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福田和也先生のご逝去に寄せて(あるいは才能の無さを教えてくれたお礼)

文芸評論家の福田和也先生が亡くなったというニュースを見て、急いで筆を執った。

大学時代、福田先生の授業を受けていた。
先生はいつも二日酔いなのか気だるそうに授業を始めた。毎週課題図書を出し、それを読んできた上で、先生の解説を聞くのだ。

フランクルの「夜と霧」やスタンダールの「赤と黒」、日本文学なら高見順の「いやな感じ」や高橋和巳の「邪宗門」等など。その時は課題だったから嫌々読んだだけだったのだけど、後の人生大きな影響を与えたし、夜と霧なんかは座右の書となった。

そんな本との出会いを創ってくれた福田先生は、昨日のワインが抜けてないのか、かったるそうに解説をするわけだが、授業も後半になろうとすると、何かが乗り移ったように作品の評論を僕たちに激しく語るのだ。自分の体から魂を削り取って、それを投げつけてくるような。

終わったら鳥肌が立って、動けなくなったことが何回かあった。文学は、思想は、なんて奥深く、面白いのだろう。

そこで大学1年生だったが、福田ゼミに入った。短編小説を書いて、ゼミ生同士で読み合い、福田先生にも採点してもらう、という今考えると、とんでもなく贅沢な機会だった。

本は人一倍読んできた。短編ならいけるだろう。きっと認めてもらえる。

そう思って書いた初めての作品は、先生の赤字でD---と殴り書きされていた。

なんてこった。

毎回新作を書いて読んで頂いたが、点数は最高でもB-止まり。褒められることは一度もなかった。

そして自分の作品がイケてないのは、自分が一番良くわかった。周りの生徒たちの作品を読むことで、否が応でも認識させられる。

スウェーデン人と日本人の両親を持つ女友達が同じゼミでいたのだが、彼女の描く、言葉の通じづらい父親への愛情と違和感のない真風になった感情や、何人でもない自分への不安など、自分では絶対に書けない繊細な感情を読んで、絶望した。

「俺には、才能がない」

脚本家か詩人になりたかった僕は、完全に打ちのめされたのだった。挫折だった。

そこからなんとなく経営学の一分野である戦略論を学ぶこととなり、流れで学生ITベンチャーの経営者になり、卒業と同時にNPOを起業する。日本に輸入されてほやほやの生まれたばかりの「社会起業家」というタグを後から貼ってもらえた。

結局その顛末を「「社会を変える」を仕事にする」という本にまとめて出版することとなり、2000年代の社会起業ブームに火をつけることとなった。才能がないなりに本を出せたのは、あの時の福田和也ゼミで文章の書き方を学べたからだった。

そう、福田和也先生は、僕の人生に少なからぬ影響を与えてくれた恩人だ。だから、もう先生はいないけれど、今からでも先生の作品をみんなに読んでもらえたら嬉しい、と思う。

たくさんの作品はあるのだけど、若い人には「岐路に立つ君へ」をお勧めしたい。

最後に、そこから引用をしたい。

別に望んで生まれてきたものでもない、好ましい境遇に生まれたものでもない。何一つ思い通りにならないこの人生を、何とか、渾身の力で、少しでも納得のいくものにしていくことは、なかなかに面白い事業だ。
この事業、懸命に生きるということは、けして空しくないし、無意味ではない。

君が懸命に生きるということ、それ自体が、君の周囲に、友人に、仲間に、職場に、隣人に、ある種の「輝き」をもたらし、「思い」をもたらし、そしてその他者と共有された「響き」は、生死を超えた大きな持続とともに存続し続けるからだ。

「人生の意味」ということを考えた時に、そこにはどうしたって、周囲とか、持続とかいうものが出てくる。つまり、仲間と年月だけが、意味をもたらす。「響き」として、「輝き」として。

岐路に立つ君へ 価値ある人生のために」(小学館)より

福田先生、先生は僕の中に「響き」をもたらしてくれました。
その「響き」は、僕の中に生き続け、そしてそれは僕の触れる人々へと波紋のように伝わっていき、新しい「響き」を生んでいくでしょう。

いつかそっちでまた、魂を叩きつけるような授業を聴かせてくださいね。
ご冥福をお祈りいたします。

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