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dancyu編集長が語る、人生を豊かにする「食文化」|人成塾(雑誌dancyu編集長・植野広生)

ノンフィクション作家・小松成美がゲスト講師を選び、次の時代を生きるためのヒントをありのままの言葉で学ぶ『人成塾(じんせいじゅく)』。今回の対談ゲストは、人気グルメ雑誌dancyuの編集長を務める植野広生さんです。
食文化の雑誌としてフロントランナーであり続ける「dancyu」の編集長、植野さんに企画づくり、食文化などなどたくさん語っていただきました。

前編はこちらから!

キャバレーでのバイト

小松:植野編集長は、雑誌の「編集長」というお仕事を目指してなった訳ではなく、色んな運命の分岐点がございますよね?元々、食のコラムを書かれていたんですよね?

植野:元々で言うと、新聞記者やっていた通り、子供の頃から、今思い返しても、幼稚園生ぐらいのとき、大きくなったら新聞記者になりたいって言っていました。なぜかというと、今は違うと思うんですけど、父親が支局勤務で、昔の支局勤務って中々穏やかな感じで、色んな新聞社の人たちがみんなでバーベキューやったり、どっかに遊びに行ったり、そういうとこしか見てなかったわけですよ。でも、それはそうで、事件が起きても現場とかは絶対連れて行くわけないから忙しいとこは見てなくて、楽しいとこしか見てなかったんです。新聞記者ってすごい良い仕事だとあの頃思ったんですよ。だっていつもバーベキューやったり、遊び行ったりしてるわけですから。(笑)

小松:お父さんの仕事仲間とその他社の記者さんともですよね!

植野:そうなんですよ。支局って結構色んな場所の人がいます。こんな楽しいことしてお金をもらうんだったらいいかなという感じで、将来の夢は新聞記者になりたいって書いたんですけど、それは現実を見てなかったからです。でも、だから新聞記者みたいなとこもあるんですけど、、。

小松:そうですよね、大学出られた後、記者になられたのですか?

植野:本当にこれはもう恥ずかしくなるぐらい、こうなろうとかこうしようとかそのために努力しようとかも一切やってこなかった人間でした。本当恥ずかしい話なんですけど、地元の栃木、宇都宮から高校卒業して大学入るために、東京に出てきたんですけど、1週間後には銀座の小洒落たキャバレーで黒服のバイトをしてて、夕方そこに行って終電までバイトする生活でした。アパートに帰ってきて、そこから一晩中遊ぶという感じですね。朝帰って寝て夕方起きて銀座に行って帰って来て朝まで遊んで、学校行く暇もなかったですよ。

小松:銀座の黒服ってどういうことをするんですか?

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