大阪市の神社と狛犬 ⑲阿倍野区 ⑤松長大明神~相方を失った孤独狛犬~
大阪市阿倍野区の地図と神社
大阪市には、現在24の行政区があります。阿倍野区は、上町台地の南の高台に位置し、古くから大阪南部の交通の要衝として栄えてきました。天王寺区との区境にある北部には交通機関が集結し、多くの商業施設が建ち並んでいます。特に、地上300mの高さを誇る超高層複合ビル「あべのハルカス」は、天王寺・阿倍野のランドマークになっています。区名の「阿倍野」は、古代にこの地を領有していた豪族「阿倍氏」の姓からとする説が有力です。
今回は、阿倍野駅近くの住宅街にひっそりと鎮座する松長大明神にお参りします。あべのハルカスから歩いて7~8分のところです。常盤通から細い路地を南に入ると、鳥居とその奥に小さな祠が見えます。
松長大明神
■所在地 〒545-0053 大阪市阿倍野区松崎町3-6-2
■主祭神 松長大明神
■由緒 不明
鳥居を潜るとすぐ左手に「阿倍寺跡推定地」と記された石碑が建っている。
阿倍寺は阿倍氏の氏寺で、「阿倍寺千軒」と言われるほど広大な寺域を有していた。この松長大明神付近から、阿倍寺の塔心礎と思われる礎石が出土したことから、かつてこの辺りに阿倍寺があったと推定される。なおこの礎石は、西成区の天下茶屋公園に移設されている。
石敷の短い参道があり、その正面に小さな祠が祀られている。
狛犬(吽形一体)
■奉献年 大正元年九月(1912)
■作者 不明
■材質 砂岩
■設置 社殿手前参道
狭い境内には、小さな祠の手前に、燈籠、蝋燭立ての石祠と石造狛犬があるだけだが、その狛犬さえも阿形の姿はなく、主のいない台座のみが残されている。
燈籠には「大正元年九月」という紀年銘があり、同じ銘が狛犬台座にも彫られている。入口の石鳥居の石柱には「大正元年八月良辰」とあり、この時期に境内が整備されたのだろう。
相方を失った吽形狛犬は砂岩製で、前肢に損傷があるが、江戸時代の浪速狛犬の伝統を感じさせる。しかし後方に靡く分厚い耳や、蝋燭のように立ち上がる尻尾の毛並みの一部が背中側に伸びる意匠は、近代の大阪の狛犬の特徴の一つと言える。
それにしても、阿形狛犬はどうなったのだろうか、気に掛かる。
松長大明神社殿
狭い境内の突き当たりに松長大明神の小祠がある。銅で葺かれた屋根も、周囲の朱色の瑞垣も、まだ新しい。
裏側に回ると、この社殿が石垣を巡らした井戸のような穴の上に鎮座していることがわかる。
松長大明神がどのような神様なのかわからないが、井戸の上に鎮座することから、水の神と関係があるのかもしれない。
「松長」という名称はどこから来たのだろうか。神社のある地名は「松崎町」で、街道沿いには松並木があったという。
日本の神社の総数は8万社を超えるといわれています。さらに摂社や末社を加えると、20万から30万社にのぼります。今回の松長大明神のような小祠も入れるとさらに数は増えます。
大阪府神社庁によると、大阪市阿倍野区の登録神社は阿部野神社と阿倍王子神社の2社だけです。安倍晴明神社は阿倍王子神社の摂社ということで、数に入っていません。
この「大阪市の神社と狛犬」noteでは、神社の御旅所や寺院も含めて、狛犬のいるところを訪れていますので、けっこうな数になります。それでも見落としがあるでしょうね。
阿倍野区は残り一社、次回は股ヶ池明神に参拝します。