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リオ五輪・2冠誓う内村航平 美しい体操を求め続け
このマガジンでは、小松成美が様々な人に取材した、北國新聞の連載「情熱取材ノート」の過去のアーカイブを掲載いたします。
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「美しい体操を目指しています」
目を伏せた内村航平は、静かにそう言った。
超人的な瞬発力や跳躍力と、重力や遠心力に抗(あらが)う力とを自由自在に駆使する激しい体操競技に、あえて「美しい」という言葉を重ねた理由を聞くと、彼はこう語り出した。
●完成された芸術
「重力があるこの地上では肉体を自由自在に操ることはできない。重力に抗い空中を目指すんです。その時に、乱れた姿勢やゆがんだ表情は、絶対に見せたくない。『超人的』と言われれば言われるほど、僕はそこに美しさを求めたい。演技が終わったその瞬間、見ている人たちには、完成された芸術を見たような気持ちになってほしいんです」
大会で勝利するためには肉体を鍛え上げるしかない。鎧(よろい)のような筋肉で覆われた身体こそ、彼らの超人的な技を現実のものとする。
それでも、内村は自らが人生を賭ける競技が、単に肉体の能力を競い合う場ではない、と信じている。
「難しい技に挑むこと、その技を決め高得点をたたき出すことだけを、僕は目指していません。鮮やかであること、華麗であることが何より大切なんです」
見る者の胸に感激を届けたい。美しい試技に目を奪われ、心を沸き立たせてほしい。
そうした願いこそが、内村をさらなる高度な技へと誘っていく。
「僕の心がそこからぶれたことはありません。美しい体操を実現したい、そう思うから、どんな苦しいトレーニングにも耐えることができます」
2012年ロンドンオリンピック直前に、力強く自らの気持ちを言葉にした内村は、個人総合金メダルという栄光とともに、世界の観衆に彼が目指す美しい体操を証明して見せた。
内村が美しい技にこだわったのには理由があった。19歳で出場した初めてのオリンピック。2008年の北京で団体銀メダル、個人総合銀メダルを獲得した彼は、メダル獲得の喜びとは対角線上にある衝撃を受けたという。
「開催国である中国は金メダル獲得のため、最高難度の技を軽業師のように重ね高得点をたたき出していきました」
スペシャリストと呼ばれる得意種目でメダルを獲得する選手が活躍した中国と、彼らの胸に下がる金メダルと見やりながら、内村は、自分が追い求める体操を思い描いていた。日本の伝統を受け継ぎたい、日本選手にしかできない美しい表現を身に付けたい、と。
表彰台に立ち淡々とした面持ちの内村の胸には、火の玉のような意思が浮かび上がっていた。
「日本体操の神髄は、得意な種目だけに力を注ぐのではなく、オールラウンド・プレーヤーであること。つまり、個人総合での勝利を目指すことです。そして、その試技は、華麗でなければならない」
1989年生まれの内村が胸に秘めていたのは、体操ニッポンを世界に知らしめた1960年のローマオリンピックと1964年の東京オリンピックで日本選手が築いた“伝統”だった。
●総合にこだわり
だからこそ、個人総合にこだわり、それぞれの種目で難しい技に挑み続けてきた。
「新しい技への好奇心は途絶えたことがないですね。自分がその技をどんなふうに習得し演じるのか、そのことにワクワクさせられます」
今や世界選手権6連覇の王者である内村の静かな野心は、リオデジャネイロの地に立って燃え盛る。
「個人総合だけでは足りない。団体で金メダルを取ってこそ、インパクトを与えることができると思っています」
その勝利こそが、2020年東京オリンピックを華やいだものにすると、内村は知っている。
(※このテキストは、北國新聞の「情熱取材ノート」において過去に連載したものです※本コンテンツの無断転載を禁じます。著作権は小松成美に帰属します)