大阪市の神社と狛犬 ⑮浪速区 ⑨赤手拭稲荷神社~狛犬台座に坐す狐像~
大阪市浪速区の地図と神社
大阪市には、現在24の行政区があります。浪速区は上町台地の西側、大阪市のほぼ中央に位置します。区の面積は4.39㎢で、大阪市で最も狭い行政区です。区名は、王仁が詠んだと伝えられる古歌「難波津に 咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花」からとられました。
浪速区は、長い歴史をもつ「大阪木津卸売市場」や「でんでんタウン」など市内でも有数の商業地域として発展してきました。また、大阪のシンボルといわれる「通天閣」がある新世界など、庶民の町として親しまれています。
浪速区には、神社庁に加盟する神社が4社ありますが、これら以外にも少なくとも5社が確認できます。
赤手拭稲荷神社は、大阪メトロ千日前線・阪神なんば線「桜川」駅から南へ徒歩5分ほどのところに鎮座します。
赤手拭稲荷神社
■所在地 〒556-0023 大阪市浪速区稲荷2-6-26
■主祭神 豊受大神、天宇受売神、大山祗神、猿田彦神、宇迦之御魂神
■由緒 『浪速区史』によると、慶長年間(1596~1615)、中堤の中央に「浪除松」と呼ばれる一本の大老松があって、その樹下に祀られた神祠を「松の稲荷」と称した。その後ここに神社を建て、紅染めの手拭を祠前に献じたのが恒例になって「赤手拭稲荷」というようになったという。
ほかにも次のような話が伝わっている。
昔、堺からやって来る源三という魚売りの男がいた。ところが狐がたびたび現れては、男をだまして籠から魚を盗み取った。困り果てた男がお稲荷様に祈願したところ、「赤い手拭いで籠を包むとよい」というお告げを得た。男がお告げの通りにすると、それ以後、狐は魚を取らなくなった。男はお礼に赤い手拭いを奉納し、町の人々も奉納するようになった。このことから「赤手拭稲荷」と呼ばれるようになったという。
狐像
■奉献年 不明
■作者 不明
■材質 花崗岩
■設置 参道左右
写真からもわかるように、狐像が坐す台座(第一台座)とそのすぐ下の台座(第二台座)の石と、それより下の基壇の石とは古さが違う。古い基壇には、以前は幕末に奉献された狛犬が坐していたと思われる。そこには「慶應二丙寅年 二月建之」と読める紀年銘がある。「慶應二丙寅年」は1866年にあたる。
『狛犬の研究ー大阪府の狛犬ー』(奈良文化財同好会)によると、かつては戦災による焼損が激しい狛犬があったことがわかる。いまは、境内のどこにも狛犬の姿はない。
古い狛犬は処分され、今はお稲荷さんの狐がその台座をお借りしているということだ。
〈社殿の狐像〉
〈境内のお塚〉
古典落語「ぞろぞろ」
古典落語の演目に「ぞろぞろ」というものがある。貧乏な茶店の老夫婦が、お稲荷さんの御利益で裕福になる話。このお稲荷さん、江戸では「正一位太郎稲荷大明神」だが、上方では「赤手拭稲荷神社」だ。この話、小4の国語の教科書(教育出版)に採用されたことがあるというから驚きだ。
「ぞろぞろ」の内容は、次のようなものである。(Wikipediaより引用)
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