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アジア紀行~カンボジア・アンコール遺跡の旅⑬~

長い空白

前回「アジア紀行~カンボジア・アンコール遺跡の旅⑫~」を投稿したのは昨年の5月25日だった。

あれから半年以上の空白ができてしまった。
予期せぬ病で入退院を繰り返したのがその原因だが、アンコール遺跡の旅を回想するこのシリーズも、いよいよ旅の最終章を残すのみである。
「長い空白」をそろそろ埋めようと思う。

空白を埋める材料は、旅ノート・写真・おぼろげな記憶の3点である。記憶は、旅ノートの文字と写真に触発されて少しずつよみがえる。 

オッサンが鬱陶しい

この日で旅に出てちょうど1週間になる。時間の過ぎていく感覚が鈍くなっている。

昨日は午前2時頃にやっと寝たので、朝目覚めたのは7時半になっていた。市場で買ったバナナを2本食べる。
約束の8時半に下に降りると、MR.キーがすでに待っていた。「ほんきネー、せこいネー」と訳のわからない日本語を連発している。

今日はプノン・バケンに行きたいと、昨日言ってある。プノン・バケンはアンコール・ワットの北西1kmあまりにある低山で、頂上に10世紀初頭に建設された寺院がある。アンコール・ワットが見下ろせる唯一の場所であるとともに、360°の展望がきくというので、ぜひ訪れたいと思っていた。

MR.キーのバイクの後ろにまたがってシェムリアップの町を抜ける。彼が話しかけてくる。

「今日はみなプノン・クレーンに行くから、行かないか?」

また、このオッサン勝手なことを言い出した。いったい「みな」て誰やねん。
プノン・クレーンはアンコール時代の採石場で、カンボジアでは聖なる山と信仰されているところなので、もちろん行ってみたい。しかしシェムリアップから40kmも離れたところだから、このオッサンのバイクではるばる行くのは耐えがたい。今日ははじめからプノン・バケンに登って、そのあともう一度アンコール・ワットに行くと言ってあるのに。きっと遠くまで出かけて、またバイク代を稼ごうという考えなのだろう。
この厚かましさ、強引さが、観光客相手に生きていくやりかたなのだろうか。ふと、数日前にニャック・ポアンで出会った2人の若いドライバーを思い出した。彼らはいかにも純情そうに見えたが、実際はどうなんだろう。少なくとも、このオッサンよりましだと思う。

走りながらオッサンは、「マッサージはどうか、ベトナムガールもいいぞ、みやげ物を買いに行かないか」等々、うるさくてかなわない。
やっとプノン・バケンに到着。バイクを降りてホッとする。

これまでアジアの旅で、ガイドを雇ったことは3回ある。
インドネシアのスラウェシ島とセラム島を訪れたときは、宿泊を伴うのでどとらも本格的なガイドを雇った。スラウェシ島で雇ったグントという名のガイドはとても誠実で、私たち家族の面倒をよく見てくれた。
男3人のセラム島の旅で雇ったガイドの名は、確かジャニスといった。いかにも狡猾な印象で、私たちの私物のいくつかは、いつの間にか彼のものになっていた。これは失敗例。
今回のアンコール遺跡では単に移動だけだが、それでも数日はこのオッサン(MR.キー)と過ごすことになった。これも失敗例。彼の役割は唯一トランスポートだけで、ガイド的な説明などはいっさいなかった。

Phnom Bakheng(プノン・バケン)

地図を見るとわかるが、プノン・バケンはアンコール・ワットの北西、アンコール・トムよりも手前にある。
高さ60mほどの低い山だが、アンコール三聖山の一つになっている。低いと甘く見て登り始めたが、けっこう急勾配で息が上がる。山裾の登山口では、2頭のシンハが出迎えてくれた。
20分ほどで、やっと頂上に到着する。先客は2人だけで、なんと日本人の若いカップルだった。
「暑いですね」「ハードですね」と言葉を交わす。


プノン・バケンの山頂はちょっとした広場のようになっていて、その向こうにピラミッド型の寺院がある。もとは第1基壇が一辺76m、高さは約47mもあったというが、今ではその面影は薄い。



寺院のいちばん上まで登ることにする。アンコール・ワットも急勾配だったが、ここもかなりきつい。なんと階段の勾配は70度もあるそうだ。一段の幅が狭く、足を横に向けなければいけない。踏み外して落ちたらたいへん!

やっと上に到着。時刻は午前9時を過ぎたところだが、太陽はすでに高くのぼっている。日陰はなく、ひたすら暑い。しかし、ここからの眺望は最高だ。


北は木々が生い繁るジャングル、西には水田が広がっている。西メボンの貯水池や小さく浮かぶ島も見える。



南はシェムリアップの町、南東の方角にアンコール・ワットが少しかすんで見えている。


しばらく眺めを楽しむ。
下の方から、子どもたちの声がする。小学生の団体が登ってきたようだ。引率の先生らしき人もいる。外国人の観光客もまじっている。そろそろ降り時かもしれない。

下山すると、オッサン(MR.キー)がバイクの前で待っていた。予定通りアンコール・ワットまで行ってもらう。汗をかいた顔にあたる風が気持ちいい。「ああ、アンコールの風だ」と思う。
今回の旅、二度目のアンコール・ワットが目の前で待っている。

Angkor Wat(アンコール・ワット)再び

アンコール・ワットの西側入口に到着する。時計を見るとまだ10時過ぎだ。今回は見学したいところだけを回ってみようと思う。バイクのオッサンとは、11時半に待ち合わせをして別れる。ちょっと短いかなと後悔する。

環濠に渡された橋を渡る。子どもたちが濠の中で水遊びをしている。女の子たちも上着を脱いで水に入る。それほど深くはないようだ。子どもたちの笑顔がとてもいい。



カメラを向けると、ちょっと恥ずかしそうに笑う女の子。この子は水に入らないのかな? 子どもを抱いた迷彩服の男性。その向こうに修復したシンハの像がある。


ゆっくりと歩いて橋を渡る。これがカンボジアで歩く速さだと自分に言い聞かせるようにゆっくりと歩く。本当は速くあるけないのだ、暑くて。

この前ここを訪れたのは日曜日の午後だったせいか、人がけっこういた。しかし今日はほとんど見かけない。ついて来ようとする子どもたちがいるが、彼らはガイドのつもりなんだろう。今回は一人で自由に見て回りたい。
橋を渡りきって、十字型テラスを通る。その先に第一回廊がある。


あらためて、アンコール・ワットはすごい寺院だと思う。「すごい」という言葉が軽すぎるぐらい、やはり「すごい」寺院だ。いくつもの回廊やテラスがあり、その規模が大きい。回廊の壁に施された彫刻群も膨大である。屹立する祠堂は天高くそびえる。
その昔、アンコール・ワットを訪れた日本人は、この寺院を祇園精舎だと思っていたという。


アンコール・ワットは、もとはヒンドゥー教の寺院として建設されたが、一時放棄された後、16世紀後半に仏教寺院に改修された。そのため堂内に仏像が安置されている箇所がある。

如来像と釈迦涅槃像

とても見尽くせない。時間はあっという間に過ぎていく。約束の時間が近づく。アンコールとの別れの時間が近づいている。

思い切って来てよかったと思う。アンコール・ワットだけでなく、アンコール・トムを含め膨大な遺跡群がこの地にあることを、自分の目で確かめることができた。驚きと興奮に満ちた日々が間もなく終わろうとしている。

以前インドネシアのジャワ島にあるボロブドゥールを訪れたことがある。2度目に行ったときには、周辺が整備されてきれいな公園になっていた。それはそれで悪くはないんだけれど、聖地が観光地になったようで、少し複雑な気持ちになった。
アンコール遺跡を見て思ったことは、修復の必要な寺院がまだまだあるということだった。建物を造っていたはずの石がごろごろ転がったままになっていたり、熱帯の植物に寺院がのみ込まれそうになっていたりしている。修復には多額の費用と優れた技術が必要だろう。カンボジア政府だけでは手に余るはずだ。ユネスコや世界の国々の援助によって、やっと成り立つものだと思う。少なくとも、遺跡のこれ以上の損壊がないことを願う。

オッサンが待っている所まで早足で戻り、シェムリアップのFreedom・Hotelに向かう。アンコール・ワットが遠ざかっていく。




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