大阪市の神社と狛犬 ➊東淀川区②春日神社~胴長短足の明和狛犬~
大阪市東淀川区の地図と神社
大阪市には、現在24の行政区があります。その中で東淀川区は最北端に位置し、淀川の北側にあたります。
東淀川区には、神社本庁に加盟する7社があります。(地図参照)
春日神社
■鎮座地 〒533-0006 大阪市東淀川区上新庄2-20-15
■主祭神 武甕槌命、経津主命、天児屋根命、比売大神の春日四神。
■由緒 もとは、榊の大木を御神木として崇敬し、御神体として祀ったのが起こりだという。後に社殿を建立して稲荷魂神(宇賀魂神)を勧請し、榊神社と名付けた。安土桃山時代の天正6年(1578)、奈良春日大社の御分霊を勧請して春日神社を創設し、それを本社とし、榊神社を摂社とした。
狛犬1
■奉献年 明和四丁亥八月吉日(1767) 下新庄村東組若中
■石工 不明
■材質 砂岩
■設置 拝殿前(手前)
東淀川区上新庄の春日神社には、新旧合わせて5対の狛犬がありますが、その中でもっとも古い明和4年(1767)奉献の砂岩製狛犬です。
胴がやや長めで、背中を少し反らせて前肢を突っ張るような姿勢です。頭上は丸みがあり、阿形には陽物、吽形には角があります。顔は彫りが深く、目が眉と鼻の奥にあります。たてがみは比較的シンプルですが、巻毛や流れ毛には毛筋が彫られています。尾は体に沿って背につくという古様で、阿吽とも左右非対称に造られています。
大阪に残る浪速狛犬で、明和の紀年銘が確認されているものは12対しかなく、そのうちの11対が和泉砂岩製です。すでに250年を過ぎていますので、保存対策が必要ですね。
狛犬2
■奉献年 明治廿七年十月(1894)
■石工 不明
■材質 砂岩
■設置 拝殿前(奥)
赤味のあるきれいな砂岩で造られている狛犬。尾も立派で、古さを感じさせるが、奉献は明治27年(1894)で日清戦争勃発の年である。江戸時代の浪速狛犬の伝統を受け継いでいる。
阿吽とも大きな垂れ耳を持っているのが特徴で、顎下の直毛と巻毛の組み合わせが美しい。吽形の流れるような口元の線もいい。少し損傷があるのが残念だ。
第一台座には、牡丹の花と蕾が彫刻されている。
狛犬3(崩壊進行中)
■奉献年 明治四十三年七月(1910)
■石工 不明
■材質 砂岩
■設置 拝殿横
崩壊寸前の狛犬。台座「明治四十三年」と彫られているので、先の1・2の狛犬よりも新しいのに、損傷がいちばんひどい。阿形の顔面は崩れ落ち、吽形の顔も摩耗して悲しそうに見える。前肢は阿吽ともなくなって、石でかろうじて支えている。後ろ姿は、なんとか元の姿を保っているが、ひび割れもあり、今後の保存がどうなっていくのか心配である。
狛犬4(かつては狛犬だった)
■奉献年 不明
■石工 不明
■材質 砂岩
境内の片隅に、享保7年(1722)の銘がある石柱(鳥居の柱か?)と石仏2体があり、石仏の前に二つの石の塊が置かれている。これは「元狛犬」らしい。河原や山の中にでもあれば、ただの石塊にしか見えない。あえて例えるなら、オットセイだろうか。かつて狛犬だったものが、再び自然の姿に戻りつつあるようだ。
これがいつ頃のものかは、この姿からはまったく想像もつかないが、境内の稲荷社前の新しい狛犬の台座が、かなり古いものである。紀年銘が読みづらいが、「文久三年九月」と書かれているように見える。この台座はもしかしたら、石の塊になりつつある「元狛犬」のものだったかもしれない。