大阪市の神社と狛犬 ㉒住吉区 ③大歳社(住吉大社境外末社)~神殿狛犬に昇格した浪速狛犬~
大阪市住吉区の地図と神社
大阪市には、現在24の行政区があります。住吉区は、大阪市の最南部に位置し、大和川を隔てた南は堺市になります。この辺りは、古代には「すみのえ」と呼ばれた海に面した地域で、海上安全の守護神として名高い住吉大社とともに栄えてきました。また、大阪と泉州・紀州を結ぶ紀州街道や熊野街道などの交通の要衝でもありました。
住吉区には由緒ある古い神社がいくつもあります。前回までは、摂津国一之宮である住吉大社について12回にわたり紹介しましたが、今回は、住吉大社の境外末社である大歳社を訪れたいと思います。大歳社は、前回の浅澤社のすぐ近くにあります。
狛犬1
■奉献年 昭和五十一年三月吉日(1976)
■作者 不明
■材質 花崗岩
■設置 社殿前
大歳社は「初辰まいり」で最後にお参りする神社で、祭神の大歳神は、豊年・豊作の「五穀収穫」の神様として信仰されてきた。しかし最近はお金の収穫、すなわち「集金」の神様として信仰されている。
「文化七庚午年」のある鳥居を潜ると、すぐに社殿がある。社殿の前には、花崗岩製のまだ新しい昭和の狛犬が安置されている。
狛犬が座す紀年銘のある台座と、その下にある基壇の雰囲気が違うので、彫られた文字を見ると「文政」という年号がある。これはどうも先代狛犬の台座らしい。先代が引退した後、その台座をそのまま次の狛犬が受け継ぐことは時々見かける。この昭和の狛犬も、江戸時代から長らく神殿を守ってきた先代狛犬の台座を譲り受けたのだ。
気になるのは、その先代狛犬がどうなったのかということだ。その不安は社殿の大歳神にお参りした途端、解消された。
昭和の狛犬が座していた先代の台座については、次の〈狛犬2〉で解説したい。
狛犬2
■奉献年 文政十一戊子年 四月吉日(1828)
■作者 不明
■材質 砂岩
■設置 社殿内
大歳社の社殿の内陣を見ると、なんと神前左右に石造の狛犬が置かれている。この位置に石造狛犬が安置されることはめったにない。通常は木造狛犬である。昭和51年に新しい狛犬が奉納されたときに、この位置に移されたのだろう。神殿狛犬に昇格した石造狛犬は珍しい。そばに近寄ることはできないが、間違いなくこれは先代の浪速狛犬である。
前掛けをしている部分はわからないが、それほど損傷があるようには見えない。丸目・垂れ耳で、口角を下げる。吽形には角がある。江戸時代の最盛期の浪速狛犬だ。
この狛犬についての手がかりは、先の昭和狛犬が座していた台座にある。もう一度社殿前の狛犬台座を見てみよう。
「文政十一戊子年」は西暦1828年。「和泉屋吉右衛門」と「和泉屋佐兵衛」はこの狛犬の奉献者で、住所は違うが同じ屋号なので、親子か兄弟かもしれない。「執次」というのは、仲介者で、「神奴」と書かれている。「神奴」とは、神主職・宮司職の配下の神人で、古くから神社に隷属して領地田畠の耕作、調度品の製造、社域内の清掃をはじめとする雑役に従事した人たちである。台座に記されているのを見るのは初めてだが、このように狛犬奉献の仲立ちもしたのだろう。
社殿の外に安置される参道狛犬は、どうしても風雨にさらされる。江戸時代19世紀前半の文化・文政・天保の時期は、浪速狛犬の最盛期だった。この頃は町人の財力も増し、たくさんの狛犬が神社に奉納された。その狛犬たちも、いまや200歳近くになっている。
大阪では和泉砂岩で造られた狛犬が多く、現在まで完全な姿で残っているものは数少ない。あるものは損傷が激しくて廃棄処分になり、あるものは神社の片隅に忘れられたように放置されている。
しかしこの大歳社のように、雨風のあたらない社殿の中に移されたり、世代交代した後も、瑞垣の中の本殿に近いところに安置されたりしている例も時々見かける。狛犬は神様の守護獣であり、文化財でもあるので、いつまでも大切に扱ってほしいものだ。
おいとしぼし社
大歳社の境内に、「おいとしぼし社」という小社がある。「おいとしぼし」は「お愛し星」とも「老年星」とも言われ、天から落下した隕石を守護神としてお祀りしたのが始まりだと伝えられている。そのことと関係があるのか、おいとしぼし社には「おもかる石」が3個置かれていた。
住吉大社関係の神社と狛犬の紹介はこれで終わります。
住吉大社の境外末社としては、すでに紹介済みの大阪市港区の港住吉神社があります。
また堺市には、住吉大社の御旅所となっている宿院頓宮があります。こちらは、同じ堺市の大鳥大社の御旅所にもなっています。