12月の俳句(2023)
師走
12月も今日を入れて残り3日。「今月の俳句」も今年の書き納めとなった。大晦日まで少しずつ書いて完成させよう。
「師走」は、1年の月の異名の中でもいちばん普及している言葉かもしれない。陰暦五月の「皐月」は、「さつき」という音はよく使われるが、「皐月」という漢字はあまり見ない。
ところで「しわす」または「しはす」は、なぜ「師走」と書くのか。
平安時代末期に成立した『色葉字類抄』という辞書に、十二月は僧侶(師)がお経をあげるために東西を馳せる月であるので、「師馳す」月だという説明がある。「師走」という漢字は、これによって充てられたらしい。
また、一年の最後に物事をなし終えるという意味の「為果つ」が「しはす」になったとする説もある。
いずれにしても、「しはす」と発音するほうが、言葉の成り立ちに沿っているような気がする。
年の瀬の荷を下ろしたし目を閉づる
「年の瀬の荷」は、「年老いた背の荷」でもある。この師走に、自分は74歳の誕生日を迎えた。まだまだ元気と思いつつ、年を感じることも多い。背中の荷物は増えているのだろうか、減っているのだろうか。明るい窓側に顔を向けて目を閉じると、まぶたの裏側がきれいなオレンジ色に染まる。来年も元気でいたいと思う。
冬の装い
服装のことではない。色づき散りゆく木々の話。
今月の初め、「三色彩道」と名づけられた近所の道を歩いた。その時のことはこのnoteにも書いたので、読んでくださった方もいると思う。
我が家のささやかな庭にある木も、色づいたかと思うといっせいに葉を落としはじめた。今まで葉陰に隠れていた蟬の抜け殻が姿を現した。
空蝉の姿見せたる裸木かな
夜に雨が降った。梢に残っていた木の葉がさらに散った。朝、庭に出て落ち葉拾いをする。腰をかがめる動作はけっこうきつい。
拾へども無間地獄の落葉かな
人の世もかくのごときか濡れ落ち葉
しんどくなって、自分と落ち葉を重ねてしまう。自虐的になった自分にきづいて苦笑い。
散り残る木の葉数へし爪を切る
12月8日
毎日、世界中でさまざまな出来事が起きている。いいこともあるが、最近は悲惨なことのほうが多い。12月8日といえば、二つの歴史的事件を思い浮かべる。一つは、誰もが知っている太平洋戦争開戦の日である。この日、日本は米英に対して宣戦布告し、真珠湾を急襲した。
子供たちに戦争の悲惨さを伝える作品の代表作が「はだしのゲン」だと思うが、今年この漫画が広島市の平和教育副教材から削除された。
小学3年生の孫の教科書には「ちいちゃんのかげおくり」という作品が載っている。本読みの宿題があって、朗読して聴かせてくれた。
ちいちゃんのかげおくり聴く開戦日
もう一つの12月8日。1980年のこの日、ビートルズのジョン・レノンが射殺された。中学生の頃からビートルズを聴いて青春時代を送った世代としては、ケネディ大統領暗殺と並ぶショッキングな事件だった。
ビートルズのグループとしての活動期間は短かったが、ビートルズという名前は永遠だと思っていた。
先月、なんとビートルズの新曲が発表された。音源はジョン・レノンが作成したデモテープだという。制作には最近はやりのAI技術が用いられたらしい。曲名は「ナウ・アンド・ゼン」(原題: Now and Then)。「時々」という意味か。
ナウ・アンド・ゼン思い出すレノンの忌
彩都なないろ公園
3年生の孫が、12月4日に漢字大テストがあるという。習った漢字が50個出るそうだ。「満点とったら、同級生のふみちゃんと彩都なないろ公園に連れて行ってくれる?」というので、オーケーする。目的は公園の「絶叫滑り台」だ。もちろん、ふみちゃんも百点を目指すという。
そして結果は・・・、みごと2人とも満点。5年生の孫もやはり漢字大テストで百点だったので、休日に3人を連れて彩都なないろ公園に向かう。
この日はちょうど夏目漱石の忌日であった。
漢字大テスト満点漱石忌
寒さなどなき世界なり子らの声
公園は高台にあり、曇り空に吹く風は冷たい。子どもは風の子とは、よく言ったものだ。見ているばかりの自分は寒くて、耳元を吹き抜ける風に身をすくめる。
老骨に染みる寒さよ風を聴く
毎日だっこしてね
誕生日の朝、3年生の孫が手紙を届けにきた。お祝いのメッセージが書かれている。
小春日やだっこしてねの暖かさ
少しだけ特別の日。日常にちょっとだけ飾りがつく。
誕生日 いつもと同じ 日常を 過ごすうれしさ 祈るさびしさ
午前中、二人で買い物に行く。この子がいちばんの甘えん坊だ。手をつないで歩く冬空に薄日が差す。図書館で本を借りて帰る。
冬到来
いったい、いつの間に冬は来たのだろう。ぐずぐずと暖かい日が続いたのは先月のこと。いつの間にか本物の冬になっている。初めて薄氷が張った。
この季節に毎年見に行くのが「イルミナイト万博」。万博記念公園の太陽の塔が、イルミネーションで彩られる。
鮮やかに光装ふ年の暮れ
冬の冷たさを味わった日があった。
兵庫県立美術館で開催されている「安井仲治写真展」を観に行った日だ。JR灘駅で降りて海側に向かって歩く。背中に六甲山から吹き下ろす冷たい風を受ける。「六甲颪」というそうだ。今年38年ぶりに日本一に輝いた阪神タイガースの球団歌の題名でもある。
六甲を見上げ冷たき山おろし
10分ほど歩けば美術館に着く。冷たい風の行く先は目の前の海だろうか。
山口誓子の句を思い出す。
海に出て木枯らし帰るところなし (山口誓子)
こんな句を前にすると、もう自分では作れない。
展覧会はアマチュア写真家の安井仲治の回顧展で、100年近く前の昭和の写真が展示されていた。記録ではない芸術を模索する姿が、作品に鮮明に表れている。
百年の古き写真や冬の蝶
冬至
12月22日は冬至だった。天文学的には、太陽高度が1年でもっとも低くなる日で、北半球では日の出から日没までの日中時間が最も短くなる。
枝揺らす風の音聴く冬至かな
見上ぐれば冬至の空の青さかな
ふと気になる。「夏至」は「げし」だけど、「冬至」はなぜ「とうじ」なのか。「至」の音は「シ」で、ほかに「ジ」と読む例は見当たらない。
調べてみると、「湯治」との語呂合わせだという。そして風呂の湯に柚子を浮かべるのは、体の「融通が利く」ようにという洒落であると。
誰が考えたのでしょうね。
ということで、この日は柚子湯に入った。孫たちが先に入って、浮かべてあった柚子を湯の中で搾っている。肌に刺激があるのか、痒いと言って出てくる。あとで入った自分は、香りはするが肌は何も感じない。
仕舞湯に浸かりて柚子をもてあそび
仕舞湯の柚子片付けて年暮るる
聖夜
唐代の詩人、于武陵が友との別れに際して詠んだ「勧酒」と題する詩である。井伏鱒二は「サヨナラだけが人生だ」と意訳した。
4年間親の介護で帰省していた友が、永遠の別れをして自宅のある北海道に帰ることになった。クリスマス前夜、友人5人が集まって送別会を開いた。実家はそのままなので、また会う機会はあるとはいうものの、遠くに去る友を送るのはさびしいものだ。
「人生別離足」
人生に別れはつきものだが、それだからこそ、今のこの一瞬を大切にしたい。
北国へ帰る友ジングルが鳴る
クリスマス・イヴ、孫たちと食事をする。この賑やかさがいつまで続くのか。中1の孫は、身長こそまだ自分に追いつかないが、食べる量はぐんと増えた。
切り分けるケーキ見つめる聖夜の目
大晦日
30日の夜、やっと年賀状を書いた。いや、印刷したというほうが正しいだろう。以前は必ず書いていた「ひと言」も書く余裕がなかった。年々この作業が気重になっていく。「年賀状終い」の通知もちらほらある。しかし、止められない。年に一度の安否・近況の報告を担う細い糸を切りたくないのだ。
約百枚を完成した頃には、すでに大晦日に入っていた。これでも多いときの半分に減っている。
朝、小3の孫と二人でポストに投函しに行く。一つの傘をさして、手をつないで歩く。
賀状出す孫と二人の傘の中
午前中は餅つくり。年末恒例の行事で、餅つき器で作ってこねた餅をみんなで丸める。多いときはよそに配るほどたくさん作ったが、今年は少しだけにした。
大晦日餅丸めたる小幸せ
来年も丸く小さな幸せが訪れますように。
今年もなんとか「今月の俳句」を欠かさず投稿することができました。このnoteがなかったら、このわずかな駄句も詠むことがなかったでしょう。ひと月の終わりにまとめることにより、その1ヶ月を振り返ることもできました。継続は力なり、ということで、来年もほそぼそと続けていきたいと思います。お読みくださったみなさま、ありがとうございました。どうぞよいお年をお迎えください。
なお、最後になりましたが、今回のトップ画像は noteの「くわげ」さんの作品をお借りしました。ありがとうございました。