身も蓋もない独白
以前から自身の思考の捌け口に悩んでいた。
誰かに言うには恥ずかしいし、およそ文章としては拙くてまとまらないこの想い。
そんな中、大好きなバンドの企画がnoteで行われていたこともあり、なんにもない私だけど、そのバンドを初めて聴いて好きになった頃から振り返り、思ったままに書いてみる。
ただ、上手くまとめられる気もしないので、期限から外れたこのタイミングで。完全なる自己満足だ。
(次がもしあれば、ちゃんと期限中に書こうと思う。)
初めて聴いたのは中学生の頃。
映画館もカラオケもボーリング場もない町だったこともあってか、もっぱらYouTubeでいろいろなアーティストの楽曲のMVを垂れ流していた。
その中で、たまたま再生された「ウワノソラ」。
夏に友人の家で耳にしたのを今でも覚えている。
上手く言えないが、ギターとボーカルが頭から離れなかった。
聴き終え、次の動画が再生される前に急いで一時停止をしてバンド名見る。
クリープハイプ
これが、私とクリープハイプを知るきっかけだった。
それから、「クリープハイプ」とYouTubeで検索して、「欠伸」、「左耳」を聴いた。
どちらも一聴しただけで心を掴まれた。
未だに上手く表現できないのだけれど、特に唸るようなギターリフと叫びに似た(正確には、叫びではないけれど適した言葉が見つからない)声に心にグッとくるものを感じた。
もっと他の曲も聴いてみたい。もっとこのバンドのことを知りたい。
そう思いYouTubeで検索したが、公式でアップされている動画はあまりなく、
バイトをしているわけでもなく、お金がなかったので、ネットで漁ったり、TSUTAYAのレンタルCDを探した。
レンタルCDは、田舎だったこともあってか全然なく、しばらくしてようやく見つけたのが「死ぬまで一生愛されてると思ってたよ」。
早速借りて、心躍る思いでCDプレイヤーの再生ボタンを押す。
一曲目の「愛の標識」のイントロから、ずっと聴きたかったあのギターだ! と興奮した。
それからも、部活 部活 部活な日々を送っていたこともありライブには行けずにいた(高校生の頃はどこか場違いなものだと思っていた)が新曲が出る度にチェックし、ひたすらにiPodで聴き続けた。
どうでもいいけど、iPodってもう、歴史を感じてしまうほど今では見なくなったな。
多分、高校生の頃にようやく歌詞”も”好きなんだな ということに気がついた。
それまでも、割と歌詞カードを見ながら聴くことが多かったので、決して歌詞を意識していなかったわけではないけど、すごい詩的で、日々の何気ない感情を写しとった言葉により一層魅力を感じた。
おこがましいけど、何とも言えないこの気持ちを代弁してくれている気がした。
クリープハイプがそのもやもやを晴らしてくれて、時にはただただ寄り添ってくれて、
別に何か解決してくれるわけでもないけれど、それだけでなんだか心強かった。
初めてクリープハイプのワンマンライブに行けたのは、2018年11月15日の「今今ここに君とあたし」。
当時も、念願の! と思っていたが、振り返ると、好きになってから大分時間が経ったな。
ステージにメンバーが出てきた瞬間、思わず涙ぐみながらも拝むように拍手していたのを覚えている。
本当に夢のような時間だった。
その後も、予定があいチケットが取れた時には何度かライブに足を運んだ。
人混みは本当に苦手なのだけれど、そんなマイナス要素を上回る体験が生のライブにはあるように感じた。
時には、仕事が長引いてしまい後半になんとか間に合うようなこともあったが、どんなに短くても、日々の閉塞感を打破してくれた。
私は一つの幸せを長く享受できるタイプの人間ではなく、例えばライブに行きどれほど感動しても、大抵翌日のお昼頃には薄れてしまう。
それでも、大好きなバンドが最高の時間を提供してくれるある種の非日常体験を定期的に得ることは、私にとって不可欠になりつつある。
最近は意味もなく、この曲をよく聴いていた当時は… と過去の自分を思い返してしまったり、思わず泣けてくることが増えてきてきた。
過去に執着しないように生きているつもりだけど、これはきっと拭いきれない後悔や未練があるからだろうと思う。
それと同時に、クリープハイプの音楽は知らず知らずのうちに、私のこれまでを刻んだレコードのようになっていたんだなと感じた。
どうせ思い出すなら良いことのほうが嬉しいなという思いはありつつも、多分そんなことはかなわないのだろう。
私はいつも誤った選択をしてしまうから。
だけど、せめて振り返った時に前向きな解釈も残しておけるよう、精一杯選んで生きていきたい。当時の自分に胸を張れるように。
いつかはきっと報われたいね
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