神仏探偵・本田不二雄が案内する 「TOKYO地霊WALK」 vol.8
赤坂のふたつの“尾根”をめぐり
古代のミステリーと出会う
【赤坂・前編】
赤坂のまちが発展したきっかけとは
「赤坂」とは、現在の赤坂見附から四谷方面に上る外堀通りの坂の古称で、その上り口ふきんに建てられた江戸城の門に赤坂の名が冠され(赤坂御門/赤坂見附)、やがてこの一帯の地名になったといわれています。
古地図の左上をよく見ると、「赤坂御門」のほか、「アカ坂一ツ木丁」「アカサカ表デンマ丁」などの文字が見えます。
ちなみに、かつての赤坂は現在「紀伊国坂」と呼ばれています。それは、隣接する赤坂御用地が江戸時代に紀州(紀伊国)徳川家の屋敷だったことによるもので(現在の地名表記では元赤坂)、結果、この紀州徳川家の存在が赤坂というまちの発展の礎になったと考えられています。
さて、今回はまず、東京メトロ「赤坂」駅から南西の赤坂氷川神社を目指します。
アクセスの目印は「勝海舟邸跡」。そこから南につづく急な坂(本氷川坂)を上ると、やがて鬱蒼とした杜があらわれ、脇門から境内に入ると、趣ある築地塀に囲まれた神域が目に入ってきます。
先ほどの赤坂の雑踏とはまるで異なる空気感。駅から徒歩7、8分で出会う江戸の風情がここにあります。
氷川神社の御祭神は、素盞嗚尊と奇稲田姫命および、その子孫とされる大己貴命(大国主命)。御神徳は厄除けと縁結び、家内安全、商売繁昌とのこと。
社伝によれば、平安時代に東国を遊行していた僧が赤坂一ツ木村で祭神のお告げによりお社を祀ったのがはじまりで、干ばつの折に祈ったところ、たちまち雨が降ったという霊験が伝えられています。
のち江戸時代の中期、紀州徳川家の吉宗公が8代将軍となったことで、屋敷のある赤坂一ツ木の地主神・氷川明神への崇敬が高まり、しかるべき場所に新たな社殿を造営すべく、現在地に遷されました。享保15年(1730)のことです。
赤坂の総鎮守に潜む注目ポイント
社地に選ばれたこの地は、西北-北東に崖をなす高台で、外濠(堀)や溜池(さらにさかのぼれば江戸湾の入り江だった?)を見下ろす場所にあります。
こういう場所はもしかして……。
そんな本田の読みどおり、ここは東京に残る古墳参考地のひとつでした。
『赤坂区史』(1941年)には、当時の宮司のこんな談話が載っています。
「明治11年頃、『前方土塀の西角』のあたりで大杉の根株を除くために掘り下げたところ、地下約1.2~1.5mで『古剣』を発見。また鍬の先が大きな『石板』に当たり、慌てて埋め戻した」
また、明治の考古学者・野中完一氏は、社殿裏手で管玉や須恵器片を発見し、「当地に古墳の存せしも破壊撹乱されたる結果ならん」と考察しています。
この境内地には何かが眠っているようです。
江戸中期に遷座する以前の情報は皆無ですが、ともあれこの地は、大昔に(おそらく)古墳が築かれ、長い歴史の空白ののち、赤坂の総鎮守を祀る場所としてふたたび選ばれたわけですね。
ほかにも注目のポイントがあります。
狛犬ファンいわく、「東京で狛犬を観るなら赤坂氷川神社」。
なかでも楼門前の一対に注目です。延宝3年(1675)の銘があり、聞くところでは東京で2番目に古い石造狛犬とのこと。ずんぐりしたシルエット、頭頂部が凹んだ古風なスタイルが、何とも可愛くてたまりません。
のみならず、特筆すべきなのは、異なる特徴をもつ狛犬像が7対も揃っていること。上記の江戸前期のものから、江戸後期、明治、大正、昭和と、各時代のデザインを一か所で見られる(保存状態も良好)のがポイント高しなのです。
もうひとつ注目したいのが大イチョウ。社殿正面の参道脇に一本、その奥にさらに巨大な一本がそびえ立っています。神社HPによれば、幹回り7.5メートル、推定樹齢は400年で、神社が遷座する以前からこの地に立っていたとのこと。いわば赤坂のヌシですね。
ところが、木の背後に回ってみると、思わず声を失います。
何と、幹(木芯部)のほとんどが焼けて失われているのです。1945年の東京大空襲の際の焼損といいます。だとすれば、この木はみずから盾となり、身を焼かれながらも、今も建立当時の姿を保つ氷川神社の社殿を護ってきたといえるでしょう。
本社の崖下にぽっかりと開いた謎の穴
では、境内の東側、二の鳥居からつづく参道の石段を下ってみましょう。
ここでまた風景が一変。より鬱蒼とした木々が日陰をなす一画となります。左(北)に見えるお社は、近郷の稲荷4社を合祀したことから「四合稲荷」(勝海舟の命名)と呼ばれていますが、問題はその隣、崖沿いに建つ「西行稲荷」です。
そのお社は崖の中腹にあるのですが、注目はお社の真下にぼっこりと開いた「穴」です。
これは何でしょう。穴の手前にはフェンスがあり、その奥は見えませんが、供物が置かれ、祈りの場になっています。この「穴」は西行稲荷と一体かといえばそうでもないようで(西行稲荷は「火伏の稲荷」として信仰されていますが、もとは別の場所に祀られていたらしい)、神社の方に聞いても「昔からあったのか、防空壕などに使われていたのかは不明」とのご回答。
だとすれば、東京の稲荷社でしばしば見られる「狐穴」(稲荷の神使キツネが出入りしていたとされる穴)なのでしょうか。今はそんな伝承も伝わっておらず、不明としかいいようがないのですが、可能性として、もとは古墳の横穴(あるいは横穴墓)だったものが、のちに狐穴とされ、稲荷信仰の拝み場になったのではないか、などと筆者は想像するのですが……。
本連載のvol.5上野・前編で「穴稲荷」を紹介しましたが、東京では狐穴と稲荷信仰が結びつく例が多く、ときに古墳の横穴(横穴墓)が狐穴になったと思しき例も見かけます。以後も折にふれ、そんな“地霊スポット”を紹介していきましょう。
山王さんの眷属「神猿」のご利益
では次。赤坂氷川神社から徒歩12分の日枝神社に向かいます。
正確にはここは赤坂ではなく千代田区永田町なのですが、よく「赤坂の日枝神社」と呼ばれるほど、このまちと一体化したスポットです。
目印は、「山王下(日枝神社入口)」交差点から見える白い山型の山王鳥居。エスカレーター付きの参道が現代的です。
日枝神社の主祭神といえば、大山咋神。
もとは京都府と滋賀県の境に位置する比叡山の神で、その別称が「山王」。「ひえ」の読みは比叡の転訛です。つまり、山王を祀る比叡山由来の神社が日枝神社なのですね。
山王神は古来、平安京の鬼門守護として崇められ、のちに各地に分霊されますが、将軍徳川家もまた江戸城鎮守としてこの神を重んじ、江戸城の改築による遷座を経て、この地に鎮座されました。万治2年(1659)のことです
こうして江戸時代、日枝神社は江戸城鬼門(北東)の神田明神とならぶ裏鬼門(南西)の守護神として崇敬され、明治維新ののちは皇城鎮護の神社として引きつづき崇められてきました。
そんなわけで、権威と格式の高さを誇る日枝神社ですが、とりあえずは、この神社ならではのキャラクターに注目してみましょう。
その名も「神猿」。正体は、大山咋神の神使(眷属)とされるサルです。そのお姿は、楼門の中および拝殿の手前に一対でおられますから、お見逃しなきよう。
面白いのは、「まさる」の語呂が「魔が去る」「勝る」に通じることから、魔除け、厄災除け、勝運、立身出世のご利益があるとされ、猿が「えん」と呼ばれることから、良縁をもたらすといわれていることです。
せっかくの機会、お参りついでに神猿にちなんだ各種お守りをいただくのもありですね。
日枝神社が祀られる独立丘・星ヶ岡の謎
さて、日枝神社の境内地を歩くと、ここが周囲からせり出した高台(丘)をなしていることがわかります。かつて「星ヶ岡」と呼ばれたといい、南西に溜池(外濠)を見下ろすこの丘は、もとより神祀りの場にふさわしい特別な場所だったことを思わせます。
やはりというべきか、氷川神社と同じくこの境内地も古墳の参考地でした。
明治期の地図を見ると、星ヶ岡の北側にふたつの小丘が突き出ており、かつて日本の人類学・考古学を主導した鳥居龍蔵はこう書いています。
「此処(日枝神社)にも原史時代の古墳がある。この古墳も瓢形(ひょうたん型)をして居るが、多分昔の前方後円の崩れたものであろうと思う」(「東京市内の古墳調査巡回の記」1927年)
残念ながら、発掘調査などはいまだ行われておらず、当時の瓢形の形状も失われ、鳥居氏の推論を裏付けるものはありません。ですが、特定の地理的条件を有する眺めの良い場所が有史前から特別視され、聖地として更新されてきた。そんなことを物語る「場」がここにもあった。そう筆者は思うのです。
想像ついでに申し上げれば、「星ヶ岡」という地名も、かつてこの場が知られざる祭りの場だったことを示唆するものかもしれません。
さて、日枝神社の神域脇(かつての瓢形の小丘を望む場所)にはふたつの小社が並び建ち、向かって右には猿田彦神社と八坂神社の合祀社、左には山王稲荷社が祀られています。なお、左の拝所脇にはキツネの人形がずらり並んでいますが、これは「御眷属奉納」といい、稲荷の使い(御眷属)であるキツネに願いごとを書き、奉納する作法とのことです。
赤い幟が林立するこの場は、表の日枝神社とはまたちがう空気感が漂っており、その風情は、赤坂見附側に下る石段にびっしり奉納されている朱の鳥居へとつづいています。
では、この赤いゲートをくぐって下界へと下りてみましょう。ちなみにこの石段は、近年“映えスポット”として大人気です。
では次回、尾根の聖地につづき、赤坂の谷間に潜む寺社をめぐってみましょう。
【後編につづく】
文・写真:本田不二雄
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【著者プロフィール】
本田不二雄(ほんだ・ふじお)
「神仏探偵」として、全国の神仏方面の「ただならぬモノ」を探索することを歓びとするノンフィクションライター。駒草出版の三部作として好評を博した『ミステリーな仏像』、『神木探偵』、『異界神社』(刊行順)のほか、そこから派生した最近刊『怪仏異神ミステリー』(王様文庫/三笠書房)、『地球の歩き方Books 日本の凄い神木』(Gakken)などの単著がある。
Xアカウント @shonen17