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大阪市の神社と狛犬 ⑯天王寺区 ④堀越神社~寛政の隠居狛犬~
大阪市天王寺区の地図と神社
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大阪市には、現在24の行政区があります。天王寺区は大阪市の中南部に位置し、区域の大半は南北にのびる上町台地上にあります。区名は、聖徳太子建立の日本最古の官営寺院である四天王寺に由来します。区内には約200の社寺があるほか、名所旧跡も多く、歴史と伝統の息づく町といえます。
天王寺区には、神社が11社あります。そのうちの1社は、生野区にある弥栄神社の御旅所です。
今回参拝するのは、四天王寺七宮のひとつに数えられる堀越神社です。天王寺区の神社4社目になります。大阪メトロ・JR「天王寺駅」、近鉄「阿倍野橋駅」から北へ徒歩10分ほど、谷町筋に面して鎮座します。
堀越神社
■所在地 〒543-0063 大阪市天王寺区茶臼山町1-8
■主祭神 崇峻天皇
■由緒 聖徳太子が四天王寺を建立した際、崇峻天皇を祭神として茶臼山に社殿を造営したのが始まりだと伝えられている。崇峻天皇は聖徳太子の叔父にあたる。蘇我馬子によって擁立されるが、その後両者は対立するようになり、592年暗殺された。日本史の中で、臣下により暗殺されたと正史に明記されている唯一の天皇である。
明治の中期まで境内の南沿いに堀があり、この堀を越えて参詣したので、堀越という名が付けられたといわれている。古くから「一生に一度の願いを聞いてくださる神社」として尊崇を集めている。
狛犬1
■奉献年 寛政十二申年十一月吉日(1800)
■作者 不明
■材質 砂岩
■設置 境内奥
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堀越神社には2対の狛犬がある。まず古い浪速狛犬から見てみよう。それは社殿に向かって左側の、境内のいちばん奥まった所にひっそりと置かれている。狛犬は普通、参拝者側に顔を傾けながら向かい合って座している。しかしこの狛犬が向く方向には参道がなく、金網で閉ざされている。元は拝殿前に安置されていたのだろうが、〈狛犬2〉の設置により境内片隅に移動されたようである。
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寛政12年といえば、ちょうど西暦1800年になる。さすがに砂岩でこの歳月は厳しい。飛び出したような丸い目をしていて瞳がある。阿形の耳は欠損し、前肢の先は補修されている。吽形は首の周囲に亀裂があり、かなり危険な状態だ。阿吽とも体表の剥がれもある。
台座には、紀年銘と願主の名前が記されている。
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狛犬の状態を見ると、隠居を余儀なくされたと思われる。これ以上の風化が進まないように、何か手立てがあればいいのだが。
狛犬2
■奉献年 昭和四十五年七月吉日(1970)
■作者 不明
■材質 花崗岩
■設置 鳥居脇
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境内奥から、もう一度神社の入口まで戻ってみよう。こちらに安置されている狛犬は花崗岩製で、寛政の〈狛犬1〉を模して造られたもののようだ。こんな形で古い浪速狛犬を引き継ぐのも一つの方法だと思う。
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台座に「昭和四十五年七月吉日」の銘があり、奉献者は「堀越神社月並茶会」「天王寺駅前問屋町 阪和会」とあり、数名の氏名が記されている。
堀越神社境内
〈拝殿手前〉
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〈熊野第一王子之宮〉
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平安時代に盛んになった熊野詣は、熊野権現の分霊を祀った九十九の王子社の巡拝をしながらたどった。その第一番目が大坂天満の「窪津王子」だった。この「窪津王子」はその後、四天王寺の西門鳥居近くの熊野神社に遷され、さらに後に堀越神社に「熊野第一王子之宮」として合祀されたという。
〈御神木〉
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樹齢550年を超えるという楠の御神木。その横には、お守りやお符の元祖の神様「太上神仙鎮宅七十二霊符神」が祀られている。
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