大阪市の神社と狛犬 ⑰東成区 ③八阪神社~今年二百歳になる文政の浪速狛犬~
大阪市東成区の地図と神社
大阪市には、現在24の行政区があります。東成区は大阪市の東部に位置し、北は城東区、東は東大阪市、南は生野区、西は中央区・天王寺区と接しています。主要道路の集まる今里交差点は、通称「今里ロータリー」と呼ばれ、この付近が区の発展の拠点となっています。
この辺り一帯は、古代において、上町台地の東側の低湿地に流れ込む淀川と大和川の土砂が堆積してできた土地で、「東に生る」ことから「東生」と呼ばれたといいます。奈良時代の和銅年間には新しい郡郷の制度ができ、上町台地の東が「東生郡」、西が「西成郡」と定められました。「東生・東成」の地名は、まさに1300年以上の歴史をもつ由緒あるものです。
東成区には、今回の八王子神社御旅所も含めて神社が6社あります。さらに熊野大神宮に隣接する妙法寺の境内社を含めると7社になります。東成区では、この7ヶ所の狛犬を訪れたいと思います。
八阪神社は、JR環状線玉造駅から東へ約500mほどのところに鎮座します。地名を冠して「中道八阪神社」ともいいます。
八阪神社
■所在地 〒537-0025 大阪市東成区中道4-8-20
■主祭神 素盞嗚尊・菊理姫命
■由緒 平安時代の寛仁元年(1017)、藤原道長が東成郡中道法性寺に別邸を立て、牛頭天王と白山権現を鎮守の神として奉祀したのが始まりという。その後、安土桃山時代の天正12年(1584)に現在地に遷座し、牛頭天王白山権現社と称した。
明治5年(1872)に現在の八阪神社と社号を改め、当地の産土神となった。
狛犬1
■奉献年 昭和四十二年一月吉日(1967)
■作者 不明
■材質 花崗岩
■設置 拝殿前
昭和42年(1967)奉献のまだ新しい狛犬で、中国獅子の雰囲気がある。阿形が玉取り、吽形が子取りのペアになっている。どっしりとした安定感がある。阿形の口元の尖った三角形の舌は、昭和の狛犬によく見られる。阿吽ともボリュームのある耳が顔の横に張り出している。体には毛卍紋がある。吽形の子狛は倒立して親と同じ方向を向く。両側に大きく渦を巻きながらろうそくの炎のようにそびえ立つ尻尾も立派だ。
狛犬2
■奉献年 文政七申年二月吉日(1824)
■作者 不明
■材質 花崗岩
■設置 境内社 玉造戎神社前
八阪神社の本殿の西側(向かって左側)に境内社の「玉造戎神社」がある。当社の社殿としては最も古く、天正12年(1584)この地に遷座した際に本殿として建築されて、主祭神が祀られていた。大正13年に現在の本殿に主祭神の御霊を移した後修築される。昭和23年に島根県美保神社(事代主大神)の分霊を遷し、同じく出雲の国造りの神である大国主大神を合わせ祀られたのがはじまりである。
玉造戎神社の社殿前には、文政7年(1824)奉献の花崗岩製の浪速狛犬が置かれている。ちょうど200歳になる。
作者は不明だが、文政期の狛犬の一つの型をよく表している。耳は垂れ耳で、口の形が特徴的である。上唇の中央を頂点にして、口角が下がる。そのため口を閉じた吽形は渋い表情になる。頬の外側の巻毛が横に張り出して、下ぶくれの顔立ちになっている。前肢に四本の皺を刻み、筋肉の盛り上がりを感じさせる。吽形には小さな角がある。
次に後ろ姿を眺めてみる。
阿形の尾の中央は大きな3個の渦巻きになり、周囲に9つの突起がある。一方吽形は、根元から毛房が扇形に立ち上がる。保存状態の良い狛犬である。
八阪神社境内
〈社号標と暗峠奈良街道道標〉
八阪神社の南参道入口と思われる場所に、八阪神社の社号標と、高麗橋から一里を示す暗峠奈良街道の道標がある。