大阪市の神社と狛犬 ❽旭区①日吉神社~60歳違いの己卯生まれの狛犬~
大阪市旭区の地図と神社
大阪市には、現在24の行政区があります。淀川のすぐ南側には5つの区がありますが、旭区はそのいちばん東の端に位置します。旭区の東側は守口市と接しています。旭区という名前の由来は、文字どおり朝日が昇る東に位置するからだそうです。
旭区には、八幡大神宮の御旅所を含めて神社が4社あります。日吉神社は、淀川の左岸、堤防のすぐ下に鎮座しています。
日吉神社
■所在地 〒535-0005 大阪市旭区赤川4-19-13
■主祭神 大山咋神
■由緒 この地には、かつて赤川寺という天台宗の寺院があったが、文安年間(1444~1448)に、その境内に近江国日吉大社から分霊を勧請したのが、当社の始まりである。当時は山王社または、山王権現と呼ばれていた。
赤川寺は大坂夏の陣で焼亡し廃絶したが、当社は残った。その後、明治になってすぐ、現在の日吉神社と改称する。
狛犬1
■奉献年 文政二年己卯九月吉日(1819) 小間物屋長兵衞
■石工 不明
■材質 砂岩
■設置 拝殿前
日吉神社の拝殿前に安置されているのは、文政2年(1819)奉献の砂岩製の浪速狛犬だ。この時期によく見られる容貌だが、口の形に変化がある。阿形の口は上顎が山型に開いて歯が並んでいるが、吽形には歯列がない。耳は左右に盛り上がるように付き、吽形には大きめの角がある。
台座に「小間物屋長兵衞」とあるのは、寄進者であろう。石工銘はない。
狛犬2
■奉献年 明治十二年●●十一月吉日(1879)
■石工 不明
■材質 砂岩
■設置 拝殿横
明治12年(1879)奉献の砂岩製狛犬。狛犬1の後方の拝殿脇に置かれている。狛犬1からちょうど60年後の奉献なので、干支はどちらも「己卯」になる。
江戸時代の伝統的な浪速狛犬とは趣を異にする。太くねじれて釣り上がった眉や大きな口は、江戸時代末期から見られる傾向だが、大きな垂れ耳、豊かで装飾的なたてがみ、太い前肢が後肢とくっついている様子、大きく立ち上がるボリュームのある尾などは、出雲型の狛犬を思い出させる。
境内社など
日吉行者堂
役小角(神変大菩薩)をお祀りする。巨大な錫杖と鉄下駄があった。
白い石神・黒い石神
芝守稲荷社
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