アジア紀行~インドネシア・タナトラジャ~サバイバル家族旅行note⑮~
Bantimurung国立公園
旅に出て10日目の朝。
小舟に乗って、テンペ湖の風景や、湖に住むブギス族の人々の生活を見たあと、我々はSENGKANGの A.PADA HOTEL を発った。
次の目的地はBantimurung。約150kmの行程だ。日本のように道路が整備されていればよいが、これがまた悪路だった。ところどころに穴ぼこがあり、車がすさまじく揺れる。たこ焼きの鉄板の上を走っているみたい、と妻が言う。それでも揺れに合わせてみんな眠ってしまう。運転するGENTOは大変だっただろう。
Bantimurungに到着したのは、午後3時ごろだった。
Bantimurungは美しい渓谷と豊かな自然が残る保護区で、国立公園に指定されている。広大な森林に大きな滝や鍾乳洞がある。19世紀の中頃、イギリスの博物学者 Alfred Russel Wallace がここで多くの新種の蝶を発見し、珍しい蝶の生息地として有名になった。そのことから、ここは「蝶の谷」と呼ばれている。
現在Bantimurungの入口には大きな蝶のゲートがあるようだが、このとき通ったのは猿のゲートだった。
到着して最初に向かったのは、この日宿泊予定のホテルだ。GENTOが案内してくれたホテルは、家族4人で1泊Rp.9000(500円)という「超」がつく安さの宿だった。しかし、とてもホテルと呼べるものではない。立地場所のせいかジメジメとしていて、見るからに不潔で不衛生だ。自分一人なら我慢もできるが、子供たちもいるので、ここはパスする。BantimurungからUjung Pandangまでは1時間ほどの距離だというから、もっと町の近くのホテルに泊まることにした。
〈Bantimurung waterfall〉
ここBantimurungで有名なものの1つが滝だ。幅20mほどの滝は、絶好の川遊びの場所になる。最近は、州都 Makassar(旧名 Ujung Pandang)の近郊ということで、休日などには大勢の観光客でにぎわうらしいが、我々が行った時は、人もまばらだった。
水着に着替えて、滝で遊ぶ。
30分ほど水遊びをすると、からだがすっかり冷えてしまった。
GENTOに、「ここは蝶の谷というようだが、蝶はどこにいるのか」と尋ねると、朝の7時頃でないとこの辺りでは見られないという。しかし、もっと奥まで行けばたぶん見ることができるそうだ。せっかくここまで来たのだから、探してみようということになった。
〈蝶の谷〉
みんなで、森の中に入って行く。まるで映画のセットの中にいるようだ。現実とは思えない。粘土質の道や渓流の岩場を歩きながらジャングルの中を進むと、洞窟のある突き当たりに出た。ここから先は軽装では入れない。
途中、樹上でサルを見かける。この辺りのサルはハンターを恐れているので、人を見ると逃げるそうだ。
水辺の砂地の上に、たくさんの蝶がいた。早朝ほどではないそうだが、初めて見る者にとっては、これでも十分だ。
蝶が水辺に集まる理由はまだはっきりとはわかっていないそうだが、水分補給をしていることに間違いはない。暑い環境では、水分を補給することで体温調整をしているようだ。さらに、ナトリウムなどの体に必要な栄養成分を補給しているとも言われている。
19世紀の中ごろ、イギリスのWallaceはこの地を訪れて、たくさんの新種の蝶を発見したそうだ。その頃は、この付近はまだまだ未開の地であったのだろう。今でも、すぐ間近で、このような蝶の生態に触れることができることに感動を覚える。蝶たちは近寄っても飛び立とうともしない。大事にそっとしておきたいという気になる。
そろそろ夕方近くになってきた。ここからUjung Pandangまでは、車で1時間ほどだ。
Ujung Pandang
BantimurungからUjung Pandangまでの距離は約40km。ここまでのでこぼこ道とは違って、きれいに舗装されている。予定通り1時間ほどで到着した。
車の中でGENTOに、「フジヤマソングを知ってるか?」と尋ねられる。童謡の「ふじの山」を思い出して、「あ~たまをく~も~の う~えにだ~し~」と歌うと、違うと言う。
GENTOがハミングする。
なんと、坂本九の「上を向いて歩こう」だった。インドネシアでは「フジヤマソング」と呼ばれているのだ。そういえばアメリカでは「スキヤキ」だったことを思い出す。
九ちゃんが飛行機事故で亡くなったことを教えると、GENTOは眉をひそめていた。
Ujung Pandangでは、まず空港のガルーダのオフィスに行って、明日のバリ行きの飛行機を確認する。予定の便がダメで、その次の便の席が確保されていた。確かめておいてよかった。
ガルーダ食堂でマルキサジュースを飲む。思えば、このガルーダ食堂が、スラウェシ島の旅の出発点だった。GENTOに会ったのは、この食堂だ。彼には本当に世話になったが、それもあと少しだと思うと寂しくなる。
ガルーダ食堂を出た後、GENTOに、今夜泊まる「Wisma・Garuda」に連れて行ってもらう。ホテルというよりゲストハウスと言ったほうがよさそうだ。清潔なところでよかった。
場所は。なんとGENTOの自宅のすぐそばだ。ホテルの敷地内にGENTOの家があるという感じだ。
GENTOの2人の子供たちが、久しぶりに帰宅した父親を迎えに出てくる。男の子の名前はアグスという。グントが庭先に駐めた車の匂いを嗅いでいる。ドリアンをいっぱい持って帰ってきたのに気づいたようだ。
木の枝から何か動物の皮がぶら下げられている。アルマジロかな。
ホテルの部屋に、コーヒーとお菓子を持ってきてくれる。日が暮れたら町に出て食事をする約束をするが、ここでゆっくりしたい気もする。
午後7時、約束どおりGENTOが迎えに来る。車で華僑らしき人が経営するレストランへ。
山羊肉のサテ・カンビン。鶏の照り焼き。五目汁そばのミークァ。ごちゃまぜ野菜サラダのガドガド。えびせんとピーナツせん、などなど。お腹がいっぱいになる。
食後は町をぶらぶらする。屋台がいっぱい並んで賑やかだ。本屋があったので、インドネシアの地図と動物の本を買う。
子供たちはここでトイレを借りるが、手桶で汲んだ水を使って手で洗うものだった。
GENTOに送ってもらってホテルに戻ったのは9時半ごろだった。スラウェシ島最後の夜が更けていく。