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大阪市の神社と狛犬 ⑳西成区 ③天神ノ森天満宮~忘れ去られた狛犬~


大阪市西成区の地図と神社

大阪市には、現在24の行政区があります。西成区は、上町台地の西側から木津川に至る間に位置しています。上町台地の西にる(成る)地として、かつて西成郡と呼ばれていた地域の一部が、大正14年(1925)に大阪市に編入された際に、現在の西成区になりました。北に浪速区、東に阿倍野区、南に住之江区、木津川を挟んで西に大正区が隣接しています。
明治時代ごろまでは玉出たまで天下茶屋てんがちゃやに集落があったほかは農村地帯でしたが、その後急速な宅地化が進みました。

今回は天神ノ森天満宮に参拝します。神社庁に登録されている社名は、単に「天満宮」となっています。阪堺電軌阪堺線「天神ノ森駅」のすぐそばに鎮座します。天神ノ森駅は、ホームに一人掛けの椅子が二脚あるだけの無人駅で、少し離れたところにある反対側のホームとの間に、遮断機もない小さな踏切があります。

阪堺線「天神ノ森駅」と一両編成の車両


天神ノ森天満宮

■所在地 〒557-0042 大阪市西成区岸里東2-3-19
■主祭神 菅原道真公
■由緒  菅原道真が大宰府に左遷された際に、住吉明神参詣の途中で休息したこの地に祠が祀られたことが始まりと伝えられる。応永年間(1394〜1428)に北野天満宮よりご分霊を勧請し、正式に天満宮となった。
室町時代末期の茶人・武野紹鴎が当地の森の一隅に茶室を建て、晩年隠棲した跡地とされ、「天神ノ森」は「紹鴎の森」とも呼ばれている。
また、豊臣秀吉公が堺政所に往来の途中、天満宮西側の茶店で休息し、この付近の風景を賞したことから、この地を「殿下の茶屋~天下茶屋」と称することになり、当社も「天下茶屋天満宮」と呼ばれることもある。

天下茶屋跡


天神ノ森天満宮の本殿・拝殿はほぼ南面しているが、表参道は西側の旧紀州街道側から東に続いている。「紹鴎森天満宮」と刻まれた社号標がそばに建つ鳥居をくぐると、燈籠や天下茶屋仇討ち供養塔が並んでいる。少し先の二ノ鳥居の手前に狛犬の姿が見える。

天神ノ森天満宮  表参道
天神ノ森天満宮  表参道


狛犬1

■奉献年 昭和卅一年七月(1956)
■作者  石匠 田中家
■材質  花崗岩
■設置  表参道

表参道の狛犬1
表参道の狛犬1
表参道の狛犬1(阿形)
表参道の狛犬1(吽形)


昭和31年奉献の花崗岩製の狛犬である。このタイプの岡崎型の狛犬は、戦後になって各地の神社に広まった。さらに後になると、中国製の機械彫りの量産狛犬が入ってくるようになる。


狛犬2

■奉献年 昭和廿六年五月壱日建之(1951) 西成獅子會
■作者  石芳商店
■材質  花崗岩
■設置  表参道

狛犬1の先にある享保20年(1735)建立の二ノ鳥居をくぐると、大阪では少ない構え型の石造狛犬が待ち受けている。

天神ノ森天満宮  表参道二ノ鳥居(享保20年建立)
表参道の狛犬2
表参道の狛犬2(阿形)
表参道の狛犬2(吽形)

前脚をかがめ、尻をあげて今にも飛びつきそうに身構えている一対の狛犬は、昭和26年に「西成獅子會」が奉納したものである。「獅子會」とはライオンズクラブのことだろう。

表参道の狛犬2

見るからに強そうだが、真横(参道正面)から見ると置物みたいだし、後ろ姿は、かわいすぎる(失礼)。

表参道の狛犬2
表参道の狛犬2


この構え型狛犬の後方には、天満宮らしく神牛の像がある。

神牛像

この先で表参道が途切れ、右手に社務所、左手に拝殿・本殿がある。拝殿前にも新しい狛犬が安置されている。


狛犬3

■奉献年 平成三年(1991)
■作者  不明
■材質  花崗岩
■設置  拝殿前

天神ノ森天満宮  拝殿
拝殿前の狛犬3(阿形)
拝殿前の狛犬3(吽形)

拝殿前の狛犬は、この神社の狛犬の中でいちばん新しい。このタイプは中国製かもしれない。拝殿前には、かつては古い狛犬が置かれていたのではないかと思うが、残念ながら記録はない。

参道や社殿の前には、以上3対の狛犬があった。ネット上で天神ノ森天満宮を検索しても、これ以外の狛犬は見当たらない。
しかし、ここに一つ問題がある。手元にある『狛犬の研究ー大阪府の狛犬ー』(奈良文化財同好会 平成11年発行)には、江戸時代の砂岩製の浪速狛犬が、なんと3対(享和4・文政2・文政9)も当社にあることになっているのだ。いったいどこに消えてしまったのだろうか。まさか廃棄処分になったのでは・・・・・・。

期待半分、失望半分で境内を巡る。本殿の西側を行くと突き当たりの右手に神牛舎がある。

天神ノ森天満宮  本殿
神牛舎


狛犬4(江戸時代の浪速狛犬たち)

■奉献年 享和4年(1804)・文政2年(1819)・文政9年(1826)
■作者  不明
■材質  砂岩
■設置  境内奥空き地

神牛舎の左側は柵のある空き地になっていて、枯葉が積もっている。奥の方に肩を寄せ合うようにして打ち捨てられた石塊がある。その手前には、文字が刻まれた狛犬の台座らしきものも見える。

境内奥空き地
2対の浪速狛犬
2対の浪速狛犬

間違いなく江戸時代の浪速狛犬だ。これが『狛犬の研究ー大阪府の狛犬ー』に載っていたものだろう。崩壊寸前の2対4体が頭を寄せて、今後の身の振り方を相談しているようだ。奥の一対の阿形はほとんど石の塊に戻っている。相方の吽形は瞳のある目で、こちらを窺っているようだ。

手前の一対は、前脚が破損して何とか立っているように見える。像高がかなり違うので、本来のペアではないかもしれない。
狛犬の手前には、狐像と石の神額のようなものがある。神額の後ろに少し見えるのは、狛犬の頭部だろうか。
さらに手前にある台座付近を見てみよう。

台座横の石塊

台座は2基ある。その左側に枯葉で埋もれた石塊が見える。まったく原形をとどめていないが、これもかつての狛犬ではないだろうか。
台座の「植木屋」「芋屋」などの文字は、まだ彫ったばかりのようにはっきりと読める。台座の側面を見てみよう。

浪速狛犬の台座
浪速狛犬の台座 「文政」の文字

2基のうち奥の方の台座に、はっきりと「文政」の文字が読める。どの狛犬がこの台座に坐していたのかは分からない。
境内の片隅で、200年前の「忘れ去られた狛犬」がひっそりと自然にかえっていくのを待っている様子はもの悲しい光景だが、これはこれでいいのだとも思える。


最後に・・・

天神ノ森天満宮への参拝について、最後にひと言付け加えたいことがある。私は何度かこの神社を訪れたが、宮司さんに出会って、注意というか警告されたことがある。
「お参りしましたか?」と詰問口調で言われたときは、正直驚いた。そのときは境内からいったん表参道入口に回って、鳥居をくぐるところから参拝を始めようとしていた。他の神社にお参りしたときと同様に、正面鳥居や社号標の写真を撮った。
「写真は撮るな!」とも言われた。「撮った写真は消せ!」とも。確かに、神殿に向けての撮影は遠慮が大切だし、参拝者の迷惑になることは慎むべきである。社務所での声かけや断りが必要な場合もある。
しかしあまりにも高圧的な態度で言われることに、納得がいかなかったのも事実である。名刺をお渡しして説明したが、突っ返されてしまった。
今回の写真のほとんどは、この宮司さんと出会う前に撮影したものなので、あえて削除することはしなかった。崩壊寸前の江戸時代の浪速狛犬たちの写真は、ある意味重要な記録だと思う。
私にとって、狛犬は趣味であると同時に研究対象でもある。肩書きのない一個人であることが、撮影禁止のひとつの理由であったことが残念だ。



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