こまつしろう
こまつしろうのうた
充電という感覚は市民権を得ているが 放電という感覚は忘れがち 何の為に充電し そのパワーはいつ使うのか パワーとは違えど 放心や放念という言葉もある。 充心や充念という概念があってもおかしくはない そう心を溜める 念を満たす 満ちた心はおそらくは人を動かし まわりに響く
鍛える筋トレから 筋肉を維持する筋トレに この意識を持てたことで 心に余裕が出来た 暑いこの時期は無理せず一回数分で終えることも多い 今日は胸 今日は肩 今日は背中 今日は足 とかってね 気が向かない なんかしんどい 忙しかった日はお休み 筋トレが好きだからまたあした
おいらの趣味、本を読むことから始まった「本の箱」が形を変えて進むことになった。 まぁ、進むというか、改めて始めるかな。 大きく変わるのは、 先ず、「だれもいない古本屋さん」ではなくなること。 今回は、基本的に人がいるんです。 (ただ、場所や時刻等によっては「だれもいない古本屋さん」であることがあり得る。) そして、本の箱が開く場所が変わること。 それどころか、同時に本の箱が複数開いているということが今後起こるかもしれない。 次に、課題を設けること。 本の箱が開く場所と
秘書の秘は秘密の秘
こまつしろうかいた
歩車分離信号が増えているようだ。 そのことはとても良いと感じる。 だがここで、歩車を分離する上で、歩とするか車とするかが問われるのが自転車の扱いだ。 原則は、自転車は車であり、車用信号機🚥の表示に従うべきとされる。 しかし、現状で言えば、 圧倒的多数の自転車が歩行者用信号機🚦の青信号で道を渡る。 これは、自転車は車道を走るべきか、歩道を走って良いかと云う問題と類似する。 人は予測で行動するので、このルールと真逆の行動がまかり通る現状で、 本来のルール通り(自転車は
水が降る 傘を廻して 足元に 紫陽花揺れる 散歩の小径
#恋人の日
この街のどこか
文部科学省の統計調査では、不登校の原因で一番多いのは、小学校・中学校・高校いずれも、 無気力であるとされている。 この無気力って、どんな風に判断されているのかな。 この子は、無気力で学校にあまり来ません。 そんなことなんでしょ。 でも、担任の先生に心を開いていないから、無気力に見えるのかもしれないよね。 母親や父親でも、我が子のことを理解していないことはよくある。 無気力って原因は、なんだか違和感があるんだよね。 例え、ほんとに無気力だと仮定しても、 その無気
やっていることが正しい人がいる。 やっていることは正しいのに、やり方が正しくない人がいる。 独善的で、まわりへの気遣いが無い。 会議のみならず、立ち話、飲みの席でも人の言うことに批判的で、指導者の立ち振る舞いである。 宗教的だと感じる。 やっていることが正しくない人がいる。 声が大きく堂々としているが、いつも目的が不明確で、何を言っているのかよくわからない。 すぐにハヤリモノに飛び付く。 みなさんの協力のおかげで、とか言っているが、自分以外は皆がお手伝いさんで、あ
近くのスーパーがセルフ会計を導入。 レジには店員さんが居て、ポイントカードを渡しお支払いは現金ですか?と聞かれ頷くと機械に誘導される。 頭にキンキン来る声でボタンを押してくださいだの言って来る。 最後まで、店員さんも機械も、ありがとうございましたと言わない。 なんだこりゃ。
こんなに目まぐるしい社会情勢、そうそうない。 世界中の人達が、日本中の人達が、大変だ。 でも、この日本では、戦争をしているわけじゃない。 冷静になろう。 もちろん、お金のことや、仕事のこと、健康不安や病気など、大変な状況に置かれている人はたくさんいる。 出口の見えない不安。 限界。 それでも、私達は人間だからこそ、人類なんだから、考えることをやめられないのではないか。 自分の意見を言うことはたやすいかもしれない。 でも、冷静になって、考えたい。 新聞、テレビ、ネット