将棋の終盤の自分なりの考え方(反省してこれから)
福崎九段の指導対局四枚落ちの終盤の局面図です。
改めて、局面図見てみると、アマチュア有段者から、
「こんなん詰ませないようでは、将棋やめてしまえ」とか、
「もっと、勉強してこい!」や
「終盤力身につけろ!」
など、言われても、しかたないような局面ですね。
いいわけを、つらつら書いてみます。
こんな状態でも、将棋はやめません。
ここで、私は、☗6三角成しか見えず、詰まないなと判断しました。自玉は、上が広いので詰まないと考えました。
上手玉は、左の方に行かれると、逃げられそうなので、☗7二銀と打ちました。
この☗7二銀が、敗着で、自分の詰めろを消して、負けに行ってる手でした。
☗6三角成しか見えなかったところで、京都連珠会で、習った『しらみつぶしに考える』が、できていたと仮定したら、☗6三桂成は、どうかな?と考えたと思います。本譜では、1秒も☗6三桂成を考えませんでした。
詰みが見えなかったのなら、☗3六角として、上手の桂馬を取る手でもよかったかもしれません。
毎朝、詰将棋の答えを見てるので、ここから詰みますよーという合図があれば、考えられるようになりつつあります。
上野先生の速度計算の本を読もうとしたことがあったのですが、確か、詰めろかどうかわからなかったら、しかたありませんという文面があったと思うのです。
ここで、詰めろが見えない私には、速度計算無理なんだなあと思って、本を読むのをやめてしまいました。
これで、詰めろかどうか、対局中には、答えをみることができませんが、まずは、自分の力で、詰めろかどうか考えてみるということが、はじめに重要なのではないかと思い始めました。
指導対局を受けてる時、私は時間が気になって、すぐ指してしまいますが、プロ棋士は、ちゃんと考えておられます。
昨日の連珠教室で、このあたりで、四三が作れそうと、なんども言っておられました。将棋だったら、この辺で詰みそうに似てると思うのですが、詰めろかどうかまだはっきりしないけれど、良さそうと思える力がないです。
たいてい悲観的です。
対局後、KENTOさんにかけたら、四枚落ちなので、ずっと勝勢だったりするのですが、そんなに良いと思って指してないです。
駒渡したら、上手(うわて)のほうが、じょうずに使われるので、駒交換は、悪いくらいに思ってます。
長年級位者ということは、何かしらの欠陥があるのでしょうけど、1秒も考えてないというのでは、成長もないなあと思います。
しらみつぶしに考えてみる
→詰みそうと思えないか考えてみる。
→詰みはないか考えてみる。
→詰めろはかけれないか考えてみる
必至は、まだできないので、勘弁してもらうとしても、
弱いなりに、考えてみる権利くらいは、あるかなと思うのです。
アマチュア有段者には、「弱いくせに長考しやがって、結局、そんな手しか見えんのか!」と、いわれることにもつながるので、有段者と対局することがあれば、対局時計を使おうと思います。
小さい頃、人の嫌がることをしないようにしましょうと、習いましたが、長年級位者でいることなんて、アマチュア有段者からしたら、害でしかないかもしれません。なんで、そんなにいつまでも弱いの?信じられない存在かもしれません。それでも生きてます。将棋続けてます。
今度、高齢者施設の見学に行きますが、将棋の相手のボランティアといっても、弱いので相手にならないかもしれませんと、最初に言っておこうと思います。
棋力どれくらいですか?と聞かれたら、プロ棋士に四枚落としてもらって、なかなか勝てないくらいですと、答えようと思います。
強い人から見たら、いつまでも四枚落ちに勝ててない人というだけと、思いますが、私自分基準では、序盤からボロボロになるところからだったので、やっと終盤まで、持って来れるようになったと、微々たる成長を感じています。
四枚落ち下手ライフも、今からやっと楽しめるところまで来た感じです。