サエキけんぞうのコアトークvol.91「なぎら健壱と高田渡を語る」イベントレポート ③ URCとフォークの黎明期、そして高田渡の曲作りの秘密
開催日:2021年3月31日(水)
会場 :LOFT9 Shibuya
3月31日、渋谷のLOFT9にて行われた「サエキけんぞうのコアトークVol.91」レポートの3回目です。サエキさん、そしてゲストとして登壇した『高田渡に会いに行く』の著者、なぎら健壱さんの尽きることないフォーク談義の続きをお楽しみください。
URCレコードとは?
なぎら そこ(レコード倫理委員会)がいろいろ審査をすると「この歌、駄目」。先ほど言った「くそくらえ節」駄目。「ほんじゃまあおじゃまします」駄目。「イムジン河」駄目。何でも、駄目、駄目、駄目なんですよ。それでじゃあ、駄目なら、われわれでレコード会社をつくろうという動きがあって、出来たのがURC(*1)、アングラ・レコード・クラブですね。クラブって何かっていうと、会員制だったんですね。1万円、最初に払うんです。
サエキ 1万円、高校生に払わせる。
なぎら そうです。それで、5回送ってくるんですね。1回につきLPが1枚、シングル盤が2枚。第1回目のアルバムは、片面が五つの赤い風船でもう片面が高田渡さん。
サエキ 高田渡さんがA面と考えていいですよね? これ。
なぎら いや、関係ないんじゃないですか、A面、B面は。
サエキ でも、CDだと高田さんがA面になってることになりますね。CDは高田さんから始まりますから。
なぎら 最初のCDは別々に売ったんですよ。
サエキ あ、そうですか。
なぎら だから、すごい短いんです。
サエキ 有名な話なんですけども、MCでよく高田さんは「片方は紙やすりで削っていただいて構いませんから」って言っていたとか。
なぎら 西岡さんも、「片一方は削ってください」って言ってました。LP以外にシングル盤が2枚ついて、1枚が「イムジン河」なんです。
サエキ フォークルではなくミューテーション・ファクトリーが歌った……。
なぎら だから、普通に流通させられないから会員制にして、会費1万円で5回に分けて頒布したんですね。
サエキ つまり、直ルートですね。直接、お金が秦さん(URC代表)のところに入ってくる。1万円札がバンバン、高校生とかから送られてくるんですね。画期的なシステム。お札がどんどん、現金書留で送られて来る……。
なぎら それで、当初は300枚くらいの予定だった。
サエキ ……という触れ込みだった。
なぎら でも実は、裏でばんばん売ってて。
サエキ 2000枚はいったんでしょ?
なぎら 5000枚。それで配布の4回目ぐらいのときに、手を挙げてくれたレコード店に置けるようにしたんです、問屋を通さないで。全国で200軒ぐらいあったのかな。
サエキ 実は市川市の本八幡に、音曲堂と言ったかな、そういう店があって、URCのレコードが置いてあったんです。そこで僕は『わたしを断罪せよ 』(岡林信康 URCレコード 1968年)を買ったんです。最初の5枚は売ってなかったけど、これはすぐに入ったんです。
なぎら へぇ~。
サエキ 僕は端の端ですけど、味わいました。ローリング・ストーンズ、ビートルズはかなりメジャーな感じで、ちょっと違うけど、ジャニーズみたいに売られてました。要するに、黛ジュンとか、そういうヒットソングと同じように、洋楽も享受していた部分がある。でもURCっていうのはね、かっこいいんですよ、すごくアウトサイダーでロックな感じで。学生たちに支持される最先端の音楽、そういう風情を醸し出していた。
なぎら ありましたね。同時期にインディーズでELECレコード(*2)っていうのが出るんですけどもね。最初は土居まさるさんの「カレンダー」っていう歌です。
サエキ もう亡くなられましたけど、あの有名な。
なぎら 料理を作ってるドイマサル(土井勝)さんじゃないですよ(笑)。
サエキ ディスクジョッキー、文化放送のね。
なぎら そうです。みのもんたさんの師匠ですね。だから、みのさんのしゃべり方が最初、土居さんそっくりでしたからね。そのあと出たのが『古い船をいま動かせるのは古い水夫じゃないだろう』(広島フォーク村/吉田拓郎在籍)かな。
サエキ ま、ELECのことはいずれどこかでやるとして……。
なぎら そうですね。ただ、二大レーベルができたことで、これが切磋琢磨するっていうのもあるんですよ。
サエキ 要するに、インディーズは今と全く変わらないです。そういう意味では、こういった音楽は時代の先端であり、何か新しい脈動がこの中で起こってるって確かな手応えを与えてくれていた。なぎらさんは高校2年だったわけですよね。
フォークが目指していたもの
なぎら (ビールのお代わりを頼みながら)医者から飲むなって言われてるのに……。
サエキ 僕は歯医者だけど、正直言ってね、なぎらさんにはもう飲んでいただきたいです。きょうはもう盛り上がって、それの勢いで医者をぶっ飛ばすと。
なぎら ビールぐらいじゃ、あたし、全然、酔えないんです。
サエキ さっき、「眠れない」っておっしゃってましたけど、2時に飲んだ睡眠薬で「眠れない」から焼酎飲んで、焼酎だけでもまだ薄いから、ウイスキー入れたっていうじゃないですか! これね、体おかしくするに決まってますよ。そんな人に向かってね、きょう飲むなとは言えないですね。
なぎら 本当ですよ。
サエキ 一緒に飲みたいじゃないですか。
なぎら 医者から薬5種類出されてんですからね。3軒、医者行ってるんだけど、どうもよくわからない。それで、ついに明後日、大学病院。
サエキ その生活がわからないんです、要するに。生活習慣が理解できないだけです。
なぎら そうだよね。
サエキ そうなんです。生活習慣を改めればいいんですよ。
なぎら それでどういうふうに悪いかって説明するのいやだから、症状をワープロで全部打っちゃって……すごいっすよ(笑)。
サエキ でも、大事なことが欠けてると思います。なぎらさんの生活に対する根本的な姿勢が間違ってるということを、僕はそのお医者さんに言いたい。
なぎら 「先生、お酒を飲んだ次の日にちょっと悪くなるような気がするんです」「どのぐらい、たしなみますか」「何で換算すればいいんでしょうか」「いや、例えばビールとか」「ビール? 換算できませんねえ」「じゃあ、焼酎」「酎ハイ、10杯、からかな」 先生も、「うーん」、なんて言ってましたね。
―会場 爆笑―
サエキ ですから、いまさら調子が悪いって言われてもね。
なぎら いや、私の病状は置いといて……そうしてURCができました。
サエキ はい、URCできました。その頃に第1回販売だったら、グループサウンズはもう終わりかけてるんですよね。「エメラルドの伝説」(ザ・テンプターズ フィリップス・レコード/日本ビクター 1968年)を歌ってるのはショーケン(萩原健一)です。「♪ 湖に僕はひざまずき~」 こういうのを歌ってる人はかわいそうだなと思ったって、なぎらさんおっしゃってましたよね。これは刺激的な一言でしたね。「♪ 湖に僕はひざまずき、緑の水に口づける~」これは、人生としていかがなものかと。そういうことですよ、要するに。そういうことを歌っていていいのかってね、もっと世の中に悲惨なことが、ベトナム戦争とかも起こってるのに。
なぎら あたし、そんなこと言いました?
サエキ この雑誌(『レコード・コレクターズ』)の中でおっしゃってます。これ、重要なことでね。こちらのほうもね、余裕があれば買っていただければ。ここが、グループサウンズとフォークの分水嶺です。
なぎら だから、フォークが目指してるとこはそこじゃないだろう、ということですね。
サエキ リアルな人間を見て、歌おうと。
なぎら そう、だから。いわゆるグループサウンズは歌謡曲の延長だったんですよ。
サエキ そうです、歌謡曲ですね、シングル盤中心の。
なぎら 「♪ 花咲く、娘たちは~」 グループサウンズがこういうことを歌っていたのに、フォークシンガーは「♪ 骸骨がケラケラ~」 そういうふうに変わっちゃったんですから。
サエキ 全然、違いますね! すごい違う。いやあ「花咲く娘と骸骨」……相当、違う。
なぎら その中のひとりに、高田渡さんがいたわけです。
独特な感性と発想による高田渡の曲作り
サエキ すみません、高田さんの歌、何でもいいから歌っていただけないですか。
なぎら 「♪ ぞろりぞろりとはいゆく先は、右は脇の下、左は肩よ~」「しらみの旅」((『ファーストアルバム ごあいさつ』ベルウッド・レコード 1971年)に収録)です。
サエキ しらみの歌ですからね。これは、グループサウンズとは違います。メジャー・レーベルから出たんですけどね。
なぎら 「♪ 冷やそうよ、冷やそうよ、どんどんどんどん冷やそうよ、ほら鳥肌がたってきた、鳥肌がたってきた~」((高田渡/五つの赤い風船『高田渡/五つの赤い風船』URCレコード 1969年)に収録) これ、ハンク・ウィリアムズ(*3)の「♪ I saw the light、No more darkness~」 「神の光を見た」っていう歌。
サエキ 「神の光を見た」が「冷やそうよ」になっちゃう。この歌詞のセンス、すごいですねえ。
なぎら さっきの「♪ ぞろりぞろりとはいゆく先は~」ってのは、『Wabash Cannonball』っていうカントリーの、いわゆるホーボー・ソングですね、列車の歌ですよ。だから、内容は全然、無視してんだね。
サエキ 曲の捉え方は非常に素晴らしいし、ギターも素晴らしい。でも、歌詞は全く違う方向からぶつけてる。
なぎら そう。何て言うんですかね。例えば、「♪ ぞろりぞろりとはいゆく先は~」というこれね、(添田)知道さんっていう人が書いた『演歌の明治大正史』(岩波新書 1963年)に載ってたんですよ。ところがね、元歌がわからないんですよ、元のメロディーが。譜面が載ってたものもあったんですが、渡さんは譜面読めなかったから。でも、その詞が面白いなっていうことで、外国の曲をぶつけてるんですよね。
サエキ 演歌というのは、明治期、自由民権運動の中で生まれたもので、演説だと逮捕されちゃうけど、歌だったら逮捕されないという事情から生まれたものですね。
なぎら 「オッペケペー節」とかね。
なぎら
「♪ 権利幸福嫌いな人に、自由湯をば飲ましたい、あら、オッペケペー、あら、オッペケペー、オッペケペッポーペッポッポー、かたい上下角取れて、あら、マンテルズボンに人力車、粋な束髪ボンネット、貴女に紳士のいでたちで、うわべの飾りは立派だが、政治の思想が欠乏だ、心に自由の種をまけ、あら、オッペケペー、あら、オッペケペー、オッペケペッポーペッポッポー~」
なぎら というような歌ですね。
―会場、拍手―
サエキ 演歌っていうのは、本来は、森進一とかが歌っているものとは違うと。本当の演歌っていうのは、自由民権運動を背景に生まれたプロテストソング。後で意味が曲解されてしまった。
なぎら 演説の歌だから、演歌と書くわけですね。それでね、高田渡さん、そういう詞はたくさん知ってるんだけど、元歌は知らないんですよ。
サエキ 元歌を聴く手段がなかった。
なぎら そういうことです。
サエキ 要するに、詞が載っている本はある。本はあるんだけれども、レコードがないんですよね。今はあるんですか?
なぎら 当時も探せばあったんですけどもね、手に入りにくかった。
サエキ というわけで高田さんは取りあえず、目に見えるものの中で……。
なぎら 付けちゃえと。
サエキ 目に見えるものの中で。
なぎら 「♪ ぞろりぞろり~」これ本当はですね……。
サエキ これね、本当に重要です。なぎらさんが復刻いたします。
なぎら 「♪ ぞろりぞろりとはいゆく先は、右は~」こういう歌なんですよね。
サエキ 拍手でございます。これが「しらみの旅」の本当の演歌の音。これ、どうやって知ったんですか。
なぎら この歌にもね、元歌があるんです。「流浪の旅」(作詞・作曲:宮島郁芳・後藤紫雲)という歌で、「♪ 南はジャバよ、北はシベリア~」って、そういう歌。
サエキ 全然、違う歌ですね。旅の歌かもしれないけど。
なぎら それをまた、添田唖蝉坊(そえだあぞんぼう)っていう方が詞を借用してやったんですけども、高田渡さん、その歌も知らないもので、いわゆるカントリーソングに乗っけた。それがかえって面白かったんですね。
サエキ そのカントリーに乗せたっていうのは、戦後日本のポップス史の中でのメルクマールなわけで、本当にね、素晴らしい発明だったと思うんです。特にリズム感において、すごい……。
なぎら 高田渡さんの最初のアルバムの全曲の元歌を、あたし、本(『高田渡に会いに行く』)に書いております。
サエキ この本は、資料としてはそこがすごいんです。元歌が出てる。しかもね、Spotifyで全部、聴ける。Spotifyに“高田渡と元ネタ”というソングリスト、私が作っております。
なぎら 何てことするんだよ!!
―会場 爆笑―
サエキ まだ三人しか聴いていない(笑)。
なぎら あ~あ。
サエキ でも、全部聴けちゃうわけですよ。素晴らしい! デジタル社会は、本当に。それで、高田さんはね、全然リズムを損ねてない。
なぎら 高田渡節にしちゃってんだよね。それはすごいと思いますよ。
サエキ 高田さんのほうを聴きたいと思わせる。
なぎら そう、元歌、どうでもいいやという感じになってね。
サエキ なっちゃう。
なぎら 先ほどの「I Saw The Light」なんてね、違う歌にしちゃってんですよね。
サエキ だって、「冷やそうよ」だから、同じ気持ちになれない。「主の光を見た」っていう歌がね、「♪ 冷やそうよ、冷やそうよ~」になってるわけですから。
なぎら 「♪ どんどんどんどん冷やそうよ~」
パク〇か借用か
サエキ そこでお聞きします。この高田さんのセンスってどっから出てきてるんですか。
なぎら だからね……最初はセンスじゃなかったと思うんですよね。
サエキ センスじゃない?
なぎら 自分のこの詞をうまく表現するには、この曲を借用する。借用するってのは言葉きれいですよ。パク〇ですよ。
サエキ パク○ですね。
なぎら いわゆる盗〇ですね。盗〇するのが楽であるということを発見したんですね。当時、高田渡さんご本人が「日本語はアメリカの曲に合う」って言ってたんですよ。
サエキ 日本語が「合う」って言ってる人、なかなかいないですよ、全然、違うから。
なぎら 本当は合わないです。それを無理やり合わしちゃう怖さですね。
サエキ 僕ね、この高田さんの話で思い出すことがあるんですけど、シーナ&ロケッツの「レモンティー」((『#1』エルボンレコード 1979年)に収録)、これ「Train Kept a Rollin'」でしたっけ? 誰でしたっけ、あれ?
―会場から「ヤードバーズ」―
サエキ そう。それと同じ曲なんですよ、作曲・鮎川誠って書いてあるけど。でもね、これは実はロックンロールの基本なんです。ロックンロールっていうのはパク○上等で、全く最初っから最後まで同じなんだけど、作曲・サエキけんぞうって書いてあったりする。しかも著作権発生してる。でもね、いいも悪いもない、そういう商売。
なぎら いや、いっぱいパク○屋いるじゃないですか。
サエキ はい。
なぎら 〇〇〇オールスターズの方とかね。
サエキ 〇瀧さんだっていろんなものを。
なぎら ついこの間、亡くなっちゃった方とかね。
サエキ え?
なぎら 筒〇さん。
サエキ 筒〇さんだって、前奏は全部エルトン・ジョンだ、みたいなね、そういうとこあります。
なぎら 盗〇って言葉を使っちゃいましたけど、泥棒じゃないんです、高田渡は。
サエキ ポイントは、元の曲よりいいと思わせることなんです。シーナ&ロケッツの「レモンティー」のほうがいいと思わせるのは、そこに何かがあるから。それがあったら盗〇とは言われない。
なぎら ……「ギャランドゥ」(西城秀樹 RCA/RVC 1983年)はどう?
サエキ メロディーは(デッド・ケネディーズの)「Winnebago Warrior」((『Plastic Surgery Disasters』1982年)に収録)と全部同じ。いいじゃないですか。何でも日本語で楽しめればいいですよ。ヒットすればOK。でも、なんかしみったれた感じになるやつあるじゃないですか。それは、よくない。しみったれた感じになっちゃ駄目。
なぎら そういうことで、高田渡さんは日本の詞を外国の曲に付けるということをやり始めたと思ったらですね、結局、生涯全部そうなっちゃいましたね。
サエキ 生涯を通してそういう感じになった。
なぎら 自分の詞を使わなくなったんですね。
サエキ そこはね、すごい深い話というか、重い話でもありまして。この本の中でも触れられております。高田さんの素晴らしい詞と言えば『汽車が田舎を通るそのとき』(URCレコード 1969年)の最初の曲……。
なぎら 「ボロ・ボロ」
サエキ 20歳にして、「ぼろぼろ」って何よっていうね。
なぎら いや、それはね、何歳だからは関係ないですよ。
サエキ 確かに。でも僕、それでもう、心わしづかみ。20歳で「ぼろぼろ」。これ、ニール・ヤングに通じるロックの基本です。若者はね、20歳ぐらいで敗北する。
なぎら 「♪ 肺はやに色、金はなしで~」 これ、私の歌なんですけどね。19ん時です。
―会場、どよめく―
サエキ ロックです。自分はこれだけ駄目になったっていう感じってね、ロックですっごい大事なんですよ。でも、高田さんはそれを最初のフルアルバムでお示しになっていて、その詞の方向性とかに、すごく僕は感じ入りました。
だけれども、自分の詞を書かなくなっていく。これは、どういうことなのか。しかも、お父さまは詩人。お父さまの話、きょうはさわりになっちゃうかなあ。こういう本(『高田渡と父・豊の「生活の柄」』本間 健彦著 社会評論社 2009年)もありまして、読むとお父さんはすごいんです。佐藤春夫の弟子らしい。
なぎら ちょっと間違ってるところもあるんですけどね。
サエキ そうなんですか。佐藤春夫さんがどういう人かっていうと、太宰治、檀一雄、吉行淳之介、遠藤周作、安岡章太郎などが門下で、門弟3000人という方。その中に、お父さまの高田豊さんがいらっしゃっる。小説家の宇野千代さんの代作もしていると、この本には書いてあります。要するにゴーストライターをなさってた。
なぎら あたしも所ジョージのゴーストライター……。
―会場 大爆笑―
サエキ いや、そうですか! 思わぬところでいい情報が。それは、どうしてそんなことに。
なぎら 同じ事務所だったから。締め切りが迫ってて、編集者が来てたんですよ、番組に。しょうがないからあたしが書いた。
サエキ いい話ですねえ。
なぎら どこがいいかわからない。
サエキ じゃあ、なんで佐藤春夫門下なのに高田豊さん、お父さまは詩人としていかなかったのか。ある日、出入り禁止を告げられ、一言謝れば済んだのに謝らず、破門になったと。この辺が高田渡さんのお父さんだなあと思うんですけど、いかがでしょうか?
なぎら あたし、それ信じてませんもん。
サエキ 信じてないですか。すみません、いろいろ深いですね。
(4に続く)
構成:こまくさWeb
*1 URCレコード…1969年1月に設立された会員制のレコード・クラブ。日本初のインディー・レコード・レーベルともいわれる。
*2 ELEC(エレック)レコード…1969年設立の独立系レコード・レーベル。URCレコード、ベルウッド・レコードとともに、日本の初期フォーク・シーンの三大レーベルといわれる。1976年に倒産したが、2004年に再建された。
*3 ハンク・ウィリアムズ…1923~1953年。アメリカ・アラバマ州出身のシンガー・ソングライター。カントリー音楽の歌手、ソングライターとして、その歴史の中でも最も重要なひとりとされている。ビルボードのカントリー&ウェスタンのチャートで11曲を1位に、35曲をトップ10にランクインさせた記録をもつ。カントリーはもちろん、ロック、ブルース、ブルースやソウル・ミュージックなど多くの音楽に多大な影響を与えた。
プロフィール
なぎら健壱…フォーク・シンガー、俳優、タレント、執筆家。1952年、東京都中央区銀座(旧木挽町)生まれ。1970年、第2回中津川フォーク・ジャンボリーに飛び入り参加したことがきっかけでデビュー。1972年、ソロアルバム『万年床』をリリースして現在に至るまで、数多くのアルバムを発売している。以後、音楽活動だけでなく、映画、ドラマ、テレビ、ラジオへの出演、新聞・雑誌の連載など幅広く活躍中。東京の下町とフォーク・ソングに造詣が深く、カメラ、自転車、街歩き、酒をはじめ、多彩な趣味を持つことでも知られる。1977年、『嗚呼! 花の応援団 役者やのォー』で日本映画大賞助演男優賞受賞。2009年、第25回淺草芸能大賞奨励賞授賞。代表曲に「葛飾にバッタを見た」、主な著書に『日本フォーク私的大全』(ちくま文庫)などがある。
サエキけんぞう…アーティスト、作詞家、プロデューサー。1958年、千葉県出身。徳島大学歯学部在学中の1980年、ハルメンズとしてデビュー。1986年にはパール兄弟で再デビュー。1985年~1992年頃まで歯科医師としての勤務経験ももつ。1990年代は作詞家、プロデューサーとして活動の場を広げ、沢田研二、モーニング娘。、サディスティック・ミカ・バンド他多数に提供。TV番組の司会、映画出演などでも活躍。大衆音楽を中心とした現代カルチャー全般や映画、マンガ、ファッション、クラブカルチャーなどに詳しく、新聞、雑誌などのメディアを中心に執筆も手がける。著書に『歯科医のロック』(角川書店)、『ロックとメディア社会』(新泉社)、『ロックの闘い1965-1985』(シンコーミュージック)などがある。
『高田渡に会いに行く』
なぎら健壱 著
2021年1月18日 発売
四六判/並製 336ページ
ISBN 978-4-909646-35-4
定価(税込み) 2,750円(税込)