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新聞の思い出
うちは新聞を取っていません。実家を出て一人暮らししてから、結婚して今に至るまでずっと。
小さい頃から新聞は当たり前のように家にあったし、なんなら一時期は3種類の新聞がうちのポストに毎朝入っていた。理由は、新聞の勧誘に断り切れなかった父と母が期間限定で契約してたからだ。
昔は、新聞の勧誘はけっこう多かったのではないかと思う。小学生の頃はテレビ欄とその裏面の四コマ漫画にしか読んでいなかった私だが、「今月は違う新聞になるよ」と言われるとなんだかがっかりした記憶がある。
子どもながらに、フォントやテレビ局の記載順などが変わると落ち着かなかったのだ。四コマ漫画にもしばらく慣れないのもあった。
両親は、各新聞を1か月とか3か月とかで契約してくるので、見慣れてきたころにまた違う新聞になっている時期もあった。それは、ほんの一時期だったと記憶しているが両親の頼まれたら断れない性格を表してたなぁと今になって思い出す。
だいぶ大人になってからは、新聞を読むのが好きになり仕事から帰ってきてから新聞を1面から眺めていくのが日課だった。
一人暮らしをしてからも、実家に帰ればまず「今日の新聞ある?」と聞き、話半分で新聞を読んでいた。実家には父が一人だったので、特に会話することがなく間を埋めていたということもある。
父も、朝起きて新聞をくまなく読む人だったので、新聞の記事をネタに話題を振ることもしばしばあった。そうじゃないと話すことがなかった。要は、父と私の唯一の共通の話題だったのだ。
結婚して地元を離れた今も、実家に帰れば「新聞ある?」が帰省早々に私から出てくる言葉だ。
話は少し変わるが、新聞を取っていないと不便なことがまあまあある。ごみを包んだり、野菜を保存するときに「古新聞が欲しいー」となる。なので、実家から古い新聞をまとめてもらってくることにしている。
一番使用するのは、猫のトイレを掃除する時だ。毎日、一枚新聞を広げてそこに猫のお宝を拾って包んで捨てるのだ。そのとき、新聞をついつい読んでしまう。古新聞なので当然過去の記事だが、発行日を確認しつつ「あぁこの時地元ではこんなことがあったのかあ」と読み入ってしまうのだ。
なかでも「お悔み欄」は気になってしまう。病院に勤めていたこともあり、知っている名前もたくさん目にする。「知り合い」ではなくて「名前を知っている」程度の方々だけど、亡くなって何か月間も経ってから「今朝の情報」のように知る自分がなんだか不思議な感覚だった。
古新聞を読んでいると、自分だけ時間に置いてけぼりにされた感覚になるのだ。(勝手に遅れているだけなのだが)
今日もお悔み欄を眺めて、遅ればせながら新聞に向かって手を合わせ、それから猫のお宝をせっせと拾い集めたのでした。
どうでもいいことだけど、古新聞に数独を見つけるとその部分はよけておいて一人時間のお楽しみにしている。解けても応募できないけれど。
そんな新聞の思い出。
じゃあまたね。