忙しくて書けてなかったのだけど、奇跡みたいなことが起きた話をしたい。
僕の祖父は高橋金蔵と言う。物静かな、造り酒屋の息子だった。彼は、20代前半で戦地である硫黄島に赴き、2万人近くの仲間とともに死んでいった。
金蔵からの手紙が残っていて、その手紙のほぼ全てに、まだ赤ちゃんの息子の章喜(あきよし。後の僕の父親)を思いやる言葉が並んでいた。
「章喜はどうしているか心配しています」
「章喜のことが心配でならない」
「章喜に何か間違いでも起きたか至急返事をくれ」
自分が地獄のような(そして後に実際に地獄になる)最前線にいるにも関わらず、息子ばかりを心配する若い父親。
思わず微苦笑してしまう。
そんな彼が、どう亡くなったのか、僕ら遺族は分からない。遺骨も身の回りのものも、何も残っていない。何も戻ってきておらず、硫黄島に放っておかれたままだった。
【嘘みたいな本当の話】
4年前の11月のある日、アメリカの博物館から実家の父親に連絡があった。
僕は驚愕した。
金蔵は、
おじいちゃんは
戻ってきたのだ。
あんなに心配して、ずっと会いたがっていた息子のもとに、還ったのだ。
80年の時を越えて。
良かった・・・!
良かったね、おじいちゃん。
本当に、本当に。やっと。
おかえりなさい。
会えて、会えて嬉しいよ。
あの時の赤ちゃんは、もう老人になってしまったけれど、でもあなたを想う気持ちは、ちっとも変わってないよ。
今日は終戦記念日。
僕と父親に起きた、ちょっとした奇跡の話を、書き残してみた。
祖父と時代を超えて出会わせてくれた、バトンリレーを繋いでくれた日米の人々に、心から感謝を。