哀楽は繋がっている、らしいじゃん。
まだ完全に出せるようになってはいないけれど。
だから、悲しい気持ちを開放できたことで、凄くすっきりして。
ちょっと冷静になれた。
ACのセッションで
「感情を出し切ってやらないと、そこに引っ張られてしまう」
と聞いたけど、まさにそれだな~と。

心の居場所は多ければ多いほどいい

今回、カウンセラーさんにかけて頂いた言葉は自分にとって凄く必要なものだったと思う。
けど。
受け取り手が同じ自分であったとしても、場合によっては
『もっと頑張らなきゃ』と発破をかけてもらう必要があることもあるだろう。
この考え方は受け売りだけど。
誰も傷つけない言葉はないし。誰もの救いになる言葉はない。
それはさらに同じ人であっても状況によりけりだ。
だから心を置いておける場所が、きっといくらあってもいいと思う。
受け取る側にそれらの矛盾を受け止められる寛容さがあるのなら。
自分もこれからもそういうものを諦めずに探し続けるだろうし、
自分の何でもない発信が、誰かのそんな場所になれたら、それは凄く幸せなことだと思う。

大学のレポート以来、こんな3時間もぶっ続けで文字を打った。。。
でも全然苦痛じゃない。
内容はともかく。。。

何か、考えたことなどあれば、気軽にコメント打っていただけると嬉しいです!
次はいつ帰ってこれるかわかりませんが(~_~;)

おまけ① 従兄弟のミュージカル鑑賞

先日、カウンセリング後、愛する従兄弟のちびちゃんたちが1年間練習してきたミュージカルを鑑賞してきた。奇跡的に帰省のタイミングと重なった。

「僕の明日は僕のもの」なんて歌うから。思わず泣きそうになった。

「小学校のお遊戯会レベルだろうな」
なんて思っていたけど。
昭和の子どもと令和の小学生の子どもの価値観の違いがテーマになっていて。脚本にも想像を遥かに超えて引き込まれた、、、😭
そして何よりも、小学生から高校生までの年代の子達が一緒になっての全力の演技。子供たちの全身から発せられるエネルギーに、凄く元気をもらった。感性がめちゃくちゃ育まれるだろうなぁ、って思った。なんか自分もやってみたくなった。
そして「自分でも感動できるものがあったこと」自体も凄く嬉しくて。本当に感謝です。
完全にエゴだけど、子どもが欲しいと思ってしまった。
人として欠陥だらけだから、親になんてとても、、と思ってきたけど。
そこまで厳しく自分を責めなくてもいいのかなぁ。

たくさんセリフあって緊張したはず。頑張った!!🙌


おまけ②「なんかぴったりくる」カフェを見つけた話。

これは、ミュージカル鑑賞ののそのまた翌日に、とある場所で見つけたカフェ。
女性のオーナーさんがとても穏やかな印象。
そして何より、陳列されている本が自分の趣向と見事に合っていて。
凄くおちついた。
外を見て「あれもこれも興味が持てない」とか言わずに。
自分の興味があるジャンルを深めていってもいいんだよな、なんて思った。

あと他のお客さんの会話に心の中で激しく同意したりした。
やっぱ似たような人が集まってくるのかなぁ、なんて。思ったり。

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