油断!
安心
日曜日に実施した公民館での「狛犬講座」は、大成功だった。
募集人数を超える人が集まった。
前半はパワーポイントを使いながら地元の伊射奈岐神社のお話をし、後半は神社に移動してのフィールドワークとなった。
公民館のスタッフの協力もあって、予定時間をオーバーしても、皆さんとても熱心で、いろんな気づきや発見があったようだ。
心配した天候も薄曇りで雨にはならず、楽しい講座になった。
受講者の中には、狛犬の油絵を描いてくださった方もいた。
帰宅して遅い昼ご飯をすませ、再び外出。紅・黄・緑の色の変化が楽しめる「三色彩道」の街路樹を見に出かけた。まだ少し早かったが、美しく色づいた木々もあった。
油断
翌日は晴れ。足の調子はまずまずだけど、気分は前向きだった。
久しぶりに町に出てみよう、そんな気持ちになった。
思えば、5月31日に奈良へ出かけた日から半年近く電車に乗っていない。胸水が溜まっているとわかったのは、その翌日だった。
天満の天神さんにお参りすることにした。JR環状線天満駅から大阪天満宮まで、天神橋筋商店街を歩く。天4から天2まで。相変わらず賑やかな通りだ。距離にして1km余りをゆっくり歩く。
大阪天満宮の北側入口からお参りする。すぐ横に天満天神繁昌亭がある。
お参りをすませたあと、菅原道真の一生を博多人形で再現した「菅家廊下」を見学し、境内の狛犬たちとも再会した。
帰りは買い物などもしながら、駅まで戻る。階段の上り下りがつらい。
油断したとは思わなかった。
しかし、身体は正直に応えを出した、たぶん。
油断大敵
翌朝、少し頭痛。なんとなく頭がぼんやりする。検温すると37.3度。微熱だが気になる。2日後には、次の化学療法のため通院しなければならない。造影CTの検査もある。こんな時期に熱など出している場合じゃない。
ニュースで谷川俊太郎さんが亡くなったことを知る。ますます気分が落ち込む。昼には37.8度まで上がる。1時間ほど眠る。
翌日も、もちろん謹慎状態。熱は37度の前半を行き来している。
この日は、火野正平さんの死去が報じられた。連日の訃報はさすがにつらいものがある。
「油断」という言葉が何度も思い浮かぶ。「油断大敵」という四字熟語がある。「注意を少しでも怠れば、思わぬ失敗を招くから、十分に気をつけるべきである」という戒めの言葉である。
この「油断」は、何が出典なのか。することもないので、いろいろ調べてみる。
「油断」という言葉は、日本以外の漢字文化圏では通用しない漢熟語らしい。中国の史書などに、この言葉は出てこない。もっともらしい語源としては、次のようなものがある。
『日本国語大辞典 20』(小学館)で「油断」を調べると、「北本涅槃経 22」にある、こんな逸話が引用されている。
王様が1人の家臣に油鉢を持たせて宮殿を歩かせ、もし油を一滴でもこぼせば、お前の命を断つと告げた。さらに、刀を抜いた家来をその家臣の後に付けさせた。鉢を持った家臣は、注意深く油鉢を持って宮殿内を歩き、一滴も油をこぼすことがなかったという。
話としては、とてもおもしろい。しかし、油鉢の油をこぼせば断たれるのは自分の命である。「油鉢」と「油断」との間には、少々距離があるように思う。まあ、こんな逸話が経典に載っているということであろう。
話を元に戻すと、今回の発熱は、間違いなく自らの「油断」が原因である。
ふと『徒然草』の「高名の木のぼり」の話を思い出す。
もう大丈夫と「油断」するところに落とし穴がある。
自分自身をかえりみると、決して大丈夫とは思ってはいないんだけど、気の緩みがあったことは確かだ。まさに油断大敵!
2日間の謹慎生活のおかげか、通院治療の日は、何とか37度を切った。
無事一日がかりの治療を終える。診断結果は、ちょっと上向き。
今回で化学療法は10回目になった。「いつまで続くのですか?」と担当医に尋ねると、「治るまで」という返事だった。
「線路は続く~よ、どこまでも~」