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大阪市の神社と狛犬 ⑰東成区 ⑥妙法寺~契沖ゆかりの寺院の狛犬~
大阪市東成区の地図と神社
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大阪市には、現在24の行政区があります。東成区は大阪市の東部に位置し、北は城東区、東は東大阪市、南は生野区、西は中央区・天王寺区と接しています。主要道路の集まる今里交差点は、通称「今里ロータリー」と呼ばれ、この付近が区の発展の拠点となっています。
この辺り一帯は、古代において、上町台地の東側の低湿地に流れ込む淀川と大和川の土砂が堆積してできた土地で、「東に生る」ことから「東生」と呼ばれたといいます。奈良時代の和銅年間には新しい郡郷の制度ができ、上町台地の東が「東生郡」、西が「西成郡」と定められました。「東生・東成」の地名は、まさに1300年以上の歴史をもつ由緒あるものです。
東成区には、八王子神社御旅所も含めて神社が6社あります。さらに熊野大神宮に隣接する妙法寺の境内社を含めると7社になります。東成区では、この7ヶ所の狛犬を訪れたいと思います。
妙法寺は、前回の熊野大神宮と同じく、大阪メトロの今里駅と新深江駅のほぼ中間あたり、住宅街の中に位置します。それぞれの駅から、距離にして500mほどです。
妙法寺
■所在地 〒537-0012 大阪市東成区大今里4-16-50
■宗派 真言宗御室派
■本尊 大日如来
■由緒 聖徳太子の開創とされる寺院で、隣接する熊野大神宮は、その鎮守社だった。天正年間(1580年頃)の石山合戦で、寺域はほとんど焼失してしまったが、享保6年(1721)に再建された本堂が残っている。近世国学の祖と言われる契沖は、延宝7年(1679)から元禄3年(1690)までこの寺院で住職をし、『万葉代匠記』などの著作を残した。境内には契沖の供養塔がある。
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狛犬
■奉献年 文化十四年 丁丑九月(1817)
■作者 不明
■材質 砂岩
■設置 鎮宅霊符社前
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お堂の入口の上部に「鎮宅霊符尊神」の額が掲げられている。鎮宅霊符とは家内の安全を保つための護符で、72種ある。扉の左右に「恵比須神」「大黒天」の額があり、お堂の前にも赤い幟が立てられている。
この大黒天は、江戸時代中頃には「南にては今宮のゑびす、東にては今里の大黒」と喧伝されて、庶民の信仰が集まったと伝えられている。
お堂の前に、江戸時代の浪速狛犬が置かれていた。阿形のいちばん下の台座が地面にかなり埋まっていて、高さが違うように見える。
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狛犬は砂岩製の浪速狛犬である。阿吽ともかなり損傷がある。特に阿形は、胴体の真ん中から第一台座まで亀裂があり、修復されている。表面の剥落も多数ある。
第二台座に紀年銘があるが、はなはだ読みにくい。懐中電灯の光と影をたよりにかろうじて読んでみる。
文化十四年
丁丑九月
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さらにその後に、願主と思われる人物の名前がある。「●●●●徳兵衛」か。
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現在では寺院に狛犬があるのは珍しいが、かつての神仏習合の時代には、神社の境内に神宮寺があったり、寺院の元に神社が建てられて、神祇信仰と仏教信仰とが互いに補い合う形となっていた。この妙法寺の場合も、隣接する熊野大神宮が鎮守社になっている。
〈契沖遺跡〉
妙法寺境内は、僧契沖遺跡として、昭和24年(1949)に大阪府顕彰史跡に指定された。境内の一角に、契沖の供養塔や慈母の墓などがある。
なお契沖は、元禄3年(1690)の慈母の死去を機に、天王寺区飼差町の円珠庵に移り、元禄14年(1701)62才の生涯を終えた。契沖の墓所はこの円珠庵にある。
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