アジア紀行~カンボジア・アンコール遺跡の旅⑪~
MR.キーのこと
見知らぬ土地を旅する者にとって、旅が楽しいものになるかどうかは、その土地で出会う人に左右されることが多い。
このカンボジアの旅で、私が最も長い時間いっしょに過ごすことになったのは、バイクドライバーのMR.キーだった。キーさんは高校の先生で、学校では英語を教えているという。本当かどうか、確かめる術はないが、町を走っているとき、トラックの荷台に乗っていた若者が彼に挨拶をしたことがあった。キーさんは「student」と言った。あながち嘘ではなかったようだ。
さて、そんなMR.キーとの出会いは、果たして幸いだったのだろうかと疑わしくなることが何度かあった。シェムリアップのホテルに到着した日に巡り会ったのが運命ではある。
ホテルのフロントで、バイクタクシーの相場は1日8ドルと聞いた後、ホテルの前の道路脇で彼と出会った。1日6ドルでいいと言った。着いた早々ラッキーだと思った。その日の午後から、MR.キーのバイクでアンコール遺跡を回ることになる。今日ですでに5日目だ。
到着の日から4日間、雨にもあわず、彼のバイクはそれなりに快適だった。彼はドライバーに徹していて、遺跡の案内のようなことは一切しない。トランスポートだけが役割だと考えているようだ。それはそれで気楽だが、どこかもの足りない気もする。
その一方で、行き先を自分で決めたがる。こちらはよくわからないから、ある程度は任せるしかないのだが、どこか信用しきれないところがある。あのトンレサップ湖のボートチャーター料金も、最後に突然30ドルと言われて驚いた。
さて、今日はどんなトリップになるのだろうか。予定は、ホテルから40km近く離れた場所にあるバンテアイ・スレイ(Banteay Srei)だ。
バンテアイ・スレイ(Banteay Srei)
キーさんとの約束は8時半。時間通りに彼はやって来た。バンテアイ・スレイに行きたいと言うと、「OK!」と快く応えてくれた。
途中まで見慣れた道を走る。アンコールワットの見える辺りまできて、彼は少し振り返って言った。
「Today, extra price. 20dollars.」
また、いつものパターンだ。値段は先に言ってくれと、前に言っておいたのに。20ドルといえば、今回泊まっているホテル1泊の値段だ。遠いので、いつもの倍額の12ドルぐらいと予想していたが、たぶん足元を見ている。
ホテルの人は、車のチャーターで1日20ドルと教えてくれていたので、彼の言う値段はやはり高いと思う。
「それなら、明日、車でバンテアイ・スレイに行くから、今日はアンコールワットでいいよ」と言うと、バイクを止めて、彼は「自分を信じろ」と応じる。こんな異国でお金のことでもめたくない。結局MR.キーは、15ドルと値を下げたので、承諾することになった。
バンテアイ・スレイまでの道は、正直「悪路」である。途中から舗装はなくなり、赤土の道になる。それも穴ぼこだらけで、昨夜降ったらしい雨水がたまり、ぬかるみも多い。キーさんは平坦な部分を選んでくねくねと進む。思わず後部座席でお腹に力が入る。腹筋が鍛えられるかも、と思ったりする。ポルポト政権の頃は、地雷が埋められたところもあったと聞いて、ちょっと恐ろしくなる。
いくつ村を通り過ぎただろうか。どこまでも広がる緑の水田を眺め、カンボジアの風を肌で直に感じるのは気持ちいい。少々お尻が痛いが、バイクでよかったと思う。車なら、かなり楽だっただろう。しかし、スモークガラスやフィルムを貼った窓越しに見るカンボジアは本物ではないのだ。
1時間余りでバンテアイ・スレイに到着する。
バンテアイ・スレイの Banteay は「砦」、Srei は「女」で、「女の砦」という意味だそうだ。967年に建立されたヒンドゥー教寺院である。周囲約400mほどの小寺院だが、アンコール遺跡の中でも、特に彫刻の美しさで有名だ。
塔門を潜ると、リンガが並んだ参道がある。
左右の草叢に、彫刻や文字が刻まれた赤っぽい石が無造作に置かれている。赤色砂岩という種類らしい。
参道は東から西へと続く。中央祠堂に到着するまでに、いくつかの塔門を潜る。周囲が環濠になっているところもある。
門の上のレリーフが精緻で美しい。
寺院の中央には三つの祠堂が並んでいる。壁面にはすべて彫刻が施されている。中央祠堂の前には、門衛神の「ドヴァーラパーラ」がいる。
ここで是非見たかったのは、美しいデバター像のレリーフである。
南祠堂と北祠堂の東西南北壁面に、それそれ2体づつ合計16体のデバター像が飾られている。
バンテアイ・スレイのデバター像は「東洋のモナリザ」と呼ばれている。フランスの作家アンドレ・マルローは、このデバター像を国外に持ち出そうとして逮捕され、1924年にプノンペンの裁判所で禁固3年の判決を受けた。パリの知識人らは署名嘆願運動を起こし、その結果マルローは執行猶予1年に減刑され、フランスに帰国することができたそうだ。彼は後にこの事件を基にして『王道』という小説を書いている。
日本人の観光客らしき一団が、デバター像の前で記念写真を撮ったりしてはしゃいでいる。あまり近づきたくない。水とガイドブックを手に、一人静かに見ている西洋人もいる。こちらのほうに親しみを感じる。
太陽はすでに頭上にあり、かぎりなく暑い。日陰はほとんどない。
それにしても、壁面の彫刻はいくら見ても見飽きることがない。千年以上もの歳月が経っているとは信じられない。きっと『ラーマーヤナ』などの場面がそこに彫られているのだろうが、わからないのが残念だ。
祠堂の内部をのぞいてみる。もとは何があったのだろうか。
西側にも短い参道があった。こちらにもリンガの列。
もっとゆっくりと見ておきたかったけれど、すでにかなりの時間が経っている。水分を補給するが、本当に暑い。キーさんが待っているところまで戻ることにする。最後にもう一度バンテアイ・スレイを振り返る。
この旅よりも後のことだが、バリ島やミャンマーのバガンではバイクを借りて自分で運転したことがあった。自由で気楽だった。アンコール遺跡の道路はとても分かりやすいので、もし自分で運転しても迷うことはなさそうだ。
これも後のことだが、バンテアイ・スレイはきれいに修復・整備され、遺跡センターなど観光客用の施設も建てられたそうだ。しかし一方で、寺院の建物の周囲にはロープが巡らされて、あまり近づけないらしい。私が訪れた時はオープンで幸いだった。
バイクの場所まで戻ると、MR.キーが待っていた。
「次はどこに行く? 滝のある山はどうか?」
などと提案してくる。さらに追加料金を請求しそうだ。いや、お金のことより、この暑さでバテ気味の状態でこれ以上遠くに行くのは遠慮しておこう。そうでなくても、町までまた1時間以上も悪路を戻らなければいけないのだから。
「もう昼だから、一度ホテルに戻りたい」
穴ぼこ道でお腹に力を入れ、お尻を浮かせながら、もと来た道を戻る。途中見かける子どもたちや村の人たちの姿を写真に撮っておきたいと思ったが、バイクの上からでは無理だ。それに、止めてくれと彼に声を掛ける気がしなかった。
やがて、見覚えのある風景が前方に見えてきた。