彼岸ってそういう意味だったのか!
秋分の日
今年は9月19日が秋彼岸の「彼岸の入り」で、今日22日はその「中日」にあたる。そして今日は秋分の日。
世間ではこの時期に墓参りをする習慣があるが、我が家にはそれはない。S家の本家は奈良の藤原宮近くにあり、子どもの頃に一度だけ訪れたことがある。次男だった父親は大阪で独立し、97歳になった今も、95歳の母親とともに健在だ。それゆえ、親の墓参りをすることもない。
「彼岸」の対義語が「此岸」だと知ったのは高校生の頃だったか。この世が此岸で、あの世が彼岸。その間に三途の川が流れている。漠然とそんなイメージを思い浮かべていた。そこに秋分の日との結びつきはまったくなかった。
3月にも彼岸がある。春分の日を中日とした1週間で、こちらは「春彼岸」。春分・秋分は二十四節気の一つで、太陽が春分点・秋分点を通過する日。この日は、昼夜の時間がほぼ同じになる。そして、太陽は真東からのぼり、真西に沈む。
「西方極楽浄土」という言葉があるが、昔の人々は、太陽が真西に沈むところに「極楽浄土=彼岸」を見たのではなかろうか。
波羅蜜
彼岸が極楽浄土なら、彼岸に至ることは悟りに至ることでもある。
さて、ここからはWikipediaその他から得た「そうだったのか!」というお話。
サンスクリット語に「Pāramitā(パーラミター)」という言葉がある。漢字で書くと「波羅蜜」または「波羅蜜多」となる。有名な「般若心経」の正式な名称は「般若波羅蜜多心経」だが、あの「波羅蜜多」である。
サンスクリット語の「Pāram」は「彼方」の意で、「Pāramitā」は「彼方へ行く」となる。仏教では、これを「此岸(迷い)」から「彼岸(覚り)」へと至ると解釈する。
しかし、「彼岸に至る」ことは簡単なことではない。そのためには厳しい修行が必要である。仏教では、仏になるためのこの修行を「波羅蜜」と呼んでいる。大乗仏教では6つの修行徳目を挙げて「六波羅蜜」という。
う~ん、これは大変。我々凡夫は、太陽が真西に沈むのを拝むだけで精一杯です。
今日は雨が降ったり止んだりの悪天候。それでも回復に向かっているようなので、西の果てに沈む夕日を見ることができるかな?