大阪市の神社と狛犬 ⑯天王寺区 ③安居神社~真田幸村討死の地を守る狛犬~
大阪市天王寺区の地図と神社
大阪市には、現在24の行政区があります。天王寺区は大阪市の中南部に位置し、区域の大半は南北にのびる上町台地上にあります。区名は、聖徳太子建立の日本最古の官営寺院である四天王寺に由来します。区内には約200の社寺があるほか、名所旧跡も多く、歴史と伝統の息づく町といえます。
天王寺区には、神社が11社あります。そのうちの1社は、生野区にある弥栄神社の御旅所です。
今回参拝するのは、真田幸村(信繁)終焉の地と言われる安居神社です。大阪メトロ谷町線「四天王寺前夕陽ヶ丘駅」の南東、徒歩6分ほどのところです。堺筋線「恵美須町駅」からも歩いて10分ほどです。
南側の道路をはさんで「お骨仏の寺」として有名な一心寺があり、東には谷町筋をはさんで四天王寺があります。
安居神社は、「安井神社」「安居天満宮」とも呼ばれています。
安居神社
■所在地 〒543-0062 大阪市天王寺区逢坂1-3-24
■主祭神 少彦名神、菅原道真
■由緒 創建は不明だが、少彦名神をお祀りしたのが当社の始まりだという。菅原道真が大宰府に左遷された折に当地に立ち寄り、風待ちのために休息(安居)をとったためにその名がついたという伝承がある。また近くに天王寺七名水の井戸があることから「安井」となったともいう。さらに、四天王寺の僧が当社で夏籠もりの修行(夏安居)を行っていたので「安居」となったともいわれている。
『摂津名所図会』や『浪速名所図絵』では花見の名所として描かれている。
昭和20年(1945)の大阪大空襲で社殿は全焼し、現在の社殿はその後復興したものである。
狛犬
■奉献年 宝暦十二壬午年六月吉日(1762)
■作者 不明
■材質 花崗岩
■設置 拝殿前
宝暦12年(1762)奉献の花崗岩製の浪速狛犬である。胴長短足の「杭全神社型」で、後肢が太く安定している。阿吽向かい合って坐し、顔は参拝者側に傾けて、やや上方を向く。顔の傾けに応じて、参拝者側の脚を少し引いている。耳は垂れ耳で、目鼻口ともに大きく個性的である。首の周りを巻毛と流れ毛が2列に並んでいる。
尾は背中に沿って上に伸び、装飾的である。
正面から見ると、誕生から260年が経過しているとは思えないが、社殿側から狛犬を見ると、過ぎ去った歳月の長さを感じさせる。
安居神社境内
〈真田幸村像と石碑〉
真田幸村(信繁)は、大坂夏の陣において徳川家康を追い詰めて、本陣まで攻め込んだ武将である。しかしその後、豊臣方は徳川方の反撃にあい、真田隊も撤退を余儀なくされる。そして幸村はこの安居神社の境内で討ち取られたという。
〈神牛像〉
安居神社は、安居天満宮とも安居天神とも呼ばれる。菅原道真公が祀られているからである。そして当然ながら、神使である牛の像があった。
台座には「安政六己未年五月建之 / 石工 西横堀 石平」とある。安政6年は1859年になる。
〈玉姫稲荷神社〉
安居神社の境内にある摂社の一つ。摂社はほかにも、金山彦神社がある。
〈癇鎮めの井(安井の清水)〉
かつては、「天王寺七名水」の一つと言われた「安井の清水」が湧いていたという。上町台地には、生駒山からの伏流水が湧き出る井戸がいくつもあった。
〈異体字の紀年銘〉
社務所と稲荷神社の間に、西側に降りる西坂階段がある。この階段の石柱に「昭咊九年」の文字があった。「咊」は「和」の異体字である。