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大阪市の神社と狛犬 ⑳西成区 ④生根神社~浪速狛犬の流れを受け継ぐ狛犬~


大阪市西成区の地図と神社

大阪市には、現在24の行政区があります。西成区は、上町台地の西側から木津川に至る間に位置しています。上町台地の西にる(成る)地として、かつて西成郡と呼ばれていた地域の一部が、大正14年(1925)に大阪市に編入された際に、現在の西成区になりました。北に浪速区、東に阿倍野区、南に住之江区、木津川を挟んで西に大正区が隣接しています。
明治時代ごろまでは玉出たまで天下茶屋てんがちゃやに集落があったほかは農村地帯でしたが、その後急速な宅地化が進みました。

今回は西成区の4社目、生根神社に参拝します。大阪メトロ四つ橋線「玉出駅」より北へ100mほどの地に鎮座します。住吉区にも同名の生根神社があり、「奥の天神」と呼ばれているのに対し、西成区の当社は「上の天神」と呼ばれています。


生根いくね神社

■所在地 〒557-0045 大阪市西成区玉出西2-1-10
■主祭神 少彦名命すくなひこなのみこと蛭児命ひるこのみこと、菅原道真公
■由緒  創建年代は不明だが、古くはこの辺りが住吉大社の神領であったことから、その摂社であった生根神社の分霊である少彦名命を勧請し、勝間こつま村の産土神としたのに始まるという。
またそれ以前に、蛭児命は、西宮の戎神が大津波で当地に漂着したので、同神を奉還後、改めて分霊を迎えて祀ったと伝えられてる。
菅原道真公の祭神は、明治5年(1872)に大阪の筑前黒田藩邸内の天満宮を合祀したものである。

生根神社拝殿


狛犬1

■奉献年 明治四十五年一月吉日(1912)
■作者  不明
■材質  花崗岩
■設置  正面鳥居前

正面鳥居前の狛犬
鳥居前の石造狛犬(阿形)
鳥居前の石造狛犬(阿形)
鳥居前の石造狛犬(吽形)
鳥居前の石造狛犬(吽形)
鳥居前の石造狛犬


初めて見たとき、江戸時代の浪速狛犬かと思った。そのスタイルと言い、堂々としたたたずまいといい、伝統的な浪速狛犬の姿を踏襲している。ただ、第一台座に梅花の図柄が施されているのが珍しい。菅原道真公が祭神の一柱であり、当社の別名が「上の天神社」と呼ばれていることと関係があるのだろう。しかし、菅原道真公が合祀されたのは明治5年(1872)である。江戸時代に造られたとしたら、梅花の図柄を刻むのはおかしい。
台座を調べると、「明治四十五年一月吉日」の銘があった。明治の最終年である。江戸時代の幕が下りてからほぼ半世紀が経過しているが、浪速狛犬の伝統がまだ受け継がれているのである。


狛犬2

■奉献年 昭和三十九年二月吉日(1964)
■作者  不明
■材質  花崗岩
■設置  境内社・由加神社前

由加神社と狛犬
由加神社と狛犬

境内社の由加神社は、日本三大権現の一つで厄除けの総本山として知られる岡山県の由加神社本宮の末社といわれる。ご祭神は、天照皇大神、八幡大神、大物主大神、住吉大神、崇徳天皇で、かつては別々に祀られていたが、戦災で社殿が焼滅したために、現在は合祀されている。
社殿前の小型の石造狛犬は昭和39年の奉献である。蝶の羽のように広がった耳と大きく裂けたような口を持つ。


狛犬3

■奉献年 平成15年3月吉日(2003)
■作者  不明
■材質  花崗岩
■設置  境内社・大楠社前

大楠社と狛犬
大楠社の狛犬後ろ姿と台座銘

御祭神は、三輪明神、大楠龍王、金森大神で、戦後まもなく当社に移築されたと言われている。狛犬は平成15年奉納の、まだ新しいものだ。


生根神社境内

〈稲荷社〉




稲荷神は、古くから生根神社の境内に祀られていたようだが、戦災により焼失し、戦後に現在の稲荷社が造営された。神前の狐像は、盗難防止の目的で金網に入れられている。


勝間南瓜こつまなんきん塚〉


勝間南瓜こつまなんきんは、大阪市西成区玉出町(旧勝間村)で生まれた伝統野菜である。江戸時代の万延元年(1860)に勝間村の庄屋らが、天満の青物市場問屋年行司にあてて野菜7品目に限り同村内での「立ち売り許可願」を申し出た中に「南京瓜」が記載されており、このカボチャのことを勝間南瓜と呼んだものと考えられる。毎年12月の冬至の日に「こつま南瓜祭り」がおこなわれている。

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