大阪市の神社と狛犬 ➏北区③豊崎神社~珍しい玉乗せ狛犬~
大阪市北区の地図と神社
大阪市には、現在24の行政区があります。淀川のすぐ南側には5つの区がありますが、北区はその中央にあり、大阪市役所の所在地です。北区の中心地梅田は、西日本最大の鉄道ターミナルで、JR大阪駅や阪急・阪神の梅田駅ががあります。地勢的には、北は淀川、東は大川、南は土佐堀川と三方を河川に囲まれ、西は福島区に隣接しています。北区には、神社が11社あります。
豊崎神社は、Osaka Metro御堂筋線中津駅から北東へ約500mの地に鎮座しています。この辺りは孝徳天皇の難波長柄豊碕宮のあった場所とされています。
豊崎神社
■所在地 〒531-0072 大阪市北区豊崎6-6-4
■主祭神 孝徳天皇
■由緒 社伝によれば、難波長柄豊碕宮が廃された後、宮跡は松林となったが、一条天皇の正暦年間(990~995)に藤原重治という人物がこの地の開拓にあたり、この樹林に小祠を建立して孝徳天皇をお祀りした。後に村民の望みで、素盞鳴尊を合祀したという。
狛犬1
■奉献年 昭和十二年十月足日(1937)
■石工 石匠 長柄橋 森村好次郎
■材質 花崗岩
■設置 正面鳥居内側参道
現在大阪に2例しかない「玉乗せ狛犬」の一つである。玉乗せ狛犬(と私が呼んでいる狛犬)とは、前肢を持ち上げて、その甲に部分に玉を乗せている狛犬のことで、ルーツは出雲地方の狛犬にあると考えられている。牡丹紋の丸台座に乗り、炎のように立ち上がる大きな尾を持つのも、出雲狛犬の影響が大きい。
大阪のもう1例は、堺市の開口神社にあって、こちらは文久3年(1863)の奉献。実はこの2例はたいへん似ていて、豊崎神社の玉乗せ・子取り狛犬は、開口神社の狛犬を模倣して造られたもの思われる。
「石匠 長柄橋 森村好次郎」については不明である。奉納者は、「本家・木下重次郎」と「分家・木下元吉 以下三名」と記されており、木下重次郎は貸家業で財をなし、府会議員も務めた地元の有力者だったらしい。おそらく、この木下氏の要望を受けて、開口神社の狛犬とそっくりなものを造ったのであろう。
この狛犬は、次のような特徴をもつ。
狛犬2
■奉献年 寛政八年丙辰九月(1796)
■石工 不明
■材質 砂岩
■設置 東照宮社・厳島神社前
寛政8年(1796)奉納の砂岩製の浪速狛犬。豊崎神社ではいちばん古い石造狛犬である。阿吽ともに垂れ耳で、吽形の頭上には角がある。阿形は巻き毛と直毛を持つが、吽形の毛並みは直毛だけである。このように阿吽で毛並みに変化をつけるタイプを、高槻市の三輪神社の型、すなわち「三輪型」と呼んでいる。
台座に「願主 中村氏」「紙屋佐兵衛」の銘がある。石工は不明。
狛犬3
■奉献年 文政十丁亥/六月吉日(1827)
■石工 大野 石工 泉屋久七
■材質 砂岩
■設置 鹿島神社前
「奉献」と彫られた第二台座に、「文政十丁亥」(左)・「六月吉日」(右)と紀年銘がある。第二台座の別の面には、「大野 石工 泉屋久七」と読める作者の名前がある。さらにその下の第三台座には、「當村上之丁 茂兵衛 左右ヱ門」(左)・「當村上之丁 惣兵衛 藤七」(右)という奉献者と思われる人物名が刻まれている。
この狛犬の特徴は、なんと言っても不思議な目の表現だろう。鼻の両上に、飛び出したサングラスのような目がついている。吽形の頭上には角がある。前肢と後肢の先の、さりげない走り毛もいい。
狛犬4
■奉献年 昭和十二年十月建之(1937)
■石工 石匠 石徳
■材質 花崗岩
■設置 恵美須神社前
「昭和十二年十月建之」という紀年銘は、〈狛犬1〉の玉乗せ狛犬と同年同月の奉納になる。この年は、豊崎神社にとって何か節目の年だったのだろうか。昭和12年(1937)といえば、7月に中国北京郊外の盧溝橋で日中両軍の衝突があり、それを発端として、日中が全面戦争に突入した年である。国威高揚のために、神社に狛犬が奉納されることも多かったようだ。
恵美須神社前に安置されている狛犬は、小社にふさわしく小振りで、獰猛さを抑えた愛らしさが感じられる。
おまけ
寛政8年奉献の狛犬が安置されている東照宮社・厳島神社の写真にも写っているが、石造狛犬よりも社殿に近いところに、陶製の小さな像がある。
飾り紐をつけ、顔だけこちらに向けている。一対の中国獅子のようだが、いずれにも角があるので、正確には獅子とは呼べない。また一角があると言っても、これは狛犬ではない。額の中央には、仏の白毫のような突起がある。聖獣であることは間違いないだろう。