アジア紀行~ベトナム・再びホーチミン②~
アジアンホテル・チェックアウト
ついにチェックアウト・タイムの12時がやってきた。フエから戻ってきて1泊。夜の9時に戻ってくると約束して、荷物を預ける。
一日でもいちばん暑い時間帯に町に繰り出すことになる。貴重品以外にカメラと500ccのペットボトルをバッグに入れると、ずっしり重く感じる。
表に出ると、また雨がポツポツ降り出した。雨宿りを兼ねて軽く昼ご飯にしようと、ベーカリーショップ「キムタイン(KIM THANH)」に向かう。
この店はプリンが美味しいというので有名だ。プリン・クロアッサン・シュークリームとレモンジュースを注文する。全部で11,500ドン。これで100円もしない。1時間ぐらいこの店にいる間に、なんと日本人観光客が5組もやって来た。ガイドブックの力は大きい!
ミュージアム巡り
空模様は相変わらずあやしいが、雨が止んでいる間に店を出る。大きな通りを左に曲がると、サイゴン大聖堂(聖マリア教会)だ。これまで正面からしか見てなかったので、裏側までぐるっと回ってみた。どこから見ても立派な建築だ。
この辺りを歩いていると、必ずバイクタクシーから声がかかる。今回は無視して歩く。公園の中の道は気持ちがいい。どの木も根元から1mぐらいまで白く塗られている。これはペンキではなくて石灰だそうだ。虫除けのためにこのように白く塗るという。しかしよく見ると、電柱まで白く塗られている。ライトが反射するので、危険防止になるらしい。
しばらく行くと、「HO CHI MINH CITY MUSEUM」と書かれた立派な白い建物があった。「ホーチミン市博物館」か。
入館料10,000ドンを支払って中に入る。古代の遺物が展示されているかと思うと、古いテープレコーダーやラジオがある。そして必ずといっていいほど、ベトナム戦争の写真が展示されている。庭には戦闘機や戦車がある。午前中に訪れた統一会堂(旧大統領官邸)でも、庭に戦車が展示されていた。現在のベトナムの原点は、あの「戦争」なのだと実感する。
庭にはこんなものもあった。これなら乗ってみたい。
博物館を出て、ベンタイン市場前の市バスのターミナルを横断する。今回は一度もバスに乗らなかったな。次に来たときには、是非乗ってみたい。
次に向かったのは「ホーチミン市美術博物館」。「美術博物館」という訳語は微妙。英語で言うなら「FINE ART MUSEUM」だから「美術館」でいいと思うけど・・・。
ここも入館料は10,000ドン。ベトナムでよく見かける黄色い建物だ。フランスのバロック様式を取り入れて、1929年にフランス人建築家が設計し、1934年に完成したという。元は個人の邸宅だったらしい。
3階から順に下の階へと移動する。3階は仏教関係の美術品や考古遺物が多かった。かなり古い石像もある。しかしほとんどが19世紀以降のものだ。ベトナムは、中国に支配されたり、チャンパ王国ができたり、フランスの植民地になったりしているので、他国の影響を強く受け、文化の変化も激しかったのだろう。
下の階は絵画が中心で、現代絵画もたくさんあった。ただ、ひたすら作品が並べられているばかりで、解説らしいものはない。もっともベトナム語で書かれていてもわからないが・・・。
ミュージアムをあとにして
さすがに博物館・美術館と連続して見ると、くたびれた。時刻は午後4時半。表通りに出ると、子どもたちがサンダルを手に持って遊んでいる。丸めた紙を玉にして、羽根つきみたいにしているようだ。もちろん裸足である。そばにはさらに小さな子どもが2人。子守もかねているのかな。子どもたちは遊びを発明する名人だ。
学校帰りの子どもたちが、アイスクリームや綿菓子を買っている。ベトナムにも綿菓子があって驚いた。
その場を離れてサイゴン川に向かって歩いていくと、運河沿いの道端で、イヌやネコが小さな籠に入れて売られていた。地図を見ると「動物市場」と書かれている。いい飼い主に巡り会えるとよいのだが。
サイゴン川の船上レストランが停泊しているところは、今日も夕涼みの人たちでいっぱいだった。しばらく川面を眺めながら、間もなくこの地を離れるのだと思うと、少し感傷的になる。
最後の夜
やっとあたりが暗くなりかけてきた。そろそろベトナムでの最後の食事かな。やはりシメは「フォー」だろう。近くの店に入ると、「ビーフ or チキン?」とたずねられる。「ビーフ」と応えると、しばらくして「フォー・ボー」が出てきた。「クオイ」という細長い揚げパンを入れて食べる。ここのフォーもおいしかった。
汗をかいたので、冷たいものが欲しくなる。有名な「バクダン・アイス」の店に行く。すごい名前だが、「爆弾アイス」ではなく「Kem Bach Dang」というアイスクリーム店だ。ココナツをくり抜いた中に、アイスやフルーツが山盛りに入っている「アイスクリーム・イン・ココナツ」を注文する。そのままの名前だが、わかりやすい。日本にいたら、一人でスイーツの店に入ることはまずないだろう。
もう外は完全な夜になった。ホーチミン市人民委員会庁舎がライトアップされている。
アジアンホテルに戻るのは9時だから、あと2時間近くある。どこかで落ち着いて今回の旅を振り返ってみようと思う。ドンコイ通りに面して建っているボンセンホテルのカフェルームに入る。今日一日で、初めてくつろげるイスに座ることができた気がする。疲労はほとんどピークに達しているだろう。からだに力が入らない。目の前のジャスミンティーが少しやわらげてくれる。
ホーチミンはエネルギーがあふれる街だった。バイクの洪水、大勢の人々、物売りのたくましさ、あらゆるものが生きている。この街で安息を求めるには無理がある。フエはもっと優しい感じがした。
現在のベトナムの原点は、やはりベトナム戦争だと実感した。バイクタクシーのニャンさんも徴兵でカンボジアに行ったという。社会主義の国として、今も軍隊の役割は大きいのだろう。ホーチミンの博物館では、すべて「戦争」を展示していた。美術館でさえ例外ではなかった。戦争をテーマにした絵が少なくなかった。しかし、現実に接した人々に「戦争」のおもかげはない。それは気づかないだけかもしれない。自分と同年配の人なら、必ず戦火を潜ってきたはずである。
ベトナムは経済的にはまだ貧しい国だといえるが、それも今後どんどん変わっていくだろう。東洋の街はどこもよく似ている。ホーチミンはやがてバンコクになり、そして香港になる。ドイモイ政策が進み、10年20年の後には近代化がますます進むだろう。エネルギッシュなのは悪いことではないが、私としてはもっと穏やかな街になってほしい。
最後に、ベトナムの女性についての感想。誤解を恐れずに正直に言えば、若い女性はほんとうに美しいと思う。日本人観光客の若い女性と比べても、ずっときれいに見える。なぜだろう。第一にスタイルがいい。アオザイを着るとその美しさが倍増する。髪はみな真っ黒。目立つような化粧をしないが、おしゃれには敏感だ。驚いたのは、「帽子・マスク・ロング手袋」の3点セットの女性を多く見かけたことだ。これでサングラスをかけたら、まったく顔がわからなくなる。すべて日焼けと排ガス防止のためだという。
カップのジャスミンティーを飲み干して、アジアンホテルにもどる。
フロント付近には、昼間はたくさんの荷物が置いてあったが、今は自分の荷物だけが取り残されたようにそこにあった。荷物を受け取り、タクシーを呼んでもらう。
いつの間にかこまかい雨が降り出した。タクシーの窓は街の灯りを反射してギラギラしている。やがて車は国際空港のターミナルに到着。ベトナム・ドンを支払うのはこのタクシー代が最後だ。
ターミナルの中に入ると、もう半分は国外に出たような気になる。窓口で搭乗券をもらい、荷物を預け、空港税を支払い、出国チェックを受ける。お決まりのコースをこなした後は、搭乗のアナウンスを待つだけだ。00:30発のVN940便まで、あと2時間はベトナムの人だ。
最後に
初めてのベトナムの旅、ホーチミン~フエ~ホーチミンを、日記と写真と記憶をたよりに書き綴りました。全部で15回の長さになってしまいましたが、毎回読んで「スキ」をつけてくださる奇特な読者がいらっしゃることが、書き進める力になりました。ありがとうございました。さて、次はどの旅の記憶をたどろうかしら・・・。
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