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ニューヨークのファッション界で働く日本人パタンナーが経験したパンデミック~分断の現実と見出した「ある希望」

 「ブラックカルチャーを探して」の8回目は、ニューヨークでフリーランスのパタンナーとして活躍中の石黒治恵さん。コロナ禍、大統領選という大きな出来事の後、アメリカ社会であらわになったことや、ファッション界という一見華やかな世界での現実や苦労について教えていただきました。また、ファッションの世界でもさまざまなカルチャーと結びついて息づいているブラックカルチャーの現在と未来、そしてパイアー・モスというブランドを率いる新鋭デザイナー、カービー・ジーン・レイモンドについて。そのハートフルなエピソードは、要注目です。

パンデミック後の人種間の意識の壁と混乱


 2020年6月8日、ニューヨーク市が3月中旬にコロナ感染によるロックダウンを実施して以来、約3ヵ月ぶりに再開したオフィスでのミーティング。気心知れたデザイナーと久しぶりに会い、元気そうな姿に喜び合いながら、
「うちの近所にある、Black Lives Matter(ブラック・ライヴズ・マター)をサポートする貼り紙をしたカフェで、騒ぎをおこして剥がすまでどかないって言い張った客がいたみたい」 
 私はいつもの仕事前の世間話のつもりでこう話すと、しかし、空気が変わるのを感じた。彼女の表情は曇る。そして、
「でも、BLMのデモで警察をあんなに責めて叩くのはフェアじゃない。いつも私たちを守ってくれているのは警察だよ!」

え?

 私の住むエリアはブルックリンでも黒人コミュニティの比率が高い。ジョージ・フロイド氏が5月に警官に不当な暴力で殺された直後で、コロナの行動規制が厳しいにもかかわらず、世界中でBLMのプロテストが盛んに行われている時期でもあった。このタイミングでわざわざそんな場所で、黒人の命を守る活動に文句をつける神経を疑うね、と私は勝手に思っていたところ、まさかの逆の反応が返ってきた。
 デザイナーの彼女は白人だが、黒人やアジア人の友人も多く、てっきり共通の感覚のつもりで話を振ってしまっていた。

 次の週は別の白人デザイナーと会うことになった。
 この彼はデモの状況にもっとはっきり不快感を表し、警察と対立するBLMへの反感はもちろん、コロナ対策用にマスクをするルールをニューヨーク市が決めたことにも苛立っていた。BLMもコロナも、ぜんぶまとめて支持政党がらみの話にすり替わってしまう。

 どちらのデザイナーとも、私のニューヨークでの15年近いファッション業界の経験の中で、差別感覚を受けることなしに仕事ができている実感があったので、驚いた。ショックだった。“黒人の命を不当に扱わない”というBLM運動の本来の意味がすっぽり抜けてしまっている。混乱した。そしてそれは大統領選挙とも相まって、今に至るまで緊張感が続いている。
 

裏方から見るニューヨークのファッション業界とコロナ禍

 私は現在、ニューヨークでフリーランスのパタンナー(pattern maker)をしている。ファッションデザイナーが作りたいアイデアを膨らませて形にする技術屋だ。関わったデザイナーは、白人、黒人、アジア人とさまざま。人種それぞれ独自の好むシルエットやクールさがあり、とても楽しい。
日本ではもともと、「技術」というものへの尊敬の気持ちが根付いていて、デザイナーとパタンナーの間の上下関係を意識することなく対等に仕事ができるのに対し、アメリカはというと、ここにもっとあからさまな線引きが見られる。華やかでアーティスティックなデザイナー対サンプルルームの作業チーム、パタンナー。わかりやすい。パターンや縫製は英語が完璧でなくとも腕ひとつで勝負できるために、新しい移民の比率が多いせいもあるかも知れない(ちなみに日本人のパタンナー自体は、感性鋭く仕事がきめ細かいことで定評があり、信頼はとても高い。先陣の皆さん、ありがとう)。 

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 特に、私が主に関わってきたラグジュアリーブランド(価格帯が高い)は明確に顧客が富裕層になるため、ヨーロッパで何百年もの間、脈々と受け継がれてきた洋服の歴史の重み、なおかつアメリカらしい露骨なアピール文化も感じさせられる。どういうことかというと、どこかの洋画で見たような西洋の100年前の階級社会の中に飛び込んで実体験している感じ、と言ったらいいだろうか。
 
 人にドレスを着せつけてもらうのが当たり前のご婦人は、フィッティングの時には童話の女王様さながらの風情。お金のかかった芸術的な仕事に携われる喜びを感じる反面、富裕層顧客、そしてそれを相手にするファッションビジネス全体に、独特のものすごい特権意識があり、私たち自身の視覚的・身に纏う雰囲気が、抜群に「イケている」と認められないと、使用人的な扱いを受けたりする。人種差別もある。見た目を飾って素敵に見せるというファッションの性質は、平気で容姿や肌の色・出自で人を見下すという、裏の作用を引き出してくるのだ。

 こういう体質の業界に毎日浸かりながら、日々増えていく仕事量に私は徐々に疲れてしまい、インハウス(社内専属)で日々たくさんの学びを得ながらも、数年前に自分で仕事を選び、コントロールできるフリーランスに転向を決めた。

 この経緯の中で、今仕事を受けている前述のデザイナーたちは、「イケて」いながらも、こうした業界の特権主義的態度を取らずに信頼関係が作れる人たちだった。音楽などブラックカルチャーにも詳しく、人種にこだわらない交友関係もあり、その要素をデザインにも取り入れていた。
 私がアジア人ということを超えて、私たちはお互い能力を認め合っていたはずだ。それが突然、何気ない日常の話題にものすごく気をつけてしゃべらなければいけなくなった。ピリピリとした空気。

 今回のアメリカのコロナ禍で何がいちばんしんどいかといって、身近にいる、人権意識が高く価値観を共有できていると思っていた人たちが、本来黒人差別を無くすための運動であるBLM運動を、暴力的左派、もしくは大統領選挙の文脈でしか語らなくなったことを、私自分が受け入れなければならないことだった。
 春のロックダウンで2~3ヵ月会わないうちに一気に目に見えないスイッチが押された。そしてこんなことがあちこちで起きている。肌で感じる分断。お互い歩み寄れない。今起こっている差別の話が通じない。根っこにある「恐怖」と「怒り」。コロナへの不安が起爆剤になって、奥底に眠っていた白人側の苛立ちの蓋が開いたのを目にした。黒人が今も権力に不当に殺され続ける現実を目の当たりにして、同じ人間として感じる「思いやり」や「愛」はどこにいったのだろう。

黒人デザイナーたちの台頭と「希望」


 BLMに関する混乱をここまで書いてきてしまったが、この連載は現場からのブラックカルチャーを伝えるのが主旨なので、こちらで今、刺激的な黒人デザイナーにも触れておこうと思う。

 ここ10年ほどファッションの流行が黒人カルチャー、アフリカンに大きく振れており、どんな高級ブランドも大なり小なり影響を受けているのは皆さんもご承知の通り。
 ルイ・ヴィトンのメンズも手がけるオフ-ホワイト c/o ヴァージル アブロー™(OFF-WHITE c/o VIRGIL ABLOH™) のヴァージル・アブロー(*1)をはじめとして、カニエ・ウェストのデザインチームに関わった才能ある黒人デザイナーたち、ジェリー・ロレンゾ(Fear Of God)(*2)ヘロン・プレストン(*3)サミュエル・ロス(A-cold-wall*)(*4)らはセレブリティーの人脈をベースに、影響力を一気に広げた。その反面、彼らは良くも悪くも前述の特権階級側に、自ら成り代わっていったようにも見える。

 一方、コロナ禍の抑圧で、政治、貧困、人種、性別など全ての分断が大きく口を開けた今、どうしても触れておきたい重要な黒人デザイナーがいる。ブルックリン出身、パイアー・モス(Pyer Moss)のデザイナー、カービー・ジーン・レイモンド(Kerby Jean-Raymond)だ。

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(上図)2020年5月、ファッション系ウェブメディア、Fashionistaで報じられたカービー・ジーン・レイモンド(写真)のブランド、パイアー・モスについてのニュースの画面https://fashionista.com/.amp/2020/05/pyer-moss-drive-in-american-also-premiere-fashion-week)。

 彼は2020年にアメリカのCFDAアワードをメンズ部門で受賞、10月にはReebok(リーボック)のすべてのデザインのクリエイティブディレクターに就任と、今飛ぶ鳥を落とす勢いなので、ご存知の方も多いかもしれない。

 彼のデザインの特徴は、2013年のパイアー・モスの設立以来、人種差別など社会的問題意識を打ち出していること、大胆なカラーブロックやメッセージを多用し、わかりやすく黒人が最も似合う色使いとシルエットで服作りをしていること。そのため日本人が着るには正直、色もデザインもハードルが高いし、黒人にフォーカスした政治的メッセージ性が強い故に他人種から見るとちょっと扱いづらい部分もある。

パイアー・モスの2020年春夏のショーのトレーラー動画。カービー・ジーン・レイモンドの考え方やメッセージ性が伝わる。

メッセージ性の強い黒人新鋭デザイナー、カービーの真摯な志を知ったいくつかのエピソード


 それでも彼のことを注目せずにはいられくなったきっかけが私にはあった。
 2019年9月、ニューヨークのファッションウィークのさ中、私が好きなミュージシャン、ラファエル・サディーク(*5)のミニライブイベントがあり、そこでトークをしたのがジーン・レイモンドだったのだが、当時の私は名前を知っている程度だった。ファッションウィーク中のクラブイベントらしい、誰が一番クールか競うような空気に包まれて、ラファエルのライブ目当ての私ははっきり言って居心地が悪かった。

 DJがしばらく回した後、カービーが登場。デザイナーの彼は、この時期ものすごく忙しいはずで、ほんの15分から20分程度の、ラファエルに質問をするのが中心のトークだったと思うが、その時の場の空気の変わりようといったら……! それまでそこにいる全員が、お互いを威圧し合うようなピリついた雰囲気だったのが、一気にウェルカムな空間に様変わりしてしまった。その様子をお見せできないのが残念なほどだ。
 トーク相手のラファエルも嬉しそうで、そこにいるみんなが心地いい。これぞ「インクルージョン」(Inclusion)。「誰も孤立しない、お互いを認め合う」という言葉の意味を体現している人だった。黒人差別の問題意識をゴリゴリに打ち出している人に他の人種の人間が抱きがちなとっつきにくさは微塵もない。

 すっかりファンになった私を、その後さらに唸らせるカービーの行動が続いた。
 2019年10月、ヨーロッパで彼の功績が評価され、栄誉あるBusiness Of Fashion 500(イギリスのファッションメディアが選出する影響力のある人物のリスト)のガラに招待されたが、人種的エリート意識のあふれるファッション業界人が集まった会場の入り口に、いかにもファッションとして黒人ゴスペル聖歌隊を歌わせていることに大いに落胆し、これはインクルージョンではなく文化の盗用だとして、500のリストから辞退したのだ。
 彼はブルックリンの実家からすぐ近くの劇場を貸し切り、実際にゴスペル聖歌隊の歌をバックにランウェイをしている(ファッションショーを行っている)ので、ゴスペル聖歌隊に人一倍の思い入れがあるに違いない。

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(上の画像)2019年10月、パリで行われたBusiness Of Fashion 500のガラの会場入り口に展開された黒人ゴスペル聖歌隊の様子を伝えるカナダ人のファション・デザイナー、オーロラ・ジェームスのインスタグラムのストーリーの画面。多様性と包括を目指す中でのこの有様に、「なぜ? ちょっと待って」と困惑した様子でコメントしている。

 そして2020年3月、コロナ感染が広がり、ニューヨークがロックダウンするとすぐに、看護師をしている彼の姉妹から医療チームの生命線、N95マスクが壊滅的に不足している現状を聞き、インスタグラムを使ってファッション業界の誰よりも早く供給方法をオーガナイズした。

 こうやって見ていくと、カービーはファッションデザインという枠を超えたミッションを生きていて、その行動の大元には「思いやり」と「愛」を感じずにはいられないのだ。アメリカで黒人として生きる仲間たちのより良い生活とチャンスのために、自分の才能を惜しみなく使っている。そのことがパンデミックと重なり、一気にスパークした。

 今、私たちはかつてない我慢を強いられ、分断を経験している。それでもファッション業界のような、特権意識、名声や物質的成功に転がりがちな世界で、カービーのような黒人デザイナーが注目され、売れていくというのは大きな希望だ。
 確実に良い方向に変わっている。今のピリピリした緊張感も、これから世の中が大きく良くなっていくための成長痛なのかもしれない。



*1 ヴァージル・アブロー:1980年、アメリカ・イリノイ州出身のファッション・デザイナー、実業家、建築家など。イリノイ工科大学大学院で建築を学び、のちにファッションに興味をもち、フェンディで働いたのち、2013年に自身のブランド、オフ-ホワイトを設立。ナイキやIKEAなど大手メーカーでの一部の商品のデザインとともに、2018年3月からは老舗メゾン、ルイ・ヴィトンのメンズウェアのクリエイティブディレクターも務めている。
*2 ジェリー・ロレンゾ:1976年、アメリカ・カリフォルニア州出身のファッション・デザイナー。ディーゼルやギャップで経験を積んだ後、2013年に自身のブランドFear of Godを開業。カニエ・ウェストやジャスティン・ビーバーらのセレブリティからの支持を集め、ラグジュアリーなストリートウェアのブームの代名詞的存在となっている。
*3 ヘロン・プレストン:ファッション・デザイナー、クリエイター。パーソンズ・スクール・オブ・デザインで学んだ後、ニューヨークでアーティストやデザイナーとしての活動。2017年から自身の名を冠したブランドを展開。
*4 サミュエル・ロス:1991年、イギリス・ノースハンプトン出身。大学でグラフィックデザインとイラストレーションを学び、卒業後、2wnt4を立ち上げる。その後、ヴァージル・アブローの下で経験を積み、2015年に自身のブランド、A-Cold-Wallを開業した。
*5 ラファエル・サディーク:1966年、アメリカ・カリフォルニア州出身のシンガーソングライター、音楽プロデューサー。幼少時から音楽の才能を発揮し、プリンスのツアーにミュージシャンとして参加するなどしていたが、兄や従兄弟と結成したR&Bトリオ、トニー・トニー・トニーでデビュー。セールス的にも音楽的にも大成功を収め、ソロ活動へ転向。TLC、ディアンジェロなど錚々たるアーティストたちへの楽曲提供を行いながら、現在に至るまでアーティスト、プロデューサーとして第一線で活躍している。

文:石黒治恵

著者プロフィール
石黒治恵
(いしぐろ・はるえ):日本大学芸術学部卒業。バンタンデザイン研究所修了。東京でアパレル企画を経験後、渡米。シカゴを経て2006年よりニューヨークでファッションパタンナー(Pattern Maker)として活動。現在ブルックリン在住。


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