大阪市の神社と狛犬 ➏北区⑥綱敷天神社~戦災の狛犬~
大阪市北区の地図と神社
大阪市には、現在24の行政区があります。淀川のすぐ南側には5つの区がありますが、北区はその中央にあり、大阪市役所の所在地です。北区の中心地梅田は、西日本最大の鉄道ターミナルで、JR大阪駅や阪急・阪神の梅田駅ががあります。地勢的には、北は淀川、東は大川、南は土佐堀川と三方を河川に囲まれ、西は福島区に隣接しています。北区には、神社が11社あります。
綱敷天神社は、飲食店やアミューズメント店など、さまざまな店舗が並ぶ阪急東通商店街のアーケードを東に抜けてすぐの場所に鎮座しています。
「綱敷」という社名は、菅原道真公が大宰府に下向する途次に、この地に咲いていた紅梅を見るために、船と陸とを繋ぐ艫綱をまるく円座状に敷いて即席の座席としたことに由来すると言われています。
綱敷天神社
■所在地 〒530-0026 大阪市北区神山町9-11
■主祭神 嵯峨天皇・菅原道真
■由緒 社伝によれば、平安時代の弘仁13年(822)、嵯峨天皇が当社のある神山の近くに頓宮を構えたことから、天皇の崩御後、皇子の源融が嵯峨天皇を祀る社として「神野太神宮」を創建したのが当社の始まりであるという。その後、菅原道真公がこの地に立ち寄った後、大宰府で没したことから、道真の神霊を勧請して合祀するようになった。
狛犬1
■奉献年 大正四年十一月(1915) 今上陛下御即位記念
■石工 鋳物師 房本辰之助
■材質 青銅製
■設置 拝殿前
台座の銘から、大正天皇の即位を記念して大正4年(1915)に奉納されたことがわかる。作者は「鋳物師 房本辰之助」とある。昭和18年に発せられた金属類回収令によって、多数の青銅製の狛犬や梵鐘が供出を余儀なくされたが、この狛犬はそれを免れた。しかし昭和20年6月の大阪大空襲で社殿が焼失し、青銅狛犬も被害に遭った。阿形の狛犬(獅子)は尾と後肢に損傷を受け、戦後にコンクリートで補修される。現在もそこだけ色と素材が違い、不自然である。
狛犬2
■奉献年 宝暦十二壬午年十二月吉日(1762)
■石工 西川五良兵衛
■材質 砂岩
■設置 本殿裏側の御垣内
これは大発見だった。もしかして古い石造狛犬はないかと思って、本殿裏側の格子から中をのぞいてみると、目の前に一対の狛犬が保管されていた。かなり傷みがあるようだが、明らかに江戸時代の浪速狛犬である。さらに手がかりを探して、横から中を見る。
角のある吽形の後ろ姿が見える。台座に「石工 西川五良兵衛」という文字が読み取れる。これは驚きだ。西川(屋)五良兵衛といえば、西横堀の石工の名前で、大阪で5例の狛犬を確認しているので、これが6例目になる。
反対側から中を見る。手前の阿形の台座に紀年銘があるようだが、よくわからない。帰宅してから調べると、「宝暦十二壬午年十二月吉日」と刻まれていることがわかった。これまでわかっている西川屋五良兵衛のもっとも古い狛犬は、西淀川区田蓑神社の天明7年(1787)だったので、宝暦12年(1762)の狛犬はそれより25年も古いものになる。
耳が横になびき、眉は巻き毛が連なって耳の上部に続く。吽形の相貌は獅子舞顔に近い。巻き毛と流れ毛に毛筋が彫られている。以上のことから上宮型と言えそうだ。
狛犬3
■奉献年 昭和四十六年十二月十八日(1971)
■石工 不明
■材質 花崗岩
■設置 正面神門前
綱敷天神社正面の鳥居を潜ると、すぐ左右に新しい狛犬が安置されている。台座には、「天皇陛下古稀御祝」「天皇皇后両陛下西欧御訪問」「本社御復興十五周年」「奉納記念」「昭和四十六年十二月十八日」と記されている。
綱敷天神社御旅社
阪急カッパ横丁の東側道路をはさんで、「綱敷天神社御旅社」がある。
もとは「梅塚天満宮」という独立した神社だったが、綱敷天神社に合祀され、現在は御旅社となっている。地元茶屋町の産土神として親しまれている。