大阪市の神社と狛犬 ➊東淀川区⑦中島惣社~西川屋五良兵衛のスマイル狛犬~
大阪市東淀川区の地図と神社
大阪市には、現在24の行政区があります。その中で東淀川区は最北端に位置し、淀川の北側にあたります。
東淀川区には、神社本庁に加盟する7社があります。(地図参照)
中島惣社
■鎮座地 〒533-0033 大阪市東淀川区東中島4-9-41
■主祭神 宇賀御魂神・受保大神・大市比賣神
■由緒 社伝では、第36代孝徳天皇の白雉2年(651)、難波長柄豊碕宮遷都のときの創建という。『摂津名所図会』に「稲荷祠 北中嶋惣社也。此辺六ヶ村産土神とす。天満宮社家寺井紳主兼帯所」とある。かつては中島郷四十八ヶ村の親宮であったことから「惣社」と呼ばれる。
狛犬1(西川屋五良兵衛のスマイル狛犬)
■奉献年 寛政七卯年五月建之(1795)
■石工 大坂横堀 西川屋五良兵衛
■材質 砂岩
■設置 大将軍社参道鳥居後方
寛政7年(1795)5月奉献の、大坂横堀の石工、西川屋五良兵衛の作品である。阿形は風化が進み、丸い目と大きく開いた口があったことはわかるが、細かい表情を読み取るのは無理である。一方の吽形は、足下の彫りがぼんやりしてきているが、顔の周辺は幸いなことによく保存されている。
この笑顔は一度見たら忘れられない。鼻の上に中央に寄って丸い目があり、口は曲線を描きながら口角を上げている。並んだ上の歯を見せるが鋭さはなく、左右の2本の牙も飾りみたいなものである。顔の周りを大きな巻き毛が取り囲んでいる。首を少しかしげる様子も愛嬌だ。
同じ淀川沿いの此花区にある澪標住吉神社に、ひと月遅れの寛政7年6月奉献の西川屋の狛犬がある。
これを見ると、中島惣社のものとそっくりである。風化した阿形の顔も、これと同様の笑顔だったのだろう。
なお西川屋五良兵衛の銘のある狛犬が、大阪ではあと3例ある。
・田蓑神社 天明7年 (1787) 大阪市西淀川区
・大海神社 文化7年 (1810) 大阪市住吉区
・久保神社 文化13年(1816) 大阪市天王寺区
これらの狛犬は、中島惣社のものとは異なる風貌である。
狛犬2
■奉献年 不明
■石工 不明
■材質 花崗岩
■設置 大将軍社前
境内末社大将軍社には、明治42年に淡路東寺の神明社、字浦の大将軍社が合祀されている。道祖神や方位神をお祀りする。
社前の狛犬は花崗岩製で新しいものだが、奉献年などはわからない。台座は古いものを利用している。台座には、「嘉永三歳」「甲戌三月」という紀年銘と、奉献者と思われる「南宮原 中井氏」という文字、さらに「石工 大㙒村 久七」と刻まれている。残念ながら、かつてどんな狛犬がこの台座に坐していたのか、知るよしもない。
狛犬3
■奉献年 昭和四十三年十一月吉日 社殿改築記念
■石工 不明
■材質 花崗岩
■設置 拝殿前
正面の拝殿前に安置されている狛犬。中島惣社は、明治時代に近隣の神社の多くの神々が合祀され、社殿もたくさんあったが、昭和20年の大阪大空襲によって全焼してしまった。その後、昭和42年(1967)に社殿を再建した記念に奉納されたのが、この狛犬である。
狛犬4
■奉献年 昭和六十二年五月吉日
■石工 不明
■材質 花崗岩
■設置 若宮社前
奉納年の昭和62年(1987)は、若宮社や大将軍社が再建された年である。
中島惣社は、もとはとても広い神域をもっていたようだ。その証拠が一の鳥居が建つ場所である。現在の神社の入口からはるか離れたところに、それはあった。
一の鳥居の横には、文化年間の大きな石灯籠があった。住宅に挟まれた参道の途中に赤い二の鳥居、さらに境内入り口に三の鳥居がある。
本殿の裏手にも、今は出入りができない鳥居があった。