大阪市の神社と狛犬 ㉒住吉区 ①住吉大社(その7)~北門大鳥居前の備前焼狛犬~
大阪市住吉区の地図と神社
大阪市には、現在24の行政区があります。住吉区は、大阪市の最南部に位置し、大和川を隔てた南は堺市になります。この辺りは、古代には「すみのえ」と呼ばれた海に面した地域で、海上安全の守護神として名高い住吉大社とともに栄えてきました。また、大阪と泉州・紀州を結ぶ紀州街道や熊野街道などの交通の要衝でもありました。
住吉区には由緒ある古い神社がいくつもありますが、まずは摂津国一之宮である住吉大社へお参りするところから始めたいと思います。大阪人にとっては「すみよっさん」と親しまれている神社です。今回は住吉大社の7回目(その7)になります。
住吉大社のすぐ前の道路には、阪堺線の「住吉鳥居前駅」があります。また、この道路を挟んで西側に南海本線「住吉大社駅」があり、交通の便に恵まれています。
住吉大社
■所在地 〒558-0045 大阪市住吉区住吉2-9-89
■主祭神 底筒男命、中筒男命、表筒男命、息長足姫命(神功皇后)
住吉大社には10対を超える狛犬が安置されている。上の境内図の左下、北参道入口鳥居前の赤色の▲で示した場所に、今回の狛犬7がある。
狛犬7
■奉献年 明治二年己巳八月(1869)
■作者 備州伊部住 木村新七郎貞清/儀三郎貞幹/真平貞直/寿太郎貞固
■材質 備前焼
■設置 北参道入口鳥居前
備前焼の巨大狛犬
住吉大社には、その社格に見合う立派な狛犬が鳥居前に安置されているが、北側の大鳥居前にも巨大な狛犬が置かれている。大阪では数少ない備前焼の狛犬である。
台座には大きく「備前岡山有志」と彫られている。海運業者や商人たちの信仰があつかった住吉大社には、石灯籠をはじめとして、日本各地からたくさんの奉納物が集まったが、備前といえばやはり備前焼が有名である。石灯籠や石鳥居の中で、この赤銅色の備前焼狛犬は一際目立っている。
備前焼は、岡山県備前市の伊部の町で主に生産されている陶器の総称で、「伊部焼」とも言われる。備前焼のルーツは5世紀ごろに朝鮮半島から伝わってきた須恵器だが、鎌倉時代初期から一般庶民が使う実用品として作られ始めた。当初は流通量も多くはなく、地元で細々と生産されていたようだが、茶の湯が盛んになる安土・桃山時代には、釉薬を用いない備前焼の素朴さが珍重されるようになる。しかし江戸時代には人気が衰え、備前焼は再び顧みられなくなってしまった。
現在のように備前焼の芸術性が再評価されるようになったのは、今から約百年前の20世紀前半頃のことである。備前焼の狛犬も、文政年間から近代の明治にかけてのものが多く見られる。地元岡山では、備前焼獅子のことを「宮獅子」と呼んでいる。
二つの紀年銘
備前焼狛犬の台座の、「備前岡山有志」と書かれている面とは別の面に、次のような紀年銘がある。
「慶應二季丙寅正月 執次 備前岡山 岩﨑仙太郎」とはっきりと彫られている。慶応二年は西暦では1866年、江戸幕府が崩壊する直前で、明治の夜明けがすぐそこに近づいていた。
「執次」は「とりつぎ」と読み「取次」と書くこともある。狛犬や灯籠などを奉納する際の仲介役のことで、神社との間に立って世話をした。また神社でさまざまな神事を行う際にも、連絡役などを務めた。
「備前岡山有志」がこの狛犬を奉納する際に、岩﨑仙太郎という人物が間に入ったのだろう。別の面には「和泉堺 大塚三郎兵衛」という名前も彫られている。執次の岩﨑仙太郎は備前岡山の人なので、地元の大塚三郎兵衛がこの狛犬奉納に関わったと考えられる。
ところで、備前焼の狛犬の場合、制作年(奉納年)や作者名が、狛犬の体に刻まれていることがよくある。この狛犬も後肢の部分に、次のような文字が彫られていた。
木村姓の4人の陶工の名前の右に「明治二年」(1869)と刻まれている。台座の銘が「慶應二」(1866)だったので、3年のずれがある。台座はたぶん大阪で作られたと思われるので、台座が先にできあがり、その後、備前焼の狛犬が奉納されたのだろう。
もう一度、この狛犬の姿を観察してみよう。阿形のたてがみは巻毛、吽形のたてがみは直毛の流れ毛で、両者とも炎が燃え上がるようなボリュームのある直立した立派な尻尾を持っている。顔の表情は厳しく、全身の筋肉が盛り上がって力強さを表現している。阿形はその力強さを開けた口から吐き出し、一方の吽形は、口を閉じて体の中に力を漲らせている。安定感のある堂々とした狛犬である。
修復した尻尾
この備前焼狛犬は、奉納からすでに150年以上が経つが、長年の風雨に耐えて今なお健在である。しかしよく見ると、阿形の尻尾が体部と比べて新しい感じがする。付け根に「平成二十三」と彫られていた。これはオリジナルを忠実に復元したものと思われ、不自然さはまったく感じられない。
オリジナルの尻尾が破損したのだろう。
狛犬を見るために何度も参拝していたあるとき、境内の一角でこんのものを見つけた。
まちがいなく、あの備前焼狛犬の尻尾である。それほど大きく破損しているようには見えないが、これはこれで一種のオブジェのようだ。
古絵葉書の中の備前焼狛犬
「住吉大社(その5)~海運王が奉納した東大寺南大門型の狛犬~」の中で、8枚組の住吉大社の古絵葉書の1枚を紹介しましたが、別の1枚の中に、この備前焼狛犬が写っていた。
「住吉大社 角鳥居及正門」という文字が見える。なんと、現在の北門大鳥居前ではなく、本宮入口の神門の前に、この備前焼狛犬が置かれているのだ。台座の文字も読めるので、現在のものと同じだとわかる。
この絵葉書が発行されたのは第2次大戦の前のことなので、現在、北門大鳥居前に置かれている備前焼狛犬は、戦前には神門前にあったことになる。その後いつ現在の場所に移されたのかはわからないが、石灯籠の移動なども含めて、境内の整備が行われたのだろう。
次の写真は、ほぼ同じ場所から撮ったものである。
狛犬がなくなっているだけでなく、手前の角鳥居と神門との距離も、現在の方が明らかに近い。鳥居と神門との間にあった石灯籠もなくなっている。
時代とともに、いろいろと変化があるものですね。