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西田幾多郎の宗教観

たまたま西田幾多郎に触れていたら次のような文章があった。すでに著作権切れているので引用する。

我々は神に対することによって人格となるのである。而して斯く我々が何処までも人格的自己として神に対するということは、逆に我々が神に結び附くことでなければならない。神と我々とは、多と一との絶対矛盾的自己同一の関係においてあるのである。絶対矛盾的自己同一的世界の個物として我々は自己成立の根柢において自己矛盾的なのである。それは文化発展によって減ぜられ行く矛盾ではなくして、かえって益明(あきらか)となる矛盾であるのである。超越的なるものにおいて自己同一を有つ矛盾的自己同一的世界においては、作られたものから作るものへとの行為的直観的なポイエシス的過程は何処までも無限進行でなければならない。我々はその方向において絶対者に、神に結び附くのではない。我々は我々の自己成立の根柢において神に結合するのである(我々は被創造物であるのである)。

『絶対矛盾的自己同一』西田幾多郎

ここから数行先にルターや親鸞も登場するが、どうやら我々の存在自体が矛盾に満ちている、といいたいらしい。

ひとつ言えることは、自己が「矛盾する存在である」と認め静かに精神を対峙させる習慣を全人類が身につけるようになれば、だいぶ世界は平和になるであろうということだ。

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