アジア紀行~インドネシア・タナトラジャ~サバイバル家族旅行note④~
無事スラウェシ島に到着したが・・・
前回の続きです。
5日間のスラウェシ島タナトラジャの旅だったはずが、帰りに予定していた飛行機がダメになって、なんと2週間もこの島に滞在することになってしまった我々家族。果たして日本で聞いてきた「GENTO」という名前のガイドと巡り会えるのだろうか。
ガルーダ食堂
ウジュンパンダンのハサヌディン空港は、今でこそ国際空港と呼んでも遜色ないが、この頃はまだ地方空港としか思えない建物だった。そんな空港の一角にガルーダ食堂があった。
入口から中に入るとうす暗い。目が慣れてくると、中の様子がわかってくる。テーブルにはビニールのカバーが掛けられている。奥のほうに現地の人らしき男性が数人いる。客の姿はほとんど見えない。
Mr.GENTO is here?
声を掛けると、鼻の下に髭をはやしたひとりの男性が手を上げた。
えっ、ほんと!
日本を出る前に、写真家の野沢正英さんから、「GENTOは仕事をしていないときは、空港のガルーダ食堂にいるはずだ」と聞いていた。その言葉だけを頼りにここにやって来たわけだが、確かにGENTOが目の前にいることが信じられなかった。
野沢正英氏の紹介でやって来たことを告げると、表情が明るくなる。「2週間の予定でタナトラジャを中心に案内してほしい」と伝える。
GENTOはしばらく考えたあと、紙に予定を書いていく。
そして「2Weeks Tour」のガイド料。一日Rp.40,000×14。
スラウェシ島の地図も地名も、まったく頭の中に入っていないので、この旅はすべてガイドのGENTOまかせである。信用するしかない。
グントの家
いつの間にか昼近くになっている。グントの案内で、近くの食堂に入る。ミーゴレン(mie goreng)とスペシャル・ジュース。量が多くて食べきれない。
この後、現地のお金が必要になるので、10万円をインドネシア・ルピアに両替する。Rp.1,154,000になった。大金だ!
旅の準備をしなければいけないというので、グントの家に立ち寄る。広々とした芝生の庭があり、よい住まいだ。奥さんがピサンゴレン(pisang goreng・揚げバナナ)とコピ(kopi ・コーヒー)を出してくれる。揚げバナナがとても美味しい。コピのカップはお皿の上にのっているが、グントはカップのコピを皿の上に注いで飲んでいる。こうすると熱いコピも飲みやすいのだという。真似をして飲む。
出発!
用意が出来たので、いよいよ出発。午後1時半だ。グントの車は、赤いTOYOTAである。今日の目的地は、インドネシア中部の町ランテパオ(Rantepao)だ。タナトラジャの中心地で、標高800メートルの高原地帯にある。ウジュンパンダンからは、10時間ほどのドライブになるようだ。
車は2ドアのランドクルーザーだったと思う。道路事情が必ずしもよいとはいえないこの島を走るのには、ふさわしい車だ。助手席に私が座り、後部座席に妻と子供たちが座る。シートのスプリングがよくないせいもあって、よく揺れる。後ろの席はもっと疲れるだろう。
田舎道をひたすら走る。2時間近くたって、パンカジェネ(Pangkajene)という町で車から降りて休憩する。家の軒先に開いた大きな魚が干してある。人間の横顔のように見える。
よく見るとハエがたかったり、ウジ虫がわいたりしている。グントは、これを小さくちぎってご飯に混ぜ、チリソースで食べたら美味しいと言っていた。あまり食べたいとは思わない。
娘がトイレに行きたいと言い出した。その辺で用を足せばいいかと思ったが、けっこう人目がある。見知らぬ外国人がいるので目立つのだろう。戸口からのぞいていたおばさんが様子を察して、こっちへおいでと呼んでくれた。
トイレは小川の上にあって、まさに厠(川屋)だった。足元に竹が何本も渡してあって、用が済むとバケツに汲みおいた水で流せばよい。
いつの間にか近所の子どもたちが集まってきた。娘が首にさげていたポシェットを指さして、「アパ・イニ?(Apa ini?・これ何?)」と聞く。
「グラ、グラ(gula gula)」と手を出す子どももいる。「グラ」は砂糖のことで、ここでは飴を指すのだろう。あげるとうれしそうに笑う。
町の北側には大きな川が流れている。船は大切な交通手段である。スラウェシ島の南西部に住む人はブギス族が多いが、この部族は農作とともに漁業も行っており、もとは海洋民族だったという。
結婚式
パンカジェネの町の人たちと別れて、赤いTOYOTAはひたすら北上する。2時間ほどでバル(Barru)という町に着く。ここでブギス族の人の結婚式に遭遇した。舞台のようなところに、着飾った新郎新婦が座っている。その両脇に少年と少女が付き添っている。グントにたずねると、こうして結婚を披露してお祝いを持ってきた人に挨拶をするそうだ。5~6時間はじっと座ったままらしい。
グント曰く、「舞台の上でおしんしている」。
お願いして写真を撮らせてもらう。
たぶん緊張しているのだと思うが、まったく笑顔を見せないのがこわい。
ブギス族の男性が結婚するには、かなり高額の持参金が必要だとか・・・。
日が暮れる
バル(Barru)を出た赤いTOYOTAは、港町のパレパレ(Parepare)を通過する。グントが道端にテントを張った露店で、茹でた落花生とトウモロコシを買ってくれる。落花生は茎や根がついたままだ。少し食べたけれど、食欲はすすまない。
山間の小さな町ラパン(Rappang)を通り過ぎる。この辺りで日が暮れてきた。月の出はまだで、山道はまっ暗だ。ヘッドライトの灯りだけが頼りの心細いドライブになる。時折、前方から人の姿が現れる。彼らは懐中電灯も持たずに闇夜を歩いている。グントが言うには、彼らは目がいいから大丈夫なのだそうだ。
見上げると空いっぱいに星がまたたいている。「満天の星」というのはこのような光景をいうのだろう。言葉を失う。
ドライブ・インのようなところで休憩。飲み物を注文するが、食欲はない。みんな疲れている。
息子のYがテーブルや壁にいるチチャを追いかけている。チチャは小型のヤモリだ。店にいた若い男の子たちが面白がって、いっしょに捕まえてビニール袋に入れてくれる。カマキリも2匹捕まえた。
店を出て、車はさらにまっ暗な山道を進み、エンレカン(Enrekang)に入る。標高は1,000mぐらいだろう。途中ですれ違う車もほとんどない。
子供たちはいつの間にか眠ってしまった。気温がぐっと下がったのがわかる。からだが冷えてくる。
マカレ(Makale)という町に入る。もうタナトラジャに入っているようだ。
暗くて、自分がどこにいるのかさっぱりわからない。目的地のランテパオ(Rantepao)まで、もうすぐだ。
タナトラジャでの宿泊場所になる「WISMA LEBONNA」に到着したのは、午後11時過ぎだった。みんなクタクタで、早く横になりたい気分だが、無事目的地のタナトラジャにやって来たのだと思うと、うれしさもひとしおだ。子どもたちも目を覚まして、Yはビニール袋のなかのチチャとカマキリを外に放つ。
部屋には大きなベッドが二つ。エキストラベッドを一つ入れてもらって、4人並んで眠りにつく。暗闇に蛍が一匹飛んでいた。
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