大阪市の神社と狛犬 ⑰東成区 ⑤熊野大神宮(その2)~ご先祖の台座に坐す昭和狛犬~
大阪市東成区の地図と神社
大阪市には、現在24の行政区があります。東成区は大阪市の東部に位置し、北は城東区、東は東大阪市、南は生野区、西は中央区・天王寺区と接しています。主要道路の集まる今里交差点は、通称「今里ロータリー」と呼ばれ、この付近が区の発展の拠点となっています。
この辺り一帯は、古代において、上町台地の東側の低湿地に流れ込む淀川と大和川の土砂が堆積してできた土地で、「東に生る」ことから「東生」と呼ばれたといいます。奈良時代の和銅年間には新しい郡郷の制度ができ、上町台地の東が「東生郡」、西が「西成郡」と定められました。「東生・東成」の地名は、まさに1300年以上の歴史をもつ由緒あるものです。
東成区には、八王子神社御旅所も含めて神社が6社あります。さらに熊野大神宮に隣接する妙法寺の境内社を含めると7社になります。東成区では、この7ヶ所の狛犬を訪れたいと思います。
熊野大神宮は、大阪メトロの今里駅と新深江駅のほぼ中間あたりに位置します。距離にして500mほどです。周囲は住宅街です。すぐそばを旧暗越奈良街道が通っています。
熊野大神宮ではたくさんの狛犬と出会いましたので、2回に分けて紹介します。今回は「その2」になります。
熊野大神宮
■所在地 〒537-0012 大阪市東成区大今里4-16-48
■主祭神 伊弉册尊・速玉男命・事解男命
■由緒 聖徳太子の開創とされる妙法寺の鎮守社で、創建年は明らかではないが、1400年以上前のこととされる。かつては熊野十二所権現と呼ばれていた。明治維新後の神仏分離により権現号を廃止し、熊野大神宮と改称した。熊野十二所権現とは、熊野三山の神々である。
なお、熊野大神宮から北に800mほど離れたところに八劔神社址があり、そこが熊野大神宮御旅所になっている。
狛犬4
■奉献年 不明
■作者 不明
■材質 花崗岩
■設置 金刀比羅神社前
熊野大神宮本殿の瑞垣の北側に、金刀比羅神社がある。祭神は大物主命。社殿の前に一対の石造狛犬が安置されている。奉献年などは記されていないが、昭和の狛犬であろう。
狛犬5
■奉献年 昭和四十一年十二月(1966)
■作者 不明
■材質 花崗岩
■設置 厳島神社参道
熊野大神宮境内の東南に、摂社の厳島神社がある。祭神は市杵島姫命(弁財天)。広島県宮島にある厳島神社の、海上に立つ大鳥居は有名だが、写真の一番手前の鳥居は石造で、角柱を用いた住吉型である。
鳥居を三つ潜った先に、一対の狛犬が置かれている。
狛犬の第二台座に「昭和四十一年十二月」「金婚記念」という文字と、金婚式を迎えたと思われる奉納者の「松井弥一郎」「松井ウタ」という名前が刻まれている。しかし、その下の基壇には、「文化八辛未十一月吉日」「願主
松井藤吉」とある。
もともとこの基壇の上には、文化年間の浪速狛犬が坐していたのだが、この昭和の狛犬と代替わりしたのだろう。奉納者がどちらも松井姓であるのは、金婚記念のご夫婦のどちらかが、江戸時代の松井藤吉さんの子孫だと考えられる。狛犬の歴史は人の歴史でもある。
さらに鳥居を潜り、石橋を渡った先に厳島神社が鎮座する。
狛犬6
■奉献年 昭和四十一年十二月吉日(1966)
■作者 不明
■材質 花崗岩
■設置 白高大明神・八助大明神・笠杉大明神・白光大神前
厳島神社の南側に、厳島神社と並ぶような形で四柱の神様が祀られている。自然石に「白高大明神・八助大明神」「笠杉大明神・白光大神」と刻まれている。その前に、数体の狐像と一対の狛犬が置かれている。
狛犬の奉献年は、台座に「昭和四十一年十二月吉日」と刻まれており、先の厳島神社参道の狛犬と同時期だ。阿形は子取り、吽形は玉取りで大きな角を持つ。口だけではなく耳の形にも阿吽で変化をつける。おおらかな狛犬だが、江戸時代の浪速狛犬の名残が感じられる。
余談ですが・・・
熊野大神宮は、私にとって思い出の神社です。祖父の家がこの近くにありました。祖父は叔父一家といっしょに暮らしていて、その家には私と年の近い従兄弟がいました。毎年、正月と夏休みには両親に連れられてこの家を訪れました。その頃のいちばんの楽しみは、「宮さん」に行くことでした。正月と祭りのある頃の宮さんには、たくさんの屋台や出店が並びました。熊野大神宮という名称はずっと後になって知りましたが、私の中では、ここは「宮さん」という名の遊び場でした。
今回、狛犬を求めて正式に参拝しましたが、昔の境内の様子がぼんやりと蘇り、懐かしく思いました。