アジア紀行~ベトナム・ホーチミン①~
ベトナムの旅、回想記
私たちの世代の人間にとって、ベトナムといえば「ベトナム戦争」をまず思い出します。それは、南北ベトナムの統治をめぐる内戦であり、当時のアメリカとソ連の代理戦争でもありました。1975年の「サイゴン陥落」まで20年近く続いた戦争は北ベトナムの勝利で終わり、その結果、現在のベトナム社会主義共和国が成立します。
ベトナム戦争は長期化し、世界中で反戦運動が繰り広げられました。日本でも小田実らの「ベ平連」など、ベトナム反戦を訴える運動が広がり、ちょうど大学紛争の時期とも重なって、国内で様々な「うねり」が感じられた時代でした。
こんな思い出があります。
大学受験をひかえていたある日、私は大阪の中之島図書館にいました。外が騒がしくなって、マイクで叫ぶような声が聞こえてきます。気になった私は、友だちと二人で図書館前の公園に出ました。いつの間にか大勢の人が集まって、集会や行進が行われていました。それは、ベトナム反戦を訴える集まりで、そのエネルギーに、思わず圧倒されました。
ベトナム戦争が終結したのは、私が大学を卒業したあとのことでした。
サイゴンは「ホーチミン」と改名され、ベトナムは社会主義国となって再スタートしました。その後「ドイモイ政策」によって市場経済がとりいれられ、ベトナムは経済的に発展して注目を浴びるようになりました。
ベトナムが完全に変わってしまう前に見ておきたい・・・そんな気持ちが、初めてのベトナムへの旅になりました。
私のベトナムの旅は、旧サイゴン(ホーチミン・シティ)から始まり、中部のダナン、ホイアン、フエ、さらに北部のハノイ、サパへと脚を伸ばすことになります。
今回は、そんなベトナムの旅を振り返ってみたいと思います。
ホーチミン・シティへ
今では、ベトナムに入国して15日以内の観光滞在はビザが不要だが、以前はビザが必要だった。出発の2週間前に総領事館で取得する。以前タイからカンボジアに入るとき、飛行機の機内で申請用紙に記入して、シェムリアップの空港でビザを発行してもらったことがあった。その時は、本当にこれで入国できるのか、綱渡り状態でハラハラした。やはり事前に取得しておくに越したことはない。
午前11:20、搭乗するベトナム航空VN941便は、関西国際空港を飛び立った。隣の席は阪急交通社の添乗員をしているという女性だった。ホーチミン~シェムリアップ~ホーチミンの4泊5日のツアーの仕事だそうだ。アンコール遺跡を中心に観光するらしい。今回の私の旅のチケットも阪急交通社で手配してもらったので、不思議な縁を感じる。
16:05、VN機はホーチミンのタン・ソン・ニャット空港に到着。2時間の時差があるので、時計の針を2時間分巻き戻す。ちょっと得した感じ。
入国もスムーズにすみ、空港の出口の手前にあった両替所で、とりあえず100ドルをベトナム・ドンに交換する。
1ドルが15,200ドン。100ドルが1,520,000ドンになった。早くも金銭感覚が混乱しはじめる。
空港から宿泊先のホテルまではタクシーに乗った。メーターは45,000ドンだったが、7ドルだと言われる。すぐに計算ができず、言われた額を渡す。あとで計算すると、7ドルは106,400ドンに相当した。やられた~。まあ、よくあることだが。
ホーチミンでの宿泊先は、アジアン・ホテル(Asian Hotel)。ドンコイ通りとレタイトン通りの交差する角にあり、便利さという点ではいうことなし。
チェックインして案内された部屋は、シングルで窓なしの狭い部屋だった。バウチャーには「TWINーDOUBLE SUPERIOR」と書かれているので、それを見せて変えてもらう。今度はTWINでバルコニーつきの明るい部屋に案内された。
バルコニーから見える景色は、新旧入り交じった発展途上の町だった。
雨が降り出した。今は雨季だから一日に一度は雨が降るそうだ。しかし、雨などものともせずに、たくさんのバイクが走り続けている。やがて空の一部がピカッと光ったかと思うと、猛烈な雨が降り出した。さらにまた稲妻が光り、雷鳴がとどろく。雨に煙る通りの向こうの屋根で、黄色い星を描いた赤い旗がひるがえっている。
30分ほど降り続いた雨が止んだあとは、湿度100パーセントの蒸し風呂のような空気が町に充満していた。もう日没が近い。
サイゴン川まで歩いてみる。水上レストランの船が、青い光の中に停泊している。見た目は涼しげだか、実際の空気はあまりにも蒸し暑い。
どこかで夕食を、と考えていたが、結局パンと飲み物を買ってホテルに戻る。
いつもより2時間長い一日が、終わろうとしていた。