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涙パレット|4/4

 朝風町通りを挟む建物に切り取られた夜空で、夏の大三角がまたたいています。
 都会の月夜にしてはめずらしく、星が冴えた宵でしたが、私には空をゆっくり見上げている余裕がありません。
 ワンピースを着てきたのは失敗でしたが、紺色だったのは幸いです。グレーの服だったら、汗の染みが見るに見かねるほど広がっていたことでしょう。歩道のアスファルトは、日中に溜め込んだ太陽の陽をいま放っているかのように熱を帯びています。
 がに股を、はしたないなどとは言っていられません。なにしろ、背伸びをした猫を縦に五匹並べたくらいの横幅があるダンボールケースを、ひとりで運んでいるのです。一歩進むごとに、汗が吹き出ました。
「うちの係の者に手伝わせようか」という雨宮さんの言葉を断ったのは、誤りだったかもしれません。「いえ、もう大学生なので」とわけの分からない強がりを言ってホテル・レインミラーを後にしたのが、今となっては悔やまれます。しかし、前を向きましょう。動かせないものについて、くよくよ考えるのはよしておきます。
 レインミラーからカフェ・パレットまでは、そう遠くありません。すれちがう人たちが振り返るほどに大きな絵画を抱えていなければ、歩いて二十分ほどでしょうか。
 夜は、真っ赤になっている私のほっぺたの色を隠してくれます。頬が熱くなっていました。ときおり「大丈夫ですか?」と声をかけてくださる通りすがりの方には、こう答えます。「ノロセ(分かりません)」
 レインミラーを発った時点で、午後の七時半を回っていました。吹野さんがパレットに注文したウォールミラーは、大きいものとはいえ、海老名さんであれば発送にそれほど時間はかからないでしょう。
 待ち合わせ時間にはルーズなくせに、海老名さんはパレットの営業が終わったあと、決まって夜八時に裸足でひたひたおうちへ帰っていました。休業中のいま、それより遅くお店に残ることはなさそうです。遅くとも八時までには絵画を届けねばなりません。
 思えば、私が知っているのはカフェ・パレットの丸っこくて愛らしい黒電話の番号だけでした。いまは迷惑電話を防ぐため、電話線が抜かれていたはずです。そして、海老名さんの私的な連絡先を私は知りません。今夜を逃すと、今度はいつ海老名さんにこの絵画を渡せるか分かったものではないのです。
 巨大な夕焼けの絵画を配達せよ!
 これまで朝風町の人たちに運んだ、どの品よりも大きな絵を運ぶことは、私のパレットでの最後の大切な仕事といえます。もしかすると八時には間に合わないかもしれません。もっといえば、もうすでに海老名さんはお店を後にしているかもしれません。しかし、それは私の動かせることではないでしょう。
 私にできるのは、ただこの右足を前へ出すことです。この左足を前へ出すことだけなのです。やらないよりは遅れてでもやることに価値がある。それは大学で習ったスペインのことわざでした。
 汗は止まりませんが、歩みを止めません。
 ようやく分かった気がします。私は終わってほしくなかったのでしょう。泣いてしまえば、高校生活がほんとうに今日で終わると認めてしまうことになるから、卒業式の日に私は涙を流せませんでした。流すわけにはいかなかったのです。
 いまさらそう気づいたのは、いまも同じ気持ちだからでした。「西条くんは、それでいいのか?」とあのとき海老名さんは私に訊きました。その答えは、私のおでこの大粒の汗であり、濡れて肌にひっつくワンピースであり、抱きかかえている面がふやけたダンボール箱です。涙とちがって汗は止まりません。
 朝風町通りは、平坦な道ではありません。「夕坂」と呼ばれる坂になっています。ホテル・レインカラーは坂を下ったところにありました。パレットへ向かう道は上り坂です。大きな絵画の縁が指に食い込みました。目に汗が入り、視界がにじみます。でも、もうだめだと思ってから、なお人は前へ進むことができるらしいことを私は知りました。
 カーブミラーに映るじぶんの姿に失笑します。なるほど、道行く人たちが心配の声をかけてくれるわけです。歩くのもたいへんですが、止まっているのもまた辛い。赤信号をこれほど憎く思ったことはありません。待っているあいだは絵画を地面に置いておけばよいのですが、青信号になったら、また持ち上げなければなりません。それが重労働です。若くして腰痛持ちになりかねません。
 歩道脇のトランスボックスにはカラースプレーで落書きがしてありました。HELPと書かれています。まさかこうした落書きに共感するときが来るとは思いませんでした。
 ふいに「すみませんが」と私は声をかけられます。ダンボールの端から覗くように見ると、夜なのに寝癖が激しいおじいさんでした。「コインランドリーは、この道で合っていますかね」とゆっくり尋ねるおじいさんの言葉に気が抜けそうになります。またダンボールを起き、震える指でスマートフォンを取りだし、地図のアプリでコインランドリーを探します。道順を教えてあげると、ぴょこんと前髪を揺らして深々とお辞儀をし、おじいさんは去っていきました。再び絵画を持ち上げます。さらに、どっと疲れました。
 その後も、通りすがりのトイ・プードルに激しく吠えられたり、白いネクタイを手に巻いた酔っ払っている方にぶつかられたり、誰かの落としたチョコレートアイスクリームを踏んで足を滑らせたりしながら、なおも私は進みました。
 たっぷり湿気を含んだ空気が重く感じられます。朝風町通りを走る車のヘッドライトや街灯の光に目が回る気がしました。両腕の筋が痛み、もはや指さきの感覚はありません。踏み出す足が震えます。もう一歩だけ。もう一歩だけ進もうという想いだけで、私は身体を動かしていました。頭上で夏の星々がくるくる周っている気がします。
 まだ歩きたいと思いました。でも、足が止まります。
 私は絵画を傷つけないように、ゆっくりと地面に置きました。持ち上がりません。指に血が通っている気がしません。もう夜八時の十分前です。パレットまで、少なく見積もっても、まだ十五分はかかるでしょう。
 間に合いません。
 私は自分の頑なさを笑いたくなります。ここまで追い込まれても、私の瞳は卒業の日と同じように、カラカラにきれいさっぱり乾いていました。下唇を噛みます。力を振り絞って、もう一度、絵画を持ち上げようとしました。でも、だめです。どうやっても、持ち上がりません。へとへとです。
 天を仰ぐと、夏の大三角が澄んで見えました。透明に白くまたたくベガとデネブとアルタイルの色合いをドロップスでたとえるなら、レモン味か、あるいはハッカ味でしょう。
 よくやったと思います。
 私が動かせることは、動かしきりました。どうやら、それでも叶わないことがあるらしいことも、私は知りました。人生は映画とは違う。再び「ニュー・シネマ・パラダイス」のアルフレードの台詞を思い出します。
 車道のほうで、クラクションが鳴りました。私はその音が嫌いです。大きな音は苦手です。頭がくらくらしました。
「大丈夫ですか?」
 ゆっくりと声がしたほうを私は見ます。視界は汗でぼやけていました。目を拭います。
 松野さんでした。
 路肩にハザードランプの灯った彼のタクシーが停まっています。
「大丈夫じゃないです」と私は素直に答えました。
「ノロセ」と返す元気は残っていなかったようです。

 夜八時の四分前でした。
 たいへん下手な字で「休業中」と書かれた張り紙の貼られた、ターコイズブルーの大きな扉の横の壁へ、松野さんは絵画を立て掛けてくださいます。大きなダンボール箱も、松野さんが抱えていると小さく見えました。
 なぜ、パレットが休業となったのか。どうして私がひとりで大荷物を抱えていたのか。何も尋ねず、松野さんはタクシーのドアを閉めます。ウィンドウガラスが開きました。
「申し訳ないですが、これをエビちゃんに」
 松野さんは背広の内ポケットから、ドロップスの缶を差し出します。
「まえに描いてもらった絵画のお代です」
「助けていただいて、ありがとうございます」
「エビちゃんを見習ったまでです。では」
 タクシーが見えなくなるまで私は頭を下げていました。高校生だった海老名さんがテープで張り合わせた松野さんの絵は、きっと優しい作品だったにちがいありません。
 カフェ・パレットには、まだ明かりが点いています。
 扉に鍵はかかっていません。涼しいタクシーに乗せていただき、少しだけ元気を取り戻しました。私は開けたドアをお尻で止めながら、絵画を運び入れました。

 カフェ・パレットは独特な香りがします。
 家具たちが生きてきた時間とコーヒーの匂いが、私は好きでした。
 アール・ヌーヴォーの色合いを帯びた、いまはもう音が出ない一九〇〇年代のピアノ。ソビエト連邦や東西に分かれたドイツが載っている、手ざわりのなめらかな地球儀。フォルクスワーゲンのビートルの玩具が並べられているマホガニー材で仕上げられた書棚。そして、壁を彩る何枚とも知れない夕焼けの絵画。
「不採用で」
 裸足で内階段を下りながら、アロハシャツの裾で黒縁のメガネを拭き、海老名さんは言いました。私は大きなダンボールをそっと床に置きます。
「殴ってもよろしいでしょうか?」

「すぐ飽きるさ」
 海老名さんはパレットの二階のカフェで、もとあった場所へ大きな夕焼けの絵を掛け直します。私は両手を閉じたり開いたりして、指の痛みを和らげていました。
「ほんとうに自分のしたいことが分からない人間が、他人を責めて何かをした気になっているだけだからな」と海老名さんは絵画の傾きを直しました。
「ごめんなさい」と私が言うと、海老名さんは振り返らずに返します。
「大人だから謝ったわけか」
「はい、もう大学生なので」
「じゃあ、採用で。西条くんコーヒー飲む?」
 私は顔を上げて海老名さんのほうへ目を向けます。海老名さんは、こちらを見ません。こわばっていた肩の力が抜けた気がしました。
「いただきます。あ、そうだ。これ」と私は松野さんから預かっていたドロップスの缶をテーブルに置きました。
 海老名さんがコーヒーを淹れているあいだ、私は窓際の席で待ちました。アルバイトの面接で彼を待っていたときと同じ席です。あのときは、たしか雨が降っていました。
 ちょっとした旅を経て帰ってきた大きな夕焼けの絵を私が眺めていたとき、海老名さんはアイスコーヒーの入ったグラスをふたつテーブルに置いてくれました。
 向かいの席につくと「この絵はな」と海老名さんはコーヒーに口をつけます。
「海老名さんが描いたんですよね?」
「この絵だけ、ちがう」
「だけ?」
「店にある他の絵は、ぜんぶ俺が描いた」
「この絵はどなたが?」
 グラスの氷の割れる涼しげな音が、静かな店内に響きます。私もコーヒーをいただきました。火照っていた身体の奥に、冷たいコーヒーが流れていくのが分かります。
「香奈恵さん……いや、妻だよ。遺作だ」
 海老名さんの言葉を聞いて、私は彼の薬指の指輪を見てしまいました。なんと言うべきか、私には分かりません。
「ああ、気にすんな。もう十四年になる」と海老名さんはグラスの氷を揺らします。
 ホテル・レインカラーの雨宮さんも知らなかったはずです。知っていたら、はじめから欲しがるはずもありません。海老名さんのことですから、こちらから尋ねなければ、あえて自分から話すこともなかったでしょう。
「やさしい夕焼けです。穏やかな方だったのですね」
 あらためて私は絵画を見ます。桃色から藍色に柔らかく移り変わる色合いのなかで、日の明かりだけが薄い橙色に灯り、その透明な光が空の映る川面に伸びています。夏でしょうか。松野さんがタクシーで連れていってくれた朝風町浅間神社のこぢんまりとした展望台からの眺めのようです。もしかすると、かつて香奈恵さんは松野さんと同じ高校の美術部員だったのかもしれません。
「いや、怒ってばかりだった」と海老名さんは笑います。卓上に置かれた缶から海老名さんは一粒ドロップスをとりだしました。「ハッカだ」
 珪藻土のコースターのうえに、私はハッカ味のドロップスを置きました。海老名さんとちがって私はまともなので、コーヒーを飲んでいるときに飴は舐めません。海老名さんはレモン味の飴を引き当てて口に含み、かまわずグラスに口をつけます。
 ハッカとレモンのドロップスを見ていたら、先ほど朝風町通りで見上げた夏の大三角が思い出されました。
「あの、じつは」と私は空調で冷えた額の汗を拭います。
 伝えにくい言葉は、なかなか喉の奥から出てきません。でも、それは「前者」です。自分が動かせないことではありませんでした。
「私も涙が出なくて。高校の卒業式でも」
 海老名さんはドロップスでほっぺたを膨らませるのを止め、黒縁メガネのレンズの奥から私の顔を見ます。
「高校生活が終わってほしくありませんでした。泣いても泣かなくても同じなのに、変ですね。涙が流れてしまったら、何かが、ほんとうに終わってしまう気がしました」
 海老名さんは短パンのポケットから橙色のインクボトルを取り出し、天井から下がっているペンダントランプの電灯に透かします。
「西条くんは、ひとつ勘違いをしているな」
 私がわずかに首を傾げると、海老名さんはつづけます。
「この店にあるほかの絵は、妻がいなくなったあとの五年で描いたものでね。店が閉まってから毎晩、アホみたいに泣きながら、鼻水を垂らしまくりながら描いた。絵の具に涙が混じったのは一度や二度じゃない」
 インクボトルをつつきながら、海老名さんはアイスコーヒーを飲み干します。かつて彼が語ってくれた涙壺の話を私は思い出しました。古代ローマ時代、集めた涙が乾くときに喪明けとなると信じられていた小瓶です。
 目を落としたまま、静かに彼は言いました。
「泣くのは終わりじゃない。終わりと始まりはよく似ている。こいつらは」と海老名さんは吹き抜けになっている一階の壁を見ずに、親指でさしました。
 橙色。茜色。黄色。桃色。朱色。一枚、一枚、異なる色合いをした絵画たちが、私の瞳に焼きつきました。
「夕焼けじゃない。朝焼けだ」

 九月中旬、壁の落書きのきれいに消えたカフェ・パレットの外壁が朝日に輝きます。
 「休業中」の張り紙を剥がし、私は開店の準備を終え、コーヒーを飲みます。
 一息つき、休業中に海老名さんとふたりで話した夜を思い出します。
 あのとき、海老名さんはインクボトルにそっと蓋をしました。
 窓に浮かぶ月明かりは橙色のガラス瓶を透かしました。
 収められた涙もきらめきました。
 たしかに、朝焼けのように。





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小牧幸助|文芸・暮らし
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