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大阪市の神社と狛犬 ❾鶴見区⑧阿遅速雄神社~地元選出の渋狛~

大阪市鶴見区の地図と神社

大阪市には、現在24の行政区があります。鶴見区は、北西は旭区、西は城東区と接していて、大阪市でいちばん東に位置します。さらに、北は守口市、北東は門真市、東は大東市、南は東大阪市になります。
かつては蓮畑や蓮根畑が多いのどかな田舎町でしたが、1990年には花博が開催され、開発が進みました。花博会場の跡地は鶴見緑地として区のシンボルになっています。
鶴見区」という名前の由来については、次のような話が伝わっています。鎌倉時代に、源頼朝が富士の裾野で巻狩をしたときに、千羽の鶴に金の短冊を付けて放したところ、この地に飛来して住み着いたといいます。その鶴を見物に来る人が多く、そのことから「鶴見」という呼び名がついたといわれています。
鶴見区には神社が8社ありますが、今回の阿遅速雄あちはやお神社が8社目で、鶴見区の最後になります。JR学研都市線放出はなてん駅の東、約200mの地に鎮座します。神社名も、最寄りの駅名も難読ですね。

阿遅速雄神社

■所在地 〒538-0044 大阪市鶴見区放出東3-31-18
■主祭神 阿遅鉏高日子根神あじすきたかひこねのかみ・八劔大神
■由緒  阿遅鉏高日子根神は、農業の神、雷神、不動産業の神として信仰されており、社伝によれば、この地に降臨して土地を拓き、民に農耕の業を授けたと言われている。当社は『延喜式神名帳』に記されている式内社だったが、長らく八剣神社と称されていた。江戸時代の学者、並河誠所は、当社が延喜式における阿遅速雄神社にあたるとして、「阿遅速雄社社号標石」をおいた。それ以降、阿遅速雄神社と呼ばれるようになったという。

阿遅速雄神社  鳥居

社殿の東側に立派な神門があり、それを潜って境内に入ると石鳥居がある。参道を真っ直ぐに進んで拝殿にお参りする。拝殿前には、二対の狛犬がいる。

阿遅速雄神社  拝殿と狛犬

狛犬1

■奉献年 文政三庚辰六月吉日(1820) 
■石工  不明
■材質  砂岩
■設置  拝殿前

文政3年奉献の狛犬(阿形)
文政3年奉献の狛犬(吽形)
文政3年奉献の狛犬
文政3年奉献の狛犬(阿形頭部)
文政3年奉献の狛犬(吽形頭部)

「文政三庚辰六月吉日」の紀年銘を持つ砂岩製浪速狛犬。頭部から胴部にかけて、がっしりしている。阿吽とも垂れ耳で、小さな丸目。目と目の間の太い横皺と、吽形の山型に閉じた口元を見ると、ただ者ではない渋さを感じる。阿形の頭部が大きく破損しているのが残念。

狛犬2

■奉献年 草薙神剱奉斎千三百年祭記念(昭和43年)
■石工  不明
■材質  青銅
■設置  拝殿前

草薙神剱奉斎千三百年祭記念奉献の青銅狛犬
草薙神剱奉斎千三百年祭記念奉献の青銅狛犬
草薙神剱奉斎千三百年祭記念奉献の青銅狛犬

台座に「草薙神剱奉斎千三百年祭記念」と書かれている。阿遅速雄神社には、三種の神器の一つである「草薙剣」にまつわる次のような伝承がある。

天智天皇7年(668)、新羅の僧・道行が草薙剣を盗んで、船で新羅に逃げ帰ろうとする事件が起きた。しかし道行の乗った船が突然の嵐に巻き込まれたことから、道行はこれを神罰と恐れをなして、神剣を途中の河口に放り投げてしまった。しかし、草薙剣は里人により拾われ、阿遅速雄神社に一時納められた。その後、草薙剣は無事に熱田神宮に返還されたという。

青銅狛犬像には紀年銘がないが、天智天皇7年(668)から1300年ということから、昭和43年(1968)の奉献と思われる。
阿吽とも両耳が靡くように左右に広がって垂れ、吽形は立派な角を持っている。尻尾は背に沿って美しく伸び上がる。

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