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アジア紀行~インドネシア・タナトラジャ~サバイバル家族旅行note⑫~
さよなら、トラジャ
ついにトラジャを離れる日がやって来た。LEBONNAの人々とは二度と会うことはないだろうと思うと、別れがせつなくなる。
特に、無口だけれど、よく家の手伝いをしていた14歳の男の子BUNAのことは忘れないだろう。18歳の女学生LINA《リナ》もよくしてくれた。彼女は翌日にある教会のお祭りの準備で料理を作るというので、この日は学校を休んでいた。なんとおおらかなことか。
記念写真を撮りたいと言うと、ずいぶんたくさんの人が集まってくれた。家の前で何枚か写す。
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男性は、スカートのようなサロン(腰巻き)をつけている。中央にいるLEBONNAのお父さんとお母さんにも世話になった。
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名残が尽きないけれど、今夜の宿泊予定地である SENGKANGまでは遠いので、早く出発する必要がある。
いよいよ別れを告げて、みんなGENTOの車に乗る。
GOOD-BYE LEBONNA , GOOD-BYE TORAJA.
PALOPOへ
出発時刻 8:30。最初の目的地はPALOPO。ここからこの日の宿泊地SENGKANGまでは海沿いの道が多くなる。途中休憩を考えると、到着は夕方になる予定だ。
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RANTE PAOから2時間余り山道を走り、海辺の町PALOPOに到着した。GENTOが突堤に車をとめる。釣りをしている人がいるので眺めていると、GENTOが釣り糸を持ってくる。竿なしで、糸を垂れるが、魚は掛からない。餌はどうしたのか、覚えていない。隣のおじさんは、小魚を次々に釣り上げている。
30分ほど遊んだあと、町中に出て食堂に入る。
鶏の照り焼き・焼き魚・ガドガドなどを注文する。Gado-Gadoとはインドネシア語で「ごちゃまぜ」という意味で、皿の上にいろんな温野菜をのせて、その上にピーナッツ・ソースがかけてある。上に海老せんべいがのっている。これがけっこう美味しかった。
海老せんべいは、Kerupuk Udang といって、乾燥したものが売られている。
海沿いの道
午後1時半、PALOPOを出発。給油したあと海沿いの道を南下する。次の目的地は SIWAだ。
GENTOが、道端の店の前で車をとめる。ここでドリアンを買うという。「果物の王様」とも呼ばれる、あの外側トゲトゲの果物だ。食べたことがなかったので、興味が湧く。包丁で切ってもらうと、強烈な臭いがする。クリーム色の果肉は種がいっぱいで、ブニュブニュしている。一切れ食べたが、臭いに負けてしまう。子供たちもいらないと言う。美味しいと言ったのは妻だけだ。
GENTOはいくらでも食べられると言う。家族がみんな好きなので、大量に購入して、車のエンジンルームの隙間に詰め込んでいる。日本でいえば納豆みたいなもので、嫌な人には我慢できないが、好きな人はいくらでも食べるのだろう。
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ドリアンの店を出て、また海岸線の道路を走る。
結婚式
SIWAの町に入ったあたりで、音楽の演奏が聞こえてきた。バンドが生演奏しているようだ。GENTOにたずねると、結婚式だという。トラジャに行く道でもブギス族の人の結婚式に出会ったが、こちらの人たちの結婚式は、公開されているようだ。
GENTOが車をとめてくれたので、家の入口まで行くと、お菓子をすすめてくれる。
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2階で宴会をしているので、上がれと言う。子供たちもいっしょに2階に上がると、大勢の人がいた。私たちのために席をあけてくれる。なぜこんなに歓迎されているのかわからないが、お菓子やコーヒーを次々にすすめられる。
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花嫁の父親だという人が、妻のことを「オシン、オシン」という。「おしん」は80年代に流行った橋田壽賀子さん作のテレビドラマだが、インドネシアでも大ヒットした。この頃の日本人観は、まさに「日本女性=おしん」だった。
しかしこの後、思いがけないことが起こった。それまでインドネシア語を話していたその男性が、突然「いち、にぃ、さん、しぃ、ごぉ、ろく、たいそう! 気をつけ!」と大きな声で言ったのだ。気のせいか、目つきが厳しくなる。
ふと歴史上の事実を思い出す。第2次大戦前、インドネシアは「オランダ領東インド」(蘭印)と呼ばれていた。大東亜共栄圏を提唱する日本軍は、弱体化したオランダを退けて、インドネシアを占領下において軍政をしき、日の丸を掲げて日本語化政策をとった。男性の「いち、にぃ、さん、・・・気をつけ!」の言葉は、彼の負の記憶そのままだった。
男性がどんな気持ちでこの日本語を口に出したのかはわからない。珍しい日本人を前にして、ただ昔覚えた言葉を思い出したにすぎないのかもしれない。しかし彼の日本語は、私と妻に、日本人としての罪悪感を感じさせるのに十分だった。
私たちは、それに答える言葉を持ち合わせてはいなかった。
私たちはお礼を言って席を立とうとした。彼はそばにいた子どもに新聞紙を持ってこさせ、焼き菓子をいくつか包んで、「日本へのおみやげ」と言って渡してくれた。
その時の顔は、もとのにこやかな表情に戻っていた。
「おしん」ブームは、戦争や人生のつらさを我慢強く乗り越えてきた彼らの共感があったからなのだろう。
SENGKANGへ
式場の人々と別れて、SENGKANGに向かう。午後の日はすでに西に傾きかけている。町に入る手前で、織物を作っている工房に立ち寄る。GENTOが「シンカン・サロン」だと教えてくれる。「サロン」とは、男女とも着用する腰巻きだ。
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手作り感たっぷりの織機で織っている。1着完成するのに1週間ぐらいかかるそうだ。値段はRp.50,000~80,000 という。外に出ると、あちこちから機織りの音が聞こえてくる。
夕方、やっとSENGKANGのホテルに到着。前夜、GENTOが電話で予約していてくれたそうだ。一部屋しか空きがなく、おまけに狭い。長距離の移動だったので、早く休みたくなる。
しかし気の毒なのは、GENTOのほうかもしれない。空き部屋がないので、今夜は車中で眠るという。「トヨタホテルだ」と笑っていたが、こういうことに慣れているのだろうか。
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