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懐かしの青山ビルを巡る回想記

前回投稿した「春の一日、町歩き」の中で、道修町にある蔦のからまる古いビルを紹介しました。

これは現在は「青山ビル」と呼ばれています。もとは、大正10年(1921)に、野田源次郎という人のスパニッシュ風個人邸宅として建てられました。戦後になって青山喜一氏が譲り受け、GHQ将校の施設にもなりました。その後テナントビルになり、現在に至っています。

実はこのビルには古い思い出があります。今回はその頃の記憶をたぐり寄せてみようと思います。


卒業

1968年、春にはまだ遠い寒い一日、ぼくは大阪市内のS高校を卒業した。その日は雪が降っていた。S高校はぼくにとって、居心地のいい暖かい場所だった。その日、文字どおり寒い外に放り出されたぼくは、友だちと連れだって雪の中を心斎橋まで歩いた。MJBという名の珈琲店に落ち着いたぼくたちは、そのとき何を話したのだろうか。
数日後には、国立一期校の入試がひかえていた。たくさんの仲間が同じように受験し、そして散っていった。掲示板にぼくの番号はなかった。一浪は「ひとなみ」と言って、それほどの悲壮感はなかったが、合格するつもりでいたぼくには、やはりショックだった。

4月から予備校通いが始まった。浪人した友だちは、いくつかの予備校に分散したが、そこでまた新しい人間関係が生まれた。ぼくは京阪電車で通っていたので、帰りは中之島図書館で過ごすことが多かった。

Mくん

そんな予備校時代のつながりの中に、忘れられない男がいる。Mくん。彼はぼくが卒業したS高校に近い私学の卒業生で、友人の通う予備校の同級生だった。ぼくが今まで出会ったことのないタイプで、不思議な包容力のようなものを持っていた。
翌年、晴れて大学生となったMくんは、演劇研究部に入部する。ぼくが通う大学とは沿線が違ったが、授業がないときなどに、たまに彼のいる部室を訪れた。そんなことを重ねるうちに、ほかの演劇部の部員とも親しくなり、公演も何度か見に行った。
Mくんは卒業後も演劇の道にこだわり、浅利慶太の劇団四季に入った。しかし裏方からなかなか抜け出せず、やがて病を得て音信が途絶えてしまった。
彼との思い出はいっぱいある。もし過去に戻れるなら、ぜひ会ってみたい人の一人だ。


Nさん

Mくんの所属した演劇部の1年先輩にNさんがいた。Nさんは演劇部の座長をしていたと思う。長期の休みに入ると、演劇部の部員はそろってアルバイトをした。そんなときには、ぼくにも声を掛けてくれた。
忘れられないアルバイトの一つが、宝塚ファミリーランドでの着ぐるみの仕事だ。ウサギやキツネの着ぐるみを着て、園内を歩き回り、子どもたちに愛想を振りまく。決まった時間には、小さな舞台で「スミレのは~な~、さく~ころ~♫」という歌に合わせて踊ったりする。
一度は、同じ着ぐるみを着て車の荷台に乗り、芦屋市長選挙の投票呼びかけをしたこともあった。確か夏のことで、強烈に暑かったことを覚えている。
北浜の三越デパートの食品売り場でのアルバイトもあった。ぼくたちはあちこちの売り場に振り分けられた。会話をするにも、三越独特の符丁があって面白かった。


青山ビル

三越は堺筋に面して建っていたが、この堺筋をわたってすぐのところに青山ビルはあった。冬以外は青々とした蔦におおわれている古いビルだった。この蔦は、もとは甲子園球場から株分けされたものだそうだ。
青山ビルは、国登録有形文化財に指定されて今も健在だが、三越は10年余り前にこの場所から撤退し、あと地には超高層マンションが建った。

演劇を志したMくんが劇団四季に入った一方で、座長のNさんは、この青山ビルの一室を借りて、小さな広告代理店を開いた。広告といっても、企業や店舗の宣伝ビラを作るぐらいの仕事だったと思う。ぼくたちは時々冷やかしがてら、この古いビルを訪れた。机と椅子があり、人が3人も入ればいっぱいになるような小さな部屋だった。しかし、その部屋に至る階段や廊下には、ノスタルジックな温もりがあった。

Nさんの会社は長くは続かなかったようだ。
波乱の多かったぼくたちの学生時代は終わり、やがてそれぞれがそれぞれの道を歩み始めた。

ぼくたちが歩んできた人生は、決して1本の道ではありません。同時期にいろんな道を歩きながら、その道が糸のように編まれて、人生の道ができているのでしょう。
Mくんとの繋がりで歩んだ道は、ぼくの学生時代の複数の糸のうちの1本でしかないのですが、思い出すと心が熱くなります。

今回は、当初は青山ビルの紹介だけのつもりでしたが、思い出を綴ることになってしまいました。

なお、青山ビルの隣には、やはり大正末期に建設された伏見ビルがあります。伏見ビルについては、ぜひ「大阪歴史倶楽部」さんのnoteをご覧ください。


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