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大阪市の神社と狛犬 ⑮浪速区 ①羽呉神社~はきもの神社の狛犬~

大阪市浪速区の地図と神社

大阪市には、現在24の行政区があります。浪速区は上町台地の西側、大阪市のほぼ中央に位置します。区の面積は4.39㎢で、大阪市で最も狭い行政区です。区名は、王仁が詠んだと伝えられる古歌「難波津に 咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花」からとられました。
浪速区は、長い歴史をもつ「大阪木津卸売市場」や「でんでんタウン」など市内でも有数の商業地域として発展してきました。また、大阪のシンボルといわれる「通天閣」がある新世界など、庶民の町として親しまれています。

浪速区には、神社庁に加盟する神社が4社ありますが、これら以外にも少なくとも5社が確認できます。また日本橋にある崑崙山寳満寺大乗坊という真言宗の寺院に狛犬が安置されています。
最初に羽呉神社に参拝することにします。羽呉神社は、南海本線・高野線「なんば駅」と地下鉄谷町線「四天王寺前夕陽ヶ丘駅」との中間辺りに位置し、どちらの駅からも約800m離れています。すぐ前に阪神高速道路の高架があり、周囲の建物に埋もれたように鎮座しています。
周辺には100軒以上もの履物問屋があり、羽呉神社は別名「はきもの神社」として地域の人々に親しまれています。

羽呉はご神社

■所在地 〒556-0006 大阪市浪速区日本橋東1-1
■主祭神 稲荷神(推定)
■由緒  羽呉神社は、天王寺区の大江神社の境外末社である。
『摂津名所図会』に「名呉浜」の記載があり、「応神天皇の御宇、呉人呉織くれは綾織あやは、此の浜に着岸せしより此の名あり。」と説明されている。かつてこの辺りは海であり、呉の国の織女がやって来たということだ。「羽呉神社」の創建については不明だが、社名は、呉の国の織女と関連があると思われる。
江戸時代に、飢饉対策として難波御蔵と天王寺御蔵という貯蔵用の幕府米蔵が設置されたが、当神社はその天王寺御蔵の鎮守社であった。天王寺御蔵は寛政三年(1791)に廃止され、現在は地名として残るのみである。
本社の大江神社は戦災にあい、社殿復興の資金調達のために、羽呉神社再建を条件にこの土地を履物協同組合に売却した。履物協同組合はその地に大阪履物会館を建設し、南隣に現在の羽呉神社を再建した。このことから、羽呉神社は「はきもの神社」の別名を持つことになった。

社号標「はきもの神社」
小さな社殿と狛犬

狛犬1

■奉献年 大阪履物卸組合連合会 
     昭和四十一年九月吉日建之(1966)
■作者  不明 
■材質  花崗岩
■設置  社殿前

昭和41年奉納の狛犬(阿形)
昭和41年奉納の狛犬(吽形)

羽呉神社は、三方を建物に囲まれた谷間に鎮座する小さな神社である。日本橋のこの付近は御蔵跡履物問屋街で、「はきはきタウン」と呼ばれている。羽呉神社も「はきもの神社」の別称のほうが有名である。
稲荷神を祀ると思われる小さな祠の手前に、昭和の岡崎型狛犬がいる。境内には雑草もなく、大切に整備されていて、爽やかな空間をつくっている。

御蔵跡履物問屋街「はきはきタウン」の履物店

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